Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

福岡県立美術館の高島野十郎

2016年12月24日 | 美術
 今の職場は、本来は出張などない職場だが、たまたま12月は2度出張があった。2度目の出張は福岡へ。仕事は午後からだったので、午前中は知人と会うつもりだったが、事前の連絡をしなかったので、会えないことが分かった。時間が空いたので、福岡県立美術館に行ってみた。

 同美術館に行くのは2度目だ。1度目はもう10年位前になる。元の職場の友人が福岡に転勤になり、うまくいっていないと聞いていたので、休暇をとって飲みに行った。そのとき、友人と会う前の時間を使って、同美術館に行った。

 目的ははっきりしていた。‘孤高の画家’高島野十郎(たかしま・やじゅうろう)(1890‐1975)の作品を見るためだ。なにかの機会にその画家のことを知った。その作品に惹かれたので、一度実際に見てみたかった。

 念願かなって見た作品に、わたしは釘付けになった。その後、何冊かの関連図書を読んで、野十郎の生涯への理解を深めた。また今年は没後40年の記念企画として、回顧展が東京の目黒区美術館にも巡回したので、野十郎の作品をまとめて見ることができた。

 そして今回、その作品との再会の機会が、思いがけず訪れた。常設展に4点展示されていた。だれもいない館内で(平日の午前中だったので、ほんとうにだれもいなかった)、野十郎の作品と向き合っていると、心が静かになった。

 今回は「山の夕月」(1940)に惹かれた。山村の夕景。遠くの山並みに満月が昇ったところ。明るく澄みきった満月。点在する農家。谷間に広がる畑。静かな夕暮れ。これが太平洋戦争突入前夜の、喧騒を極めた世相の中で描かれたことに、時流に流されずに生きる野十郎の精神が感じられる。

 もう1点、「こぶしとリンゴ」(1966頃)にも惹かれた。こちらは戦後の作品。花瓶に活けたこぶしの花と、数個のリンゴが、出窓の前に並んでいる。花瓶の丸い形とリンゴの形とが、快く調和している。ガラス窓からは早春の陽光が射している。そのぬくもりを捉えた繊細な作品だ。

 これらの2作品を心ゆくまで見ることができた。今回はこれで十分だった。次回はまた別の作品に心を動かされるだろう。それはまたそれでよい。昼食の時間が近づいていた。ほんとうは博多ラーメンを食べようと思っていたが、雑踏の中に出る気がしなくなった。美術館内の静かなレストランで食事をした。
(2016.12.16.福岡県立美術館)

(※)上記の2作品をふくむ野十郎の作品(福岡県立美術館のHP)

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