Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

黒田恭一さん逝去

2009年06月05日 | 音楽
 昨日、音楽評論家の黒田恭一さんの逝去が報じられた。1938年生まれで、71歳だったそうだが、私の中ではいつも若いイメージだった。

 考えてみると、今からもう40年ほど前のことになるが、私が猛烈に音楽をききはじめた頃、音楽雑誌には黒田さんの演奏会評、レコード評が盛んにのっていた。あの頃の黒田さんは、初期の大江健三郎のような翻訳調の文体だった。カラヤンがベルリン・フィルを率いて来日したときのリヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」の演奏会評が記憶に残っている――すべての楽器が主役のように自らを主張している演奏、というようなことだったが、尖った翻訳調の文体が強烈だった。

 もっとも、黒田さんはすぐに平明な文体に変わった。その変化は、後年のNHK-FMの人気番組「20世紀の名演奏」における「皆さま、お気持ちさわやかにお過ごしください」の名調子につながった。

 黒田さんは早稲田大学教育学部の出身で、学部はちがうが、私の先輩にあたる。それはよいとして、音楽の専門教育を受けていない音楽評論家ということに、ある種の感慨をおぼえる。関連して、黒田さんよりも一回り上の世代の音楽評論家、志鳥栄八郎さんのことが、昨日からしきりに思い出される。お二人とも、専門教育は受けていないが、自分のききかたをもっていた。

 志鳥さんの思い出をひとつ。志鳥さんは、難病のスモン病を患ったが、目が不自由になってからも、杖をつきながら、都内の千日谷会堂という葬祭場で、月に一回、無料のレコードコンサートを続けていた。当時、お金のなかった私はせっせと通って、レコード会社から毎月出る話題の新譜に心を躍らせた。

 今にして思えば、志鳥さんにしても黒田さんにしても、音楽初心者の私に、音楽を愛すること――音楽をきくことは人生そのものであること――を教えてくれたと思う。別のいいかたをすれば、音楽にたいする一番ベーシックな心構えを。

 その後、音楽評論の進歩は目覚しい。専門教育を受けているかたも多いが、そうでなくても、専門的な知識をバックにした、深い独自の視点をもつ評論が一般的になった。もう黒田さんや志鳥さんのようなタイプは、世に出にくいかもしれない。

 志鳥さんは2001年に亡くなった。そして、黒田さんも。お二人のご冥福を祈ります。お世話になりました。

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