Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ユトリロとヴァラドン展

2015年06月19日 | 美術
 シュザンヌ・ヴァラドン(1865‐1938)はモーリス・ユトリロ(1883‐1955)の母親だ。18歳でユトリロを生んだ。父親がだれかは分かっていない。シャヴァンヌ(1824‐1898)とかルノワール(1841‐1919)とかの名前が取りざたされている。

 ヴァラドンは、画家のモデルを務めるうちに、見よう見まねで絵を描くようになった。前記のシャヴァンヌ、ルノワールの他に、ロートレック(ロートレックとは同棲もしていた)、ドガなどの画家たちの仕事ぶりを(モデルをしながら)見ていた。まったくの独学だ。

 本展はヴァラドンとユトリロの作品を集めたもの。ユトリロの作品は見る機会も多いが、ヴァラドンは稀だ。楽しみにしていた。

 ヴァラドンが圧倒的に面白かった。作品のほとんどは肖像画だ。とくに惹かれたのは息子ユトリロを描いた「モーリス・ユトリロの肖像」(1921)だ。ユトリロ38歳の年。上着を着てネクタイを締め、髪は黒々とし、八の字ひげを生やしている。そんな伊達男がパレットと絵筆を持って、こちらを見ている。‘息子’というよりも‘男’を描いた作品だ。

 本展を見るかぎりでは、男性を描いた作品より、女性を描いた作品のほうが多い。どれも面白かった。3点だけ挙げると、老母を描いた「画家の母」(1912)。息子ユトリロの3歳年下の友人で、ヴァラドンが夫を捨てて同棲し、1914年に結婚したユッテル(1886‐1948)の家族を描いた「ユッテルの家族の肖像」(1921)。ユトリロが1935年に結婚した女性「リュシー・ユトリロ・ヴァロールの肖像」(1937)。

 どれもヴァラドンとユトリロの型破りな人生が投影されていて、興味深い。

 ヴァラドンに比べると、ユトリロは影が薄い――と思ってしまった。絵を始めた頃から「白の時代」までは(1920年頃までは)いいが、その後は緊張感が薄れ、最後は気の抜けた絵になってしまった。そんなことを言うと、ユトリロ好きには申し訳ないが。

 余談だが、ヴァラドンは1893年に(半年ほどだが)作曲家サティ(1866‐1925)と恋愛関係にあった。その頃の作品もあった。なるほど、才能のありそうな絵だ。サティもすでに「3つのジムノペディ」や「3つのグノシエンヌ」を書いていた。貧乏作曲家サティがヴァラドンを射止めることなど、できるわけもなかったが。
(2015.6.18.損保ジャパン美術館)

本展の紹介記事
コメント (1)
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