Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

タトゥー

2009年05月22日 | 演劇
 新国立劇場で現代ドイツの劇作家デーア・ローアーの「タトゥー」を上演中だ。同劇場の「シリーズ・同時代【海外編】」の第3作で、同シリーズはこれで最後になる。

 この芝居は、パン職人の父親、ドッグ・サロンで働いている母親、学生の姉と妹の4人家族の話。この家族には秘密があって、父親が姉のほうの娘に性的虐待をしている。母親と妹はそれを見て見ぬふり。表面的には平穏が保たれている家庭だが、父親を除く3人は幸せではない。ある日、姉に想いをよせる若者が現れる――。

 これからご覧になるかたもいるので、以下の展開は控えるが、家庭内のおぞましい関係がテーマで、最初は私もちょっと引けた。けれども、似たような状況に苦しんでいる人もいるはずで、そういう人には切実な芝居だ。
 話の進展につれて、妹の性的関係の乱れが示唆されるが、それを切実に感じる人もいるだろう。

 作者のローアーは1964年生まれの女性で、だからというと短絡的かもしれないが、女性でなければ表現できない感覚――身体へのこだわり――があり、私はときどき、よい意味で、息詰まるような思いがした。

 一方、演出には疑問を感じた。たとえば今の女学生が「それってヤバクない?」というときの「ヤバク」は、妙に抑揚をそぎ落とした平板なイントネーションをもっていることがあるが、それと似た口調で全篇を統一していた点だ。
 その必然性を見いだせなくて戸惑った私は、念のため、帰宅後、原作を読んでみた(三輪玲子訳「ドイツ現代戯曲選21」論創社刊)。そこで分かったことは、この戯曲は短い言葉の連鎖でできていて、時代背景や社会情勢を消去した人工的な世界をつくっていること。そこに今の日本の一部の口調を持ち込んだことにより、余計なコンテクストを生じてしまったと感じる。

 また原作を読んで感じたことは、父親の圧倒的な支配だが、それが舞台では弱かった。
 原作では母親のみが、心理的な抑圧のため、始終身体を掻いているが、舞台では他の人物まで同じような動作をしていて、私には少々わずらわしかった。

 結局、「シリーズ・同時代【海外編】」はすべてみたが、どれも面白かった。その都度このブログに拙文をのせたが、第一作はホラーもの、第二作は人情もの、第三作は官能もので、それぞれが、エンターテインメント性を確保しながら、真正面から各々のテーマに取り組んでいた。
(2009.05.19.新国立劇場小劇場)
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