Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

異国の女

2013年07月18日 | 音楽
 チューリヒ歌劇場でベッリーニのオペラ「異国の女」La stranieraを観た。なんといってもグルベローヴァが出演することが注目の的だった。

 山仲間とスイス旅行をすることになって、ついでになにかオペラを観たいと考えていたら、これを見つけた。皆さんと一緒に行ったのは前日の「リゴレット」だが、どうしてもこれを観たくて、わたしだけが残った。

 観てよかった。グルベローヴァの「今」に触れることができた。功成り名遂げて年齢的にもかなりのところにきたグルベローヴァが、新しいレパートリーに挑むことは、それ自体頭の下がる思いがする。しかもその作品が、近年復活のきざしは見えるが、まだ十分に定着しているとはいえない作品であることにも、刺激的なものを感じる。

 この作品では主人公アライデ(=グルベローヴァ)の登場は、舞台裏からかすかに聴こえる歌声で始まるが、その歌声が聴こえてきたときにはゾクゾクした。いつものグルベローヴァの完璧な声のコントロールだった。

 その後の進行では、ひたすらグルベローヴァを追い続けた。意識的にそうしたというよりも、とにかく図抜けた存在なので、無意識のうちにそうなったというほうが相応しい。そして、なるほどこれが今のグルベローヴァかと思った。

 声はもちろん若い頃とは変わっている。それにつれて表現も変わっている。端的にいって、劇的になっている。人生の苦さの表現に傾注している。ベルカント・オペラにはちがいないが、むしろ人生の苦さを滲ませている。

 そこにグルベローヴァの「今」を感じた。一言でいって、老貴婦人という言葉が浮かんだ。今のグルベローヴァほどその言葉に相応しい人はいないのではないかと思った。人生のすべての苦さを味わったうえで、毅然として生きる貴婦人。

 舞台ではグルベローヴァが突出して深みがあった。他の登場人物に比べて、圧倒的な深みがあった。それは音楽あるいは台本からくるよりも、今のグルベローヴァの存在からくるものと思われた。

 指揮はファビオ・ルイジ。グルベローヴァの節回し(呼吸)にぴったり付けていた。さすがだ。演出はクリストフ・ロイ。舞台の三方を板壁で囲って、天井から無数のロープを垂らし、そのロープで紗幕を上げ下げしていた(歌手がみずから操作していた)。この作品の初演当時の舞台機構を模したものだろうか。当時の疑似体験をする思いだった。
(2013.7.14.チューリヒ歌劇場)

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