Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

井上道義/日本フィル(横浜定期)

2024年05月19日 | 音楽
 井上道義が振る日本フィルの横浜定期。今年12月末での指揮活動からの引退を表明する井上道義。日本フィルを振る最後の演奏会だ。

 プログラムはオール・ショスタコーヴィチ・プロ。1曲目はチェロ協奏曲第2番。めったに実演を聴く機会のない曲だが、今まで聴いた実演の中では、抜群のおもしろさだった。ショスタコーヴィチ晩年の様式が顕著な曲だ。晦渋とも、暗いとも、謎とも、いろいろなイメージで語られるが、演奏前にマイクをもって現れた井上道義は「ユーモア」といった。「心に余裕がないとユーモアは生まれない」と。

 そのような解釈が関係するのかどうか、ともかく長大な第3楽章が驚くほどおもしろく聴けた。延々に続くチェロのモノローグが、少しも重くなく、むしろ軽やかだった。チェロ独奏は佐藤晴真だが、その独特の豊かな音と丸みをおびた表現、そして日本フィルの管楽器の色彩感、加えて編成を10型に絞った弦楽器の薄さ。それらが相俟ってのおもしろさだった。

 第3楽章だけではなく、たとえば第1楽章の独奏チェロのカデンツァとバスドラムの対話がおもしろく聴けた。あのバスドラムはいったい何だろう。わたしはマーラーの未完に終わった交響曲第10番の最終楽章のバスドラムを思い出したが、どちらも意味深長だ。それ以外にも、第3楽章冒頭のホルンのファンファーレも何か意味がありそうだし、最後の打楽器のリズム音型も(ショスタコーヴィチ最晩年の表象だが)不思議だ。

 要するに、それらのポイントをおもしろく聴かせる演奏だった。佐藤晴真の伸びやかな音楽性はもちろんだが、井上道義が指揮する日本フィルの、キャラが立った、クリアな演奏のためだろう。なお佐藤晴真はアンコールに「鳥の歌」を演奏した。

 2曲目はショスタコーヴィチの交響曲第10番。弦楽器は16型に拡大された。分厚い弦楽器から繰り出されるパワーあふれる演奏には、ラザレフの薫陶が感じられた。だがラザレフが指揮するショスタコーヴィチはモノトーンで、それがいかにもソ連という時代性を感じさせたが、井上道義が振ると、色彩感が生まれ、明るくポジティブになる。それはそれで個性だろう。惜しむらくは、第4楽章の最後がお祭り騒ぎになったことだ。井上道義が日本フィルを振る最後の演奏会なのだから、それは認めるべきなのか。それとも画竜点睛を欠くというべきなのか。

 演奏終了後、日本フィルから井上道義に花束が贈られた。井上道義は1976年に日本フィルを振ってデビューした。わたしはそれを聴いた。颯爽としたデビューだった。
(2024.5.18.横浜みなとみらいホール)

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