Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

チューリヒ:ハムレットマシーン

2016年02月03日 | 音楽
 ヴォルフガング・リーム(1952‐)の「ハムレットマシーン」の原作は、旧東ドイツの劇作家ハイナー・ミュラー(1929‐1995)の同名作だ。1977年に発表された。「私はハムレットだった」という台詞で始まるその作品は、戯曲と呼ぶのは難しい異色作だ。日本語訳も出ているが、単行本で7頁しかないその作品には、錯乱した言葉が並んでいる。

 上演困難な作品だが、野心的な演出家を刺激した。1979年にパリで初演。1986年にニューヨークで上演されたロバート・ウィルソンの演出は、ハイナー・ミュラー自身が高く評価した。リームの「ハムレットマシーン」はその翌年の1987年の初演。ハイナー・ミュラーの原作への関心の高まりの中で生まれたと思われる。作曲という行為には演出と似ている面があるとするなら、リームも上演の試みに参入したといえるかもしれない。

 リーム独自の発想は、ハムレット(というよりも、ハムレット役者)を3人に分割した点にある。ハムレットⅠとハムレットⅡは俳優、ハムレットⅢはオペラ歌手に割り振った。これら3人がハムレット役者であった者を演じ、語り、かつ歌う。

 今回の上演では、これらの3人がハイナー・ミュラーそっくりにメイクされていた。頭が禿げ、黒ぶちの眼鏡をかけ、痩せて、黒い上着を着ている。これら3人が動き回る。原作では(ハンガリー動乱やプラハの春への弾圧といった)歴史への抗議が前面に出ているが、今回の上演ではハイナー・ミュラーが(ソ連の崩壊といった)歴史に乗り越えられる姿を想わせた。

 一例をあげるなら、原作ではマルクス、レーニン、毛沢東の3人が出てきて、斧で頭を割られる場面があるが、今回の上演では、それら3人は無傷のまま。逆に3人のハムレット(ハイナー・ミュラー)がナイフで首を切られた。

 演出はセバスティアン・バウムガルテン。明るく、ユーモラスで、しかも歴史の進行や現代社会への暗喩に満ちた舞台だった。

 指揮はガブリエル・フェルツ。大音響が炸裂するこの音楽を、切れ味よく、完璧にコントロールしていたと思う。初演時のライヴ録音がCDで出ているが(ペーター・シュナイダー指揮マンハイム歌劇場の公演)、音楽の掌握の点で隔世の感がある。

 リームもカーテンコールに現れた。盛んな拍手を受けたリームは、しきりに「拍手は俺じゃない。出演者たちに」という仕草をしていた。
(2016.1.24.チューリヒ歌劇場)

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