Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

最初の人間

2013年01月16日 | 映画
 映画「最初の人間」。アルベール・カミュの遺稿が原作だ。そういう作品があるとは知らなかった。

 カミュは1960年に自動車事故で亡くなった。46歳、まだ若かった。現場近くの泥のなかに黒皮のカバンが落ちていた。「最初の人間」の草稿が入っていた。自伝的小説だ。もちろん未完。当時、遺族は出版を望まなかった。年を経て、1994年に出版された。世界的に話題となった。日本語訳も出版された――ということを、今回初めて知った。

 この映画がどの程度原作に沿っているかは、未読なので、わからないし、自伝的小説といっても、どの程度実人生に沿ったものかは、判然としないので、この映画の主人公コルムリが、カミュその人であると思い込むことは、リスクがあると思う。むしろカミュを離れて、ある種の人間の典型として、この映画を観るほうが適当かもしれない。

 時は1957年。成功した作家コルムリが、生まれ故郷アルジェリアを訪れる。大学で講演をするためだ。時あたかもアルジェリア戦争(アルジェリアのフランスからの独立戦争)の真っただ中。アルジェリア人とフランス人の共存を訴えるコルムリは、独立阻止に躍起のフランス人たちの怒号を浴びる。

 翌日、コルムリは現地で一人暮らしを続ける母を訪ねる。久しぶりの再会。母の家のベッドに身を横たえたコルムリは、子ども時代(1924年)を回想する。以降、映画は、現在(1957年)と過去(1924年)を行ったり来たりする。

 コルムリは孤立している。そんなコルムリが、過去を回想することによって――あるいは過去につながる人々を訪れることによって――自分探しの旅をする。この二つの要素、「孤立」した状況と「自分探し」がこの映画のテーマだ。

 状況設定とディテールは、カミュのそれを反映している。だからこれは、ひじょうに特殊なケースではあるが、特殊であるがゆえに具体的で、わたし自身の「孤立」と「自分探し」を映す鏡のように感じられた。

 講演会の場面でのコルムリの言葉――、「俗論はこう言うでしょう、“流血だけが、歴史を前進させる”と。だが作家の義務とは、歴史を作る側ではなく、歴史を生きる側に身を置くことです」(プログラムに掲載されたシナリオより引用)。アルジェリアは1962年に独立した。コルムリは無力だったかもしれない。だがわたしはこの言葉に共感した。たとえ無力であっても。
(2013.1.11.岩波ホール)

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