Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ヴァイグレ/読響

2020年12月10日 | 音楽
 読響のホームページによると、セバスティアン・ヴァイグレは11月中旬に来日し、2週間の自己隔離をへて、今回の定期に臨んだそうだ。今後は年末年始を日本ですごして、1月の各種コンサートを振る予定。通算すると約2か月間の日本滞在となる。いくつかの条件が重なって実現したことかもしれないが、ともかく自分のオーケストラとともにいる心意気は、聴衆の心をつかんだにちがいない。

 今回の定期は、ソリストは外国人から日本人に変更になったが、曲目は当初発表通りで、1曲目はモーツァルトのピアノ協奏曲第25番、2曲目はブルックナーの交響曲第6番。ともに、モーツァルトのピアノ協奏曲、そしてブルックナーの交響曲のなかでは比較的演奏機会の少ない曲だ。わたしは楽しみにしていた。

 ピアノを弾いたのは岡田奏(おかだ・かな)。プロフィールによると、15歳で渡仏し、パリ国立高等音楽院を卒業したそうだ。読響をはじめ在京のオーケストラとすでに共演しているが、わたしが聴くのは今回が初めて。

 その演奏には特徴があり、あえて強い言葉でいえば、ニュアンス過剰なところがある。音楽のあらゆる箇所にニュアンスを見出し、それを表現した演奏。平たくいえば、音楽を機械的に流さずに、リズムの微妙な緩急により、音楽の陰影、明暗、ためらい、喜び、その他のニュアンスを彫琢した演奏だ。なので、部分、部分はとてもおもしろい。全体像は(少なくともわたしには)確かなものが残らなかったが、それはいまのところ二の次かもしれない。比喩的にいえば、鍵盤上でモーツァルトが踊っているような演奏だった。

 一方、ヴァイグレ指揮の読響は、やっぱりドイツの指揮者というか、拍を生真面目に刻む面があり、そのオーケストラのなかでピアノが自由に(多少は自己陶酔の匂いをまきながら、でもオーケストラに愛されながら)演奏するという趣だった。

 ブルックナーの交響曲第6番は、楽章を追うごとに、オーケストラの音がまとまった。第1楽章は平板だったが、第2楽章アダージョは(とくにその後半では)弦がよく鳴り、第3楽章スケルツォでは金管がパンチのきいた音で鳴った。そして第4楽章フィナーレではオーケストラが一体となり、充実した響きの名演となった。

 ヴァイグレのブルックナーは、ずっしりしたドイツ風のブルックナーではあるが、けっして重厚長大なブルックナーではなく(ときにテンポを落とすことはあっても)、すっきりした造形感を失わないブルックナーだ。その演奏と、そしてなによりもこの時期に来日したことへの感謝と称賛から、聴衆は熱い拍手を送った。
(2020.12.9.サントリーホール)
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