年の瀬の「第九」の季節がやってきた。昨夜は日本フィル横浜定期の「第九」へ。指揮は広上淳一。前プロはヨハン・クリスチャン・バッハの「シンフォニア 変ロ長調op.18-2」だった。わたしはヨハン・クリスチャン・バッハとかカール・フィリップ・エマヌエル・バッハとか、前古典派といわれる作曲家が好きなのだが、在京オーケストラを主なフィールドにしているため、それらの作曲家を聴く機会はあまりない。今回はひじょうに楽しみにしていたのだが、残念ながら演奏は大柄で、恰幅が良すぎた。
「第九」ではソプラノ・中村恵理、カウンターテナー・藤木大地、テノール・吉田浩之、バリトン・大西宇宙(「宇宙」は「たかおき」と読む)という豪華なソリストが注目の的だった。世界に通用する今が旬の歌手3人とベテラン1人の布陣。とくにアルトの代わりにカウンターテナーが加わることによる音色の変化は、当夜の聴きものの一つだった。
だが、とあえていうが、「第九」の本領は合唱にあるとつくづく思った。本領という言葉は我ながらこなれていないので、かみ砕いていうと、ベートーヴェンが本作を通じて表現しようとした理念は、合唱に表現されているということ。
その理念とは何か。シラーの詩「歓喜に寄す」を通じて呼びかける「全てのひとは兄弟になる」ということだ(以下、訳詞はインターネット上に公開されている神崎正英氏の訳による。日本フィルのプログラムに掲載された訳詞の一部には疑問が残った)。
「全てのひとは兄弟になる」という詩句は第7行に出てくるのだが、その前の第5行と第6行には「あなたの魔法の力は再び結びつける」(第5行)、「世の中の時流が厳しく分け隔てていたものを」(第6行)とある。神崎氏が「世の中の時流」と訳出した語句はModeだが、その語句について神崎氏は「Modeはシラーが書いた時とベートーベンが曲をつけた時で背景も異なってきているが、専制君主制とか革命の混乱とか、いろいろな社会的、人間的な関係。」と注釈している。
今の世界でも分断が進んでいるが(日本もその例外ではない)、そのような状況下で、この詩句はリアリティを増している。たとえ現世ではいがみ合っていても、天上の世界ではすべての人々が兄弟となり、連帯を取り戻す。その希求が、シラーが書き、ベートーヴェンが作曲したこの詩句に込められている。夜空に打ち上げられた花火を仰ぎ見るような一瞬の光輝かもしれないが、「第九」はそのような理念を高々と掲げ、わたしたちはそれに打たれる。
当夜の合唱は東京音楽大学の皆さんだった。さすがにアマチュア合唱団とは一線を画す水準の高さだった。
(2019.12.14.横浜みなとみらいホール)
「第九」ではソプラノ・中村恵理、カウンターテナー・藤木大地、テノール・吉田浩之、バリトン・大西宇宙(「宇宙」は「たかおき」と読む)という豪華なソリストが注目の的だった。世界に通用する今が旬の歌手3人とベテラン1人の布陣。とくにアルトの代わりにカウンターテナーが加わることによる音色の変化は、当夜の聴きものの一つだった。
だが、とあえていうが、「第九」の本領は合唱にあるとつくづく思った。本領という言葉は我ながらこなれていないので、かみ砕いていうと、ベートーヴェンが本作を通じて表現しようとした理念は、合唱に表現されているということ。
その理念とは何か。シラーの詩「歓喜に寄す」を通じて呼びかける「全てのひとは兄弟になる」ということだ(以下、訳詞はインターネット上に公開されている神崎正英氏の訳による。日本フィルのプログラムに掲載された訳詞の一部には疑問が残った)。
「全てのひとは兄弟になる」という詩句は第7行に出てくるのだが、その前の第5行と第6行には「あなたの魔法の力は再び結びつける」(第5行)、「世の中の時流が厳しく分け隔てていたものを」(第6行)とある。神崎氏が「世の中の時流」と訳出した語句はModeだが、その語句について神崎氏は「Modeはシラーが書いた時とベートーベンが曲をつけた時で背景も異なってきているが、専制君主制とか革命の混乱とか、いろいろな社会的、人間的な関係。」と注釈している。
今の世界でも分断が進んでいるが(日本もその例外ではない)、そのような状況下で、この詩句はリアリティを増している。たとえ現世ではいがみ合っていても、天上の世界ではすべての人々が兄弟となり、連帯を取り戻す。その希求が、シラーが書き、ベートーヴェンが作曲したこの詩句に込められている。夜空に打ち上げられた花火を仰ぎ見るような一瞬の光輝かもしれないが、「第九」はそのような理念を高々と掲げ、わたしたちはそれに打たれる。
当夜の合唱は東京音楽大学の皆さんだった。さすがにアマチュア合唱団とは一線を画す水準の高さだった。
(2019.12.14.横浜みなとみらいホール)