Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

山田和樹/読響

2021年03月05日 | 音楽
 満を持してという感のある山田和樹の登場だ。満を持してなどと、なにを大袈裟なと叱られそうだが、演奏会を聴いた後では、そう感じた。それほど山田和樹はオーラを放っていた。とくにメインのグラズノフの交響曲第5番ではそうだった。

 1曲目はウェーベルンの「パッサカリア」。弦の音の透明感と、衝動的な曲想の変化がよく出た演奏だった。山田和樹は以前に日本フィルでシェーンベルクの「浄められた夜」の圧倒的な演奏を聴かせたことがある。それを思い出した。曲にたいする肉薄が尋常ではない。山田和樹のこの種の音楽には要注目だ。

 2曲目は別宮貞雄(1922‐2012)の「ヴィオラ協奏曲」(1971)。尾高賞受賞作品なので、評価の高い作品だろうが、わたしが実演で聴くのは初めてだと思う。実演で聴いてみると、ヴィオラの音域をいかした名曲だ。別宮貞雄には「ヴァイオリン協奏曲」(1969)があり、それも名曲だと思うが、こうして「ヴィオラ協奏曲」を聴くと、両曲それぞれにヴァイオリン、ヴィオラでなければならない必然性を感じる。

 ついでにいうと、別宮貞雄にはチェロ協奏曲「秋」(1997)がある。わたしは未聴だが、どういう曲だろう。いずれ聴く機会があるのかどうか。別宮貞雄は、以前は時々演奏会で姿を見かけたが、いつしか見かけなくなり、ひっそり亡くなった印象がある。来年は没後10年、生誕100年なので、それなりに蘇演の機会に恵まれるかもしれない。

 なお「ヴィオラ協奏曲」の独奏は読響の首席の鈴木康浩だった。ヴィオラ特有の美音が発揮され、輪郭がはっきりした演奏だった。モチベーションの高さというか、この曲を弾く目的意識が明確な演奏だった。演奏会場には在京オーケストラのヴィオラ奏者の姿を見かけた。同業者からも注目される演奏だったろう。

 3曲目は(前述の通り)グラズノフの交響曲第5番。第1楽章の伸びやかな旋律は、指揮者、オーケストラとも意識的に演奏している感じがしたが、第2楽章の妖精の踊りのような音楽は、指揮者とオーケストラが一体となり、水も漏らさぬ緊密な演奏だった。第3楽章の抒情的な音楽にもその緊密さは引き継がれ、第4楽章の躍動的な音楽では、緊密さはそのままに、目の覚めるようなダイナミックな演奏が展開された。

 その第4楽章で、わたしは山田和樹の背中にオーラを感じた。山田和樹は前からスター指揮者だったが、今回はスター指揮者の風格が出てきたことを感じた。読響の指揮者陣のなかでは、常任指揮者のヴァイグレが丸みのある音楽づくりなので、首席客演指揮者の山田和樹がダイナミックな音楽づくりなことが好対照に感じられた。
(2021.3.4.サントリーホール)

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