Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

新国立劇場「エウゲニ・オネーギン」

2019年10月02日 | 音楽
 新国立劇場の新制作「エウゲニ・オネーギン」は、歌手もオーケストラも演出もよかった。歌手はオネーギン(ワシリー・ラデューク)、タチヤーナ(エフゲニア・ムラーヴェワ)、レンスキー(パーヴェル・コルガーティン)、グレーミン公爵(アレクセイ・ティホミーロフ)をロシア勢が占め、その他は日本勢で固める布陣。

 そのロシア勢がよかった。オネーギン役は、厭世的な気分には欠けるが、歌はしっかりしていた。タチヤーナ役のムラーヴェワは、わたしには想い出の歌手だ。2017年のザルツブルク音楽祭で「ムツェンスク郡のマクベス夫人」を観たとき、タイトルロールに予定されていた歌手が降板し、ムラーヴェワが代役に立った。そのときの見事な歌唱に、客席は沸きに沸いた。マリス・ヤンソンス指揮ウィーン・フィルの快演とともに、わたしの脳裏に焼き付いている。

 そのときのムラーヴェワは、体当たり的な熱唱だったと記憶するが、今回は余裕をもって声をコントロールしていた。ステージマナーにも落ち着きがあり、社交界の貴婦人となったタチヤーナを見るオネーギンの心境を(わたしも)味わった。

 レンスキー役のコルガーティンは、声に独特の細さがあるが、情熱的に歌った。グレーミン公爵役のティホミーロフは、深々としたロシアのバスで堂々と歌った。それを聴いていると、下降音型が網の目のように張り巡らされたこのオペラの中で、唯一上昇音型で書かれたこの役の異質性が印象づけられた。

 それに対して、日本勢は分が悪かった。オリガ、ラーリナ、乳母の3役は、乳母の竹本節子を除いて、ロシア勢と比べて声にギャップがあり、またコミカルな役柄として演出されたそれらの演技が、わざとらしく、底が浅かった。一方、合唱の澄んだハーモニーは特筆ものだった。

 指揮のアンドリー・ユルケヴィチは有能な指揮者のようだ。通り一遍の指揮ではなく、活きのいい音楽づくりをする。オーケストラ(東京フィル)もそれによく応えていたが、今一つ重かった。

 演出のドミトリー・ベルトマンは、基本的にはオーセンティックな演出を見せた。細かい点に工夫があり(第1幕の手紙の場でのオリガとラーリナのコミカルな演技とか、第2幕の決闘の場の演出など)、また多少の大胆さもあったが(第3幕の舞踏会の演出)、でも、もしこの演出をヨーロッパで観たら、「おとなしい演出だな」と思う範囲に止まっていた。具象的な舞台美術と照明は美しかった。
(2019.10.1.新国立劇場)
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