Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

新常態のオーケストラ

2020年07月23日 | 音楽
 各オーケストラが演奏活動を再開しているが、客席は前後左右を空けているので、最大でも定員の半分しか入らない。わたしのような聴衆には、コロナ禍でないと味わえない贅沢なのだが、オーケストラの経営者には厳しい条件だろう。いったいぜんたい、それでも演奏会を開いたほうがいいのか、それとも演奏会を開けば開くほど赤字が増えるのか、素人には見当がつかない。

 計算上では、チケット代金を2倍にするか、昼夜2公演にするかして、収入を確保する道はあるが、どちらも現実的には難しいだろう(昼夜2公演は人気公演なら可能だろうが)。そうだとすると、歯を食いしばって、いまの方式を続けるしかないのか。

 そもそも、コロナ禍はいつまで続くのか。先日、日本循環器学会学術集会でおこなわれた山中伸弥教授と西浦博教授の対談では、西浦教授は、明確な言い方を避けながらも、少なくとも数年のスパンで見なければならないことを示唆した。そうだとすると、早くても来年の今頃までは、ひょっとするともっと先まで、オーケストラはいまの状態を覚悟しなければならないことになる。

 そうなった場合、聴衆の募金だけでオーケストラを維持することは難しい。では、他の業界のように、税金を使った「Go To」キャンペーンをやったり、(こちらは立ち消えになったが)「〇〇券」を配ったりできるのか。クラシック音楽業界にそんな政治力があるとは(残念ながら)思えないが。先般、超党派の国会議員が国に要望した「文化芸術復興基金」の創設は、その後どうなったか。かりに近いうちに創設されるとしても、それが各オーケストラを維持するに足るかどうかは予断を許さない。

 一方、オーケストラの楽員は、ソーシャルディスタンスの配置でのアンサンブルの難しさに直面しているのではないか。楽員は自分のパートの音を聴くだけではなく、全体の音を全身で感じながら演奏している。それが弦楽器の場合で1.5メートル、管楽器の場合で2メートルの間隔を空けた場合、勝手が違うのではないか。それを克服するには時間が必要だろう。

 プログラミングの問題もある。新常態がこれから1年、またはそれ以上続くとしたら、いつまでもリハビリ・プログラムを続けることはできない。各オーケストラがあまりやってこなかった前期古典派の音楽とか、第一次世界大戦後に盛んに書かれた小編成のオーケストラ曲とか、またはマーラー、ブルックナーとか。わたしはフィンランドのタピオラ・シンフォニエッタがマリオ・ヴェンツァーゴの指揮で録音したブルックナーの交響曲第0番、第1番、第5番のCDが好きなのだが、室内オーケストラでブルックナーを聴くと、和声の進行が大編成のオーケストラよりも明瞭に聴こえるときがある。
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