Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

パーヴォ・ヤルヴィ/N響

2015年02月08日 | 音楽
 本年9月からの首席指揮者就任を控えたパーヴォ・ヤルヴィの登場。N響新時代を占う定期だ。否が応でも注目を集める。

 プログラムはエルガーのチェロ協奏曲(チェロ独奏はアリサ・ワイラースタイン。プロフィールによると、バレンボイム指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団と同曲を録音しているそうだ。)とマーラーの交響曲第1番「巨人」。なんの変哲もない、どこにでもありそうなプログラムだ。でも、それが――。

 以下、順を追って感想を記すと、まずエルガーのチェロ協奏曲。元々渋い曲なので、盛り上がるとか、鮮烈な演奏だとか、そんなことになる可能性は少ない(正直なところ、あのジャクリーヌ・デュ・プレのような演奏が生まれることは、稀有なことだと、あらためて感じた。)

 オーケストラも、第3楽章までは、とくにやることもないといった風情だったが、第4楽章になって、トゥッティの部分で張りのある音が出た。おっと思った。パーヴォ/N響の新時代を垣間見る想いがした。

 ワイラースタインも優秀だったが、作曲者晩年の枯れた味とは異なる、若さから来るエネルギーのようなものを感じた。だが、第4楽章の最後で第1楽章冒頭のチェロのモノローグが再現する直前の、音楽が止まるような深い沈潜に、思わず息をのんだ。ものすごい集中力だった。その部分のオーケストラの集中力もすごかった。

 アンコールにバッハの無伴奏チェロ組曲第3番からサラバンドが演奏された。さりげなく始まり、リラックスして演奏しているようだったが、気が付くと、ホールを埋め尽くす聴衆の注意を一身に集めていた。

 さて、次はマーラーの交響曲第1番「巨人」。冒頭の弦のフラジオレットが、これ以上はないというくらい薄く、弱く、演奏された。この瞬間からこの演奏は只者ではないことを予感させた。そこから先の展開をどう表現したらいいか。この演奏をどう言葉で再現したらいいのか。音圧の強さ・弱さ、テンポの変化、フレーズの処理、どれをとっても普通のドラマトゥルギーを超えていた。スコアの解像度が格段に高い。これはもう通常のレヴェルを遥かに超える演奏だった。

 オーケストラには近年稀なほどの緊張感があった。長老指揮者たちとのどかに過ごした日々から一瞬にして目覚めた観があった。N響が世界の最前線に躍り出ることだって夢ではない。そんな可能性を感じさせた。
(2015.2.7.NHKホール)

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