Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

プリーモ・レーヴィ「これが人間か アウシュヴィッツは終わらない」

2017年12月02日 | 読書
 イタリアの作家プリーモ・レーヴィ(1919-1987)の「これが人間か」を初めて読んだのは2008年のこと。当時の職場の役員にレーヴィの随筆集「溺れるものと救われるもの」を薦められ、それを読んで衝撃を受けた。そこで次に「これが人間か」(当時の題名は「アウシュヴィッツは終わらない」)を読んだ。

 レーヴィは第二次世界大戦中、レジスタンスに参加し、ドイツ軍に捕らえられた。ユダヤ人だったので、1944年2月にアウシュヴィッツに送られた。翌1945年1月にアウシュヴィッツが解放されるまで、同収容所で生き延びた。

 「これが人間か」はアウシュヴィッツでの体験を書いたもの。わたしはその過酷な体験に打ちのめされた。

 わたしは今年9月から大学時代の友人と読書会を始めたが、12月に予定されている第2回のテーマとして3つの作品を提案した。そのうちの一つが「これが人間か」。友人はそれを選んだ。わたしも再読した。

 2度目となる今回は、体験の過酷さはもちろんだが、それと同時に、文学的な厚みを感じた。記述の底に旧約聖書(とくに創世記)とダンテの「神曲」(とくに地獄篇)の世界観が横たわり、それをベースにしている点が印象的だった。

 その例は枚挙にいとまがない。むしろ全体を通してそうだといったほうがよいが、あえて例示するなら、レーヴィが強制労働に従事させられている化学工場の塔をバベルの塔に見立てた箇所。レーヴィは書く。「その塔が誇示している我らが主人たち(引用者注:ナチスドイツ)の誇大妄想の夢、神と人間に対する侮蔑、特に私たち人間に対する侮蔑を、私たちは憎む。」。

 再読する前は、本書を読書会のテーマとして提案したことに、少し引っかかっていた。本書は文学作品だろうか、それとも体験記だろうかと。だが、再読後、本書は文学作品だと確信した。たとえばドストエフスキーの「死の家の記録」がそうであるように、作者の体験を書いているが、深みのある文学作品だと。

 強制収容所とは何か。強制収容所の極限状態で、人間はどう行動するのか。それをどう考えるべきか。1946年の執筆当時はまだ知られていなかった強制収容所の実態を世に知らしめ、その意味を問う書。レーヴィは巻頭言で書いている。「暖かな家で/何ごともなく生きているきみたちよ/(略)/これが人間か、考えてほしい/(略)/考えてほしい、こうした事実があったことを。/これは命令だ。/(略)」。
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