アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

94 アチャコの京都日誌 再びの京都 碑 第3弾 円山応挙

2017-07-21 08:04:14 | 日記

再びの京都 石碑シリーズ 第3弾 

円山応挙 邸宅跡

ご存知 日本画の巨匠 近年は 幽霊画で有名な 江戸時代中期の人だ

同時代 この辺りは 画家の巨匠が 多く居を構えていた

応挙の弟子筋にあたる 呉春が始まりの 四条派も 四条通を中心に 活動していた

そして 今が 旬の 伊藤若冲は 一筋北の 錦通りの八百屋の跡取りだった

正にこの辺りは 江戸中期の1700年前後 後世 巨匠と言われる人たちが 行き来していたのだ。

明治以降 塩川文麟や幸野楳嶺 竹内栖鳳、上村松園など ほとんどの日本画家につながる一派だ。

 

さて その場所は 四条通の堺町南東角 やや東に ある。

みずほ証券京都支店のある場所だ。(角は日興証券 斜め向かいは野村証券)

どんな経緯で みずほ証券があるのか不明だが 古くは 大商証券の京都支店が 自社ビルを保有していた

大商証券は 山叶証券 玉塚証券と 合併して 新日本証券となった。(1967年の事)

新日本証券は和光証券と合併して 新光証券になり(2000年の事)

銀行系の 興銀証券 富士証券 第一勧銀証券とが合併した みずほ証券と合併し

そのまま みずほ証券と 名乗り それに  勧角証券の みずほインベスター証券が 合流し

現在の みずほ証券となっている。勧角証券は 以前 勧業角丸証券と言っていた。

三菱UFJ証券は ・・・・。ううん? もう良いですか?

分かります??

そういえば 近所にも たくさん証券会社あったけど みんな どうなったのだろう?

ずっと 円山応挙は 見守っていたのだろうか?