アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

900 新シリーズ 令和に巡る京の神社  ⑬  金札宮

2022-01-30 09:36:03 | 日記

第13番 金札宮

 

京都市伏見区鷹匠町八番地

主祭神    天太玉命(白菊明神)

ご利益 金運

人はしばしば露骨に金運のみを願う。恵比寿神社は「商売繁盛」なので、商いをするという自助努力もあるが、「金運」と言うと、馬券や宝くじの当選祈願など努力せず「あぶく銭」をせしめる魂胆が見える。そのようにズバリ「金くれ」と言わんばかりの神社がある。まずは、伏見区のこちら金札宮だ。

伏見区役所のすぐ近くにある。金札宮は「きんさつぐう」と読み、創建は、平安以前の750年と、このあたりでは最も古い神社の一つだ。その後、豊臣秀吉の城下町造成により、伏見城中に移され、江戸時代になり、現在地に移転された。

こちらには以下の縁起が伝わる。観阿弥の作である能の謡曲「金札」で、桓武天皇の平安遷都の際、伏見の里に社殿造営のために勅使が下向した時、天から金の御札が降ってきた。その御札には天太玉命がこの国を護るため、この地に住むと書かれていて、その神威を示し天下泰平を讃えたと言う。

また、さらに古く孝謙天皇の時、伏見久米の里に翁が居て、白菊を植えて楽しんでいる。不思議に思い問うと、「吾は、太玉命で天下の豊秋を喜び、年久しく秋ごとに白菊を賞でて来たり、もし干天で、稲が枯れる時には白菊の露を潅がむ。」と、手に持った白菊を打ち振るうと、たちまちにして、清水が湧き出てきて尽きる事がなかったと言う。さらに、「人々一度この白菊に霑えば、たちどころに福運が着て、家運は長く隆盛し、子孫繁栄し、火災の禍から除かれるであろう。」と、この奇端に驚き天皇は事のほか喜ばれ「金札白菊大明神」の宸翰を与え社殿を造営したと記録されている。前出の話共々、神話や創作の世界であるが、天照大神の岩戸伝説にも表れる太玉命の神霊を称えたものと思われる。

金札は瑞兆を表わすが、現在では直接的に「金運」を標榜する。ならばしっかりいつもより時間をかけて手を合わせる。

とおりの向かいには「大黒寺」があり、幕末、寺田屋事件の殉死者有馬新一など薩摩藩士たち、伏見騒動で首謀者とされた文珠久助の墓のある寺だ。どちらも拝観料などは要らない。気軽に散策できる。


899 新シリーズ 令和に巡る京の神社  ⑫  三宅八幡宮

2022-01-28 10:49:59 | 日記

第12番 三宅八幡宮

 

京都市左京区上高野三宅町22

主祭神    応神天皇

ご利益 夜泣き、安産、学業成就の他、虫退治の神として害虫駆除

神社にお参りすると、子供のよだれかけや、赤ちゃん用の人形などが大量に奉納されている光景を見る。地蔵菩薩を祀る寺院などには必ず見かけるが、ここ、三宅八幡宮はそれらに加えて、小さくてカラフルな陶器の鳩人形があらゆる場所に置いてある。扁額の「八幡宮」の八も鳩が向かい合っているように見える。本殿両側には、狛犬ならぬ狛鳩が置いてある。

さて、ここは言うまでもなく、子供の守り神として「かんの虫封じ」、「安産」、「学業成就」などに加えて「虫(害虫)退治の神」とも言う。勿論、疳の虫とは、子供がグズルことを言うのであって体内に虫がいるわけではない。昔の人は、原因不明の体調不良は「虫」のせいにした。「はらの虫」が収まらないとか、「むしやしない(小腹が空いたときにちょっと食べる事)」とか言った。それが害虫駆除にもご利益があるとなれば、雨やみが、眼病みに転じるなどの「しゃれ」である。別名「虫八幡」とも呼ばれる所以である。

由緒書きによれば、このあたりを本拠地にしていた小野氏の妹子が、遣隋使として隋に赴いたとき病気になった。宇佐八幡宮に祈願するとたちまち病気が治り無事帰国することが出来き、それで帰国後に、宇佐八幡宮を勧請し建立したのが始まりだという。造営当初は以前紹介した崇道神社の摂社伊太多神社の境内にある末社の一つとして建てられたようだ。

また、境内には比叡から八瀬を経た良質な水が流れ出ていて、手水や庭園の池水を満たしている。確かに、贅沢にも池の噴水は人がいなくてもいつも勢いよく噴き出ている。京都は市中でも飲水に耐えうる清水が湧き出ているが、こちらは水源に近くさぞかし美味い水だろうと思われる。(飲まなかったのは、昨今の感染症対策の為柄杓が置かれていなかった為。)周辺は、岩倉にも近くまた、大原への街道沿いでもあり古来より重要拠点であったようだ。洛中を離れ隠棲する高級貴族がこのあたりの神社や寺院にお参りする姿が想像される。政争に敗れたり高齢の為引退するなど複雑な事情を抱えて訪ねる姿がだ。


898 新シリーズ 令和に巡る京の神社  ⑪ 八大神社

2022-01-27 11:04:37 | 日記

第11番 八大神社

 

京都市左京区一乗寺松原町1

主祭神    素盞嗚命 稲田姫命 八王子命

ご利益 旅行安全・必勝祈願・合格

左京区一乗寺辺りから白川通りを東に入るとすぐ大きな鳥居が見えてくる。そこから数百メーター歩いて境内に至る。途中は急な登坂で、旧境内であり所縁の方たちの家かも知れない。

ここ八大神社は八坂神社と同じ祭神を祀り「北の祇園社」と呼ばれ5月には祇園祭に似た例祭を行う。修学院離宮に近く江戸時代の天皇(後水尾天皇・霊元天皇・光格天皇)が度々訪れている格式の高い神社である。社頭横の扁額「八大天王」は、近くに詩仙堂がある為か、石川丈山の筆による。

また、宮本武蔵の吉岡一派との果し合いが行われた場所である。すぐ近くの「一乗寺下り松」において多数の敵と渡り合う、その前に当神社において勝利を祈願しようと訪れたが、「我神仏を尊びても神仏を恃まず。」と、手を合わさず敵に向かう。信仰の本質と自己の確立を表わす名言である。現在、「下り松古木」として本殿横に大事に保存さている。なお、宮本武蔵ゆかりの寺院としては、東寺の塔頭観智院に自作の絵画「鷲図」「竹林図」がある。剣も筆も名人の域だった。神社のすぐ隣には、「詩仙堂」、坂を登れば遠くに「狸谷山不動尊」が見える。その他、「曼殊院」や「圓光寺」「金福寺」など名刹が多く、散策には最高の地域だ。

武蔵が諸国を修行に旅したことから、旅行安全のお守りを買った。なぜか、帰り道修行に出ようと思った。「笑」

最近インスタ映えを狙ってこのような「手水」が多い。


897 新シリーズ 令和に巡る京の神社  ⑪ 崇道神社

2022-01-26 12:32:32 | 日記

 

第10番  崇道神社

京都市左京区上高野西明寺山34

主祭神 崇道神社

 

時として強い霊力を感じるいわゆるパーワースポットがある。

崇道神社は早良親王を主祭神としているので、霊力が強いのは当然だ。その理由は平安京遷都前の長岡京造宮時、藤原種継が暗殺された事件で、早良親王が首謀者として監禁の後、悶絶死した事件にある。その後の経緯から皇位継承争いがその真相であり冤罪は明らかだった。しかも、事件後皇族や関係者に原因不明の死者が出る。結果、その霊を慰めるため貞観年間(859年~877年)に創建されたのが崇道神社で、大正4年に近隣の出雲高野神社・伊多太神社・小野神社の3社が合祀され今日に至る。 白川通りから大原に向かう街道沿いにある。近くには、蓮華寺、三宅八幡宮、近年人気の瑠璃光院など見どころは多い地域だ。

境内社である小野神社(祭神:小野妹子・小野毛人)の、には国宝の「金銅小野毛人墓誌」があり奈良時代の墓誌が江戸時代に発見された。崇道神社背後の山中で発見されたものだ。参道途中からそこに向かう山道があったが、残雪の急な傾斜の道が見えたので今回は断念した。

正面大奥の崇道天皇を祀る社に参拝し、社務所によって「由緒書き」を頂きしばし神職と話しした。周囲に漂うただならぬ霊気を感じながら、近年特にパワースポットとして有名になって訪れる人も多くなったとおっしゃっていた。早良親王の荒魂が再び暴れないように願いたいものだ。来た道を振り返ると知らないうちに相当な高地に来たことに気づく。御魂は遠く平安御所を見下ろしているようにも思う。崇道天皇を祭神にする神社は、藤森神社、上御霊神社などあるが、崇道天皇のみを祭神にするのはここだけである。

なお、もう一つの摂社伊多太神社は、当地の氏神様で「湧水の神」である。伊多太は、イタタ、イイタ、イタテと読み「ユタテ(湯立)」との洒落(言葉合わせ)かと思われる。クガタチ(盟神探湯)がその原型かと言われる。それは古代日本で行われていた神明裁判のことで、ある人の是非・正邪を判断するための呪術的な裁判法である。一方、湯立は巫女が沸騰した湯を周囲に振りまき厄を払う儀式となっている。なお、伊多太はいたた(痛た)となり、痛み軽減の御利益があるとされている。神社の御利益は洒落で決まるのである。

本殿参道の西側に鎮座している。コロナ禍の国民の「心の痛み」の軽減を心からお祈りした。極寒の中、帰路冷たい風が、何か快く感じた。


896 新シリーズ 令和に巡る京の神社  ⑩ 貴船神社

2022-01-25 08:02:56 | 日記

第9番 貴船神社

 

京都府京都市左京区鞍馬貴船町180

主祭神    高龗神

家内安全、商売繁盛、心願成就、厄祓い

参道

左京区は北に広い。比叡山電鉄(叡電)貴船川口駅から徒歩20分以上歩く。周辺は料理旅館が多くあり夏には「流しそうめん」をやっている。貴船川(鴨川)の源流に近いこのあたりでは真夏でも水はかなり冷たい。流れてくるソーメンを奪い合うこのような趣向はコロナ禍で絶滅する料理(?)の一つかも知れない。

 

周辺は、鞍馬寺の境内である鞍馬山の裏手口でもあり、健脚は鞍馬寺、由岐神社、そして貴船神社の奥宮へと歩いて踏破するようだ。筆者は、間際まで車でお伺いした。冷たい雨の中、たずねる人も少ない頃にお参りした。

昼間でも暗い石段を登り、さらに奥宮に行く。

黄船?

反正天皇の時代の創建だが、初代神武天皇の母である玉依姫が、黄色い船に乗って淀川をさかのぼり当地に至ったと言う伝説がその由来なので誠に古い。黄船が貴船。さらにすべての根源を表わす「気生根」とも言う。従って発音は、「きふね」である。奥宮にはその黄船が苔むして石船(いわぶね)になったものが現存する。従って、水の神様で、全国に約450社ある貴船神社の総本社である。

神木

歴史が古い為もあり、神社のあらゆるものの起源とも言われる。まずは、「絵馬発祥の地」。水の神様なので「祈雨の神」として雨乞いには「黒馬」、止雨には「白馬」を奉納し祈願した。後に生き馬から「立板馬」(馬の形に着色した板)を使うようになり「絵馬」の原型となる。さらに、「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」に貴船明神が貴船山に降臨したとの伝説から、「丑の刻参り」の原点もこちらのようだ。平安の昔には深夜にここにお参りするのが習わしだったようだ。今、境内に佇み思う。筆者は深夜に一人お参りする勇気はない。昨今は、「良縁・縁結び」などの御利益もうたっている。

大吉

有名な「水占い」をやって見た。枠だけ印刷されてほぼ真っ白な紙を500円でいただく。境内の清水につけると吉凶が現れる。中吉と出た。恋愛運大いに吉と。(もう遅い。)

このように霊験あらたかな当社だが、占いする人の年齢までは分からないようだ。さらに、明治以前まで上賀茂神社の摂社であったことは意外だ。途中、社殿が焼失した為とも言われている。

また、和泉式部の歌碑も有名でぜひ見ておきたい。男(夫の藤原保昌)に疎んじられている頃、貴船神社に参拝し、川に蛍が飛んでいるのを見て詠んだ短歌として、

「ものおもへば 沢の蛍も わが身より あくがれいづる 魂たまかとぞみる」

という歌である。後拾遺和歌集に収録されている。その頃か、和泉式部は巫女に縁結びの祭を行わせた。巫女は、和泉式部の着物の裾をめくって陰部を露出させる作法をすることを迫った。和泉式部はそれを拒否した。その様子を見た夫の保昌がその態度に感じ入って、その後は夫婦の寄りが戻ったという話も伝わる。セクシーな格好で男の気を引くのは今も昔も不変の手口なのか。また、鎌倉初期の源義経や弁慶の時代も実感する為にも、鞍馬寺とあわせて周遊するコースをお勧めする。天気の良い日に。