Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

三文オペラ

2014年09月26日 | 演劇
 新国立劇場の「三文オペラ」。JAPAN MEETSシリーズの第9弾だ。だから、ということでもあるのだろうが、演出の宮田慶子自身が述べているように、あれこれ手を加えずに、原作通り上演する試みだ。

 結果、どうだったか。じつは疲れてしまった。役者は皆一生懸命だった。熱演だったといってもいい。でも、この作品の、乾いた感性、突き放して物事を見るスタンス、そういった味わいが出てこなかった。

 今まで宮田慶子の演出には(新国立劇場で観たかぎり)どれも感心してきた。でも、今回は初めて躓いた。今までの肌理の細かい、丁寧な仕上がりは感じられなかった。作品との相性のためだろうか。宮田演出にはもっと重厚な、奥深い作品の方が向いているのかもしれない。

 もう一つの躓きの石は‘歌’だった。歌唱スタイルや歌唱力がばらばらなのだ。一人、ものすごくうまい人がいた。本格的なクラシック歌唱だ。どういう人だろうと思ったら、新国立劇場合唱団のバスのパートリーダーだった。どうりで――。でも、この作品には必ずしもクラシック歌唱は必要ではない。

 歌の中心は娼婦ジェニーを演じた島田歌穂だった。この作品にぴったりの歌唱スタイルだった。というのも、わたしのイメージはロッテ・レーニャ(クルト・ヴァイル夫人だ)の古い録音で出来上がっていて、そのスタイルに近いからだ。宮田慶子以下制作スタッフもそのことを意識していたのだろう、「海賊ジェニーの歌」は原作通りポリーに歌わせた後、ジェニーにも歌わせていた。しかもその歌をもって(第2幕の途中だが)休憩を入れるという念の入れ方だった。

 他の歌手は概ねミュージカル風だった。それも悪くはないが、この作品には微妙に合っていない。それ以上に困ったことは、歌が苦手らしい人がいたことだ。ご本人が一番よくわかっているだろうから、あえて名前は出さないが、その人の出番になるとハラハラした。そのことも疲れた一因だ。

 昔話になって恐縮だが、ウィーンでこの作品を観たことがある。ヨーゼフシュタット劇場。ベートーヴェンがその杮落しのために「献堂式序曲」を書いた劇場だ。古い、趣のある劇場だった。まさに大人の社交場だと思った。その劇場で上演された「三文オペラ」は、原作通り、なんの手も加えずに上演されたが、実に軽妙洒脱な味わいがあった。あの公演が忘れられない。
(2014.9.25.新国立劇場中劇場)
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