Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ムツェンスク郡のマクベス夫人

2009年05月11日 | 音楽
 新国立劇場がショスタコーヴィチのオペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」を上演したが、私はその最終日をみた。

 このオペラは19世紀のロシアの田舎町で起こる殺人事件をえがいたもの。その地方では権勢を誇る商家の嫁のカテリーナが、使用人のセルゲイとできてしまい、舅のボリス、夫のジノーヴィを殺して、セルゲイと結婚することになるが、披露宴の最中に夫殺しが発覚し、警察に捕らえられる。シベリアに送られる途中で、セルゲイが若い女囚に手をだし、絶望したカテリーナは女囚を道連れにして川に身を投げる。

 演出はリチャード・ジョーンズで、もともとは2004年にイギリスのロイヤル・オペラのために制作したプロダクションだが、それを今回レンタルしている。
 これは、第1幕から第3幕までの浅薄・狂乱のストーリー展開と第4幕のシリアスな絶望が、ショスタコーヴィチの音楽と共鳴していて、ひじょうに優れた舞台だと思った。
 細部も創意に富んでいる。たとえば第3幕の披露宴の場面では、壁に長いキュウリとその両側に丸いリンゴ(?)2個がぶらさがっていて、この結婚の卑猥さを暗示している。宴たけなわの頃、殺された舅ボリスの亡霊が現れ(これはカテリーナにしかみえない)、シェイクスピアの「マクベス」を思い出させる。警察が踏み込んでくるが、手引きしたのは女中のアクシーニャで、してやったりという顔をする(使用人の恨みの暗示)。
 このような創意工夫は、この場面だけではなく、全篇にわたっていて、数限りない。いずれも台本にはないもので、演出家の豊かな発想によるものだ。

 歌手も、主要な役どころの3人の外国勢はもちろん、脇を固めた日本勢も、皆さん文句のないできだ。煩瑣になるといけないので一人ひとりの名前は控えるが、それぞれが役に求められた歌唱を十分にこなしていた。新国立劇場合唱団もいつもながら文句なし。
 オーケストラは東京交響楽団が担当したが、猛スピードで駆け抜ける部分でも破綻がなく、音が荒れない。第4幕のシリアスな沈潜の音楽では、高度な集中力をきかせた。この日は最終日だったせいか、すっかり音楽を掌中に収めた演奏だった。
 指揮者のミハイル・シンケヴィチは1969年生まれのロシア人で、現在はマリインスキー劇場の音楽監督代理をつとめているとのことだが、このオペラを熟知していて、きかせどころを心得ている。

 この上演は、作品の本質――若き日のショスタコーヴィチの才気煥発な音楽と怖いもの知らずの批判精神――を正当な姿で示すものだった。新国立劇場は昨年もツィンマーマンのオペラ「軍人たち」を海外のプロダクションのレンタルで上演して優れた成果をあげたが、それにつぐ成果だと思った。
(2009.05.10.新国立劇場)
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