Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

川瀬賢太郎/東京シティ・フィル

2019年06月01日 | 音楽
 川瀬賢太郎の指揮を聴くのは、2013年1月の日本フィル横浜定期以来だ。そのときの記憶はあまり残っていないが、川瀬はその後、神奈川フィルの常任指揮者に就任して、堅実な活動をしている様子。また各種の音楽賞を受賞するなど、好調なようだ。そんな川瀬が東京シティ・フィルの定期を振るので、楽しみにしていた。プログラムはオール・ショスタコーヴィチ・プロ。しかも選曲がユニークだ。大曲かつ深刻な曲は避けて、短く軽快な曲ばかり。思わずニヤリと笑ってしまう。

 1曲目は交響詩「十月革命」。その前に書かれた交響曲第11番「1905年」や第12番「1917年」の路線を行く曲。冒頭の暗い苦悩の音楽が、大きな身振りで、思い入れたっぷりに演奏された。テンポが速くなって、戦闘的な部分に入ると、激しい棒さばきで、やる気満々の演奏が繰り広げられた。

 2曲目はピアノ協奏曲第2番。ピアノ独奏は田村響。終始クリアーな音で、テンポの速い両端楽章は危なげなく、またショパンのような(あるいは映画の一場面のような)中間楽章は美しく、しかし甘くはなく、凛とした佇まいで演奏された。

 アンコールは何だろうと思ったら、ショパンの遺作のノクターンだった。今弾いたばかりのピアノ協奏曲第2番の第2楽章からの連想だろう。なるほどと膝を叩いた。その演奏は、クリアーで、甘さを抑えた、前曲から一貫したものだった。

 3曲目は交響曲第9番。第1楽章冒頭の弦のリズムが軽快に出て、やがてトロンボーンの「タ・ターン」という音型が、びっくりするような大きな音で鳴った。全体のバランスを失する素っ頓狂な音。思わず笑ってしまった。それが何度も出る。その都度、可笑しさがこみ上げる。そうか、この音型はこうやって演奏するのかと、目から鱗が落ちる思いだった。

 第2楽章以下でのクラリネットやフルートのソロも光ったが、白眉は第4楽章から第5楽章にかけてのファゴットのソロ。トロンボーンとチューバの重々しい、威嚇するような音型にたいして、ファゴットの弱々しい、卑屈な音型(第4楽章)と、おどけるような躁状態の音型(第5楽章)との、その意味深長なドラマの主役を見事に演じた。

 川瀬賢太郎の指揮は、やりたいことをやり、飾らない、本音の演奏で、同氏の師の広上淳一の、血気盛んな若い頃を彷彿とさせた。

 アンコールに芥川也寸志の「トリプティーク」から第2楽章が演奏された。ショスタコーヴィチから芥川也寸志へと、その選曲の妙に再度膝を叩いた。
(2019.5.31.東京オペラシティ)

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