N響の元首席オーボエ奏者、茂木大輔の「交響録 N響で出会った名指揮者たち」(音楽之友社)。著者が1990年にN響に入団し、2019年に定年退職するまでに出会った名指揮者たちの思い出を書いたもの。サヴァリッシュ、シュタイン、ブロムシュテット、デユトワ、アシュケナージ、プレヴィン、P.ヤルヴィ等々、そうそうたる顔ぶれが登場する。
オーケストラの楽員と話をしていると、たいていの場合、指揮者のことをよくいわない。聴衆のほうでは指揮者の話が一番おもしろいので、水を向けるわけだが、最初はいいにくそうに、だが、なにかの拍子にうちとけると、指揮者の悪口が出てくる。それだけ日常的には指揮者からのトレスが大きいのだろうと推察する。
じつは本書にもそのたぐいの話を期待したのだが、案に相違して、指揮者を敬い、上品な書きぶりで、悪口などは(ごく例外的なケースを除いて)ほとんど出ない。その点では期待外れだったのだが(もちろんそれは聴衆の勝手な言い分だが‥)、その点を飲みこんで、著者の指揮者にたいする敬意をそのまま受け止め、たまに微妙な表現があると、その裏にある著者の指揮者との距離感を想像するとおもしろい。
例外的なケースだが、ギョッとする話もあった。アダム・フィッシャーがN響を振ったときに、練習中から「色々と楽員と衝突して現場は不穏な雰囲気」になっていて、テレビ放送がない定期2日目に、楽員が示し合わせて、《新世界》の第1楽章のリピートを「すっ飛ばした」そうだ。アダム・フィッシャーは「一瞬ぎょっ!」とした、と。著者はその先では「岩城先生が指揮しているときにN響が意地悪して《運命》を別の調で始めたという伝説が残っている」とも書いている。
繰り返すが、こういう裏話は例外的で、大半は無難な話だ。それでも本書がおもしろいのは、楽員でなければ書けない話が出てくるから。たとえば今年10月29日に新型コロナウイルスに感染して亡くなったロシアの指揮者アレクサンドル・ヴェデルニコフ(享年56歳)についてはこう書いている。
「演奏するチャイコフスキーの交響曲第4番が難しいのは、まず、第1楽章の、ホルンの咆哮で開始されるあの恫喝的な序奏の後に来る憂鬱な9/8拍子の部分(Moderato con anima, in movimento di Valse)が、同時に二つのワルツが響くような、どうしようもないほど不安定なリズム、表情を持っていることである。」。デユトワ、アシュケナージをふくめて、「本当に納得のいく解釈には、実は出会っていなかった。」。だが、「ヴェデルニコフはまずこの部分の表情をかなりの時間をかけて厳しく練習し、今まで聴いたことのない、まさにロシア的な憂鬱の音楽を作りだした。初めて、やっと、この曲が分かった気がした。」と。本書執筆の時点ではヴェデルニコフは健在だったわけだが、急逝したいま読むと、追悼文のように読める。
オーケストラの楽員と話をしていると、たいていの場合、指揮者のことをよくいわない。聴衆のほうでは指揮者の話が一番おもしろいので、水を向けるわけだが、最初はいいにくそうに、だが、なにかの拍子にうちとけると、指揮者の悪口が出てくる。それだけ日常的には指揮者からのトレスが大きいのだろうと推察する。
じつは本書にもそのたぐいの話を期待したのだが、案に相違して、指揮者を敬い、上品な書きぶりで、悪口などは(ごく例外的なケースを除いて)ほとんど出ない。その点では期待外れだったのだが(もちろんそれは聴衆の勝手な言い分だが‥)、その点を飲みこんで、著者の指揮者にたいする敬意をそのまま受け止め、たまに微妙な表現があると、その裏にある著者の指揮者との距離感を想像するとおもしろい。
例外的なケースだが、ギョッとする話もあった。アダム・フィッシャーがN響を振ったときに、練習中から「色々と楽員と衝突して現場は不穏な雰囲気」になっていて、テレビ放送がない定期2日目に、楽員が示し合わせて、《新世界》の第1楽章のリピートを「すっ飛ばした」そうだ。アダム・フィッシャーは「一瞬ぎょっ!」とした、と。著者はその先では「岩城先生が指揮しているときにN響が意地悪して《運命》を別の調で始めたという伝説が残っている」とも書いている。
繰り返すが、こういう裏話は例外的で、大半は無難な話だ。それでも本書がおもしろいのは、楽員でなければ書けない話が出てくるから。たとえば今年10月29日に新型コロナウイルスに感染して亡くなったロシアの指揮者アレクサンドル・ヴェデルニコフ(享年56歳)についてはこう書いている。
「演奏するチャイコフスキーの交響曲第4番が難しいのは、まず、第1楽章の、ホルンの咆哮で開始されるあの恫喝的な序奏の後に来る憂鬱な9/8拍子の部分(Moderato con anima, in movimento di Valse)が、同時に二つのワルツが響くような、どうしようもないほど不安定なリズム、表情を持っていることである。」。デユトワ、アシュケナージをふくめて、「本当に納得のいく解釈には、実は出会っていなかった。」。だが、「ヴェデルニコフはまずこの部分の表情をかなりの時間をかけて厳しく練習し、今まで聴いたことのない、まさにロシア的な憂鬱の音楽を作りだした。初めて、やっと、この曲が分かった気がした。」と。本書執筆の時点ではヴェデルニコフは健在だったわけだが、急逝したいま読むと、追悼文のように読める。