Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ウリッセの帰還

2009年06月08日 | 音楽
 東京二期会が、若手歌手を中心にした二期会ニューウェーブ・オペラ劇場シリーズで、モンテヴェルディの「ウリッセの帰還」を上演した。上演の味噌は、現代ドイツの作曲家ヘンツェの編曲・再構成の版による点。ルネッサンス・オペラがどう変わるか――。

 ヘンツェによるオーケストレーションは、ヴァイオリンを欠いていて、ヴィオラ7人、チェロ8人、コントラバス6人、そしてフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、トランペット、トロンボーンは各4人(!)、パーカッション7人(!)、さらに(煩雑になって申し訳ないが)ハープ、チェレスタ、マンドリン、ギター、アコーディオン、テノールバンジョー、エレクトリックギター、エレクトリックベースギター、ピアノが各1人、そしてヴィオラ・ダモーレのソロがつく(今回はヴァイオリンで代替)。

 こうして書き出してみると、ものすごい大編成だが、トゥッティで演奏される箇所はほとんどなく、意外なくらいに風通しがよい。異色なのはエレクトリックギターとエレクトリックベースギターだが、これも全体の中にしっとりと溶け込んでいる。マンドリン、アコーディオン、テノールバンジョーなどもしかり。ハープは通奏低音群(?)の主役級の役割だった。

 ヴィオラ・ダモーレは、指揮者の高関健さんのかいた文章によると、「どうしても演奏できない部分」が続出するとのことで、ヴァイオリンで代替されたが、ヴィオラ・ダモーレのくぐもった音色と、ヴァイオリンの輝きのある音色とでは、やはりちがう。私は、途中で、これがヴィオラ・ダモーレだったらなと思うことが何度かあった。

 モンテヴェルディの時代は、オペラは朗誦される劇だったわけで、それをチェンバロなどの通奏低音と少数の弦楽器などが伴奏する程度だったようだが、今回のように大編成のオーケストラで、すべての音がしっかり書き込まれたスコアで演奏されると、多少窮屈というか、想像力によって空白を埋める楽しみが失われる気がした。

 もっとも、私は、モンテヴェルディ受容の多様性の試みとして、その意義を肯定的に受け止めた。
 たとえば第1幕の幕切れなど、ひじょうに表出力のある音楽がきこえた。上演のさいの演奏譜の作成という回路を使った、現代の作曲家によるパラフレーズの試み――それは刺激的なことではないだろうか。

 歌手は、注目すべき人材がいた反面、あまりにも非力で陥没している人もいた。
 演出は、几帳面すぎた(たとえば大食漢イーロのコミカルな自殺の場面など、イーロは小心者なので、実際には自殺しないのでは?)。衣装と照明は、登場人物を色分けする意図はわかるものの、色づかいが多すぎた。
(2009.06.06.北とぴあ さくらホール)

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