Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

旅行日記3:テンペスト

2014年02月15日 | 音楽
 トマス・アデス(1971‐)の「テンペスト」。キース・ウォーナー演出のこのプロダクションは2010年のプレミエのときも観たので、これで2度目だ。でも、全体の印象は鮮明に残っているが、個々の場面は意外に忘れていた。なぜだろう。

 2010年にこのオペラを観るに当たって、CDを聴いた。そのとき、引っかかることがあった。「愛はプロスペローの魔法を超える」という筋立てになっている点だ。シェイクスピアの原作ではそうはなっていない。プロスペローの魔法はすべてを支配する。けれども、このオペラでは、プロスペローの娘ミランダとナポリ王子ファーディナンドの愛は、プロスペローの魔法を乗り越える。なんて甘いのだろう、と。

 でも、その後、METライブビューイングを観たり、CDを聴き直したりして納得した。シェイクスピアの現代的な‘受容’として許容範囲だと思った。それに大体このくらいの改変はおとなしいほうだ。たとえばヤナーチェクの「マクロプロス事件」などは結末を変えてしまっている。

 今回、ファーディナンドとミランダの愛は、全体のディテールの一つにすぎないと気が付いた。その占める割合はそんなに大きくない。本筋はあくまでもプロスペローの心理だ。怒り、復讐、喪失、諦念といった複雑な心理がテーマだ。これはシェイクスピアの原作から外れていない。この台本は原作の本筋を外さず、しかも原作のなかの大事な場面をきちんと取り入れた、よくできた台本だと思った。

 音楽の様式もつかめ、その流れに乗れるようになった。今回わかったことは、――シェイクスピアの原作は不思議な音に満たされているが――その音の部分が、調性感のある音楽で書かれていることだ。たとえば怪物カリバンが歌う「この島は音でいっぱいだ」がそうだ。この部分はじつに美しい。

 このオペラは現代オペラの成功作だ、上質なエンタテイメント性を備えている、と確信できた。

 歌手はプロスペロー役が変わった。前回のアドリアン・エレートは飄々としたプロスペローだったが、今回のブライアン・マリガンは苦渋に満ちていた。アリエル役のシンディア・ジーデン(ソプラノ)とトリンキュロ役のクリストファー・ロブソン(カウンターテナー)は変わっていないが、声がだいぶ苦しくなった。

 指揮はサイアン・エドワーズという女性指揮者。各場面を克明に描出していた。実力派の指揮者か。
(2014.2.7.フランクフルト歌劇場)
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