アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

857 あちゃこの俺にも言わせろ!  白鵬に引退勧告

2021-07-19 08:03:54 | 日記

白鵬、意表つく立ち合いで正代を浴びせ倒し…千秋楽で照ノ富士と全勝 ...

さて、大相撲。もう観戦するのを辞めようか。白鵬は44回を越える優勝を誇るけれど、相撲の伝統に汚点を残しつつある。今場所14日目と、千秋楽の2番は決定的だ。14日目の大関正代戦は仕切り線から大きく後退し徳俵に近い近辺で立ち上がった。卑怯である。舞の海がたまにやっていた奇策だ。横綱が大関にやるような手ではない。千秋楽は、最低の相撲だった。立ち合いのかち上げとはり手。いや、あれはエルボーバットと、ピンタだ。相撲の禁じ手は、髷をつかむ、こぶしで叩く、目つぶしなど限定的なものしかない。他は、自由だ。むしろ形式美を重んじている。地位の低い者が、大関や横綱に対して挑む場合に限り許される奇襲はあっても良い。しかし、スポーツではない神事である相撲には「勝ち方」が問われる。まして心技体の充実を認められた最高位の横綱である。もう引退させるべきだ。

白鵬の相撲が批判されるほど「荒々しい」事情 | スポーツ | 東洋経済 ...

そこまで勝負にこだわるのは素晴らしいと、言う声もある。ならばみんなけんか腰で渡り合い、勝てばガッツポーズをし、雄たけびを上げる。それを相撲というならば、筆者は二度と相撲は見ない。しかし、他の相撲取りが弱いという意見には返す言葉はない。悲しいかな、ボクシング以上のハングリースポーツの相撲は、遠くモンゴルの青年には地位と財力の宝庫に見えるだろう。中途半端に豊かになった日本人には、裸に褌を締める姿に憧れはないのだろう?

しかし、来場所から2人の横綱の優勝争いを見せられることになるのか。正代・貴景勝・高安・そして朝の山よ、帰って来いよ。それまで相撲ファンはやめる。

 


856 あちゃこの京都日誌  令和に読む平安の天皇 続編 初代から 

2021-07-09 08:22:35 | 日記

歴代天皇記

神武天皇 - Wikipedia

初代 神武天皇

父 彦波瀲武鸕ガ草葺不合尊

母 玉依姫

后 媛蹈鞴五十鈴姫命

前711年~前585年 崩御127歳

初代天皇を示す「始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)」が正式名だ。これは、10代崇神天皇の「御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)」と同じなので、神武天皇は日本書紀の創作で、初代天皇は崇神天皇という説が有力だ。また、127歳という長命さは、次に続く9代の天皇もほぼ100歳を超える年齢で崩御しているので、「神話」の世界であり現実味がないとされ、神武以降の8代天皇を「欠史8代」と呼んでいる。しかし、実在しなかったという証明は難しく、今の半期を1年とする半歴説もある。(日本の暦にはお彼岸など年2回の行事が多いのはその名残か、また春夏秋冬の四季をそれぞれ1年とする4倍歴説もある。)いずれの国でも「国の大本」は神秘に包まれているもので、実在かどうかの議論そのものが楽しい。

また、天皇と言う称号も、神武という尊号も後世の学者が決めたことで、まだまだ有力豪族の一人でしかなかったと考えるのが自然で、後世大和政権と強い勢力を世に知らしめるために、天武天皇の時代「日本書記」や「古事記」で、権威付けを行ったのだろう。壬申の乱直後のまだまだ万世一系の皇室の黎明期の事である。

なおこの天皇は、アマテラスの皇孫瓊瓊杵尊の曽孫にあたる。(アマテラスからは6代目)15歳で立太子したという。皇太子とは「皇嗣たる皇子を皇太子という」ので、その前の大王がいたのか、若くして大王の器と認められそう言ったのか。その後45歳の時に、産まれた日向の国から東を目指して「東征」の旅に出る。苦難の戦績を越えて52歳で大和の地(現在の橿原神宮あたり)に宮殿を定めた。

神話と実話の混在する時代が続くが、古代の歴史ロマンと思えば楽しい。


855 俺にも言わせろ!!

2021-07-08 08:54:11 | 日記

進退をかける。

大相撲 名古屋場所3日目 横綱 白鵬 3連勝 | 大相撲 | NHKニュース

白鵬が「進退をかける。」覚悟で、場所に望んでいる。しかし、昭和の日本人が思う「進退」とやや違うのではないか。「進退」とか、「去就」をかけるのは、その地位が高ければ高いほど生き死にを意識した悲壮感を漂わせていた。

今の白鵬には、自信なのか慢心なのか、悲壮感は感じない。以前から相撲の所作を指摘する向きは多い。手刀を切る。(懸賞金の受け取り方に神妙さがない。)柏手を打つ。(土俵入りや取組前に手を合わせるが神への敬いの気持ちがない。)発言。(横綱らしく重厚さがない。)など、批判も多い。

2ch大相撲 : 【※画像あり】千代の富士の筋肉やばすぎん?

要するに形式美に欠けるのだ。進退をかけるのであれば、黙して語らない程凄みが増す。稀勢の里は現在は非常に雄弁な解説者だが、現役の終盤は毎場所進退をかけた戦いだった。何も語らなかった。1勝ごとに観客が喜んだのは、日本人であることと、判官びいきの面が大きい。

一方、進退をかけた横綱に挑む姿勢がない。はっきり言って世代交代を示す絶好の機会なのに情けない。大鵬には、北の富士や玉の海が挑んだ。千代の富士には、貴乃花が引導を渡した。朝青龍には、白鵬自信その引退を早めさせた。

高安に第1子誕生、妻の演歌歌手・杜このみが発表「頑張らなければ ...奥さんは「金星」

貴景勝の休場により、照ノ富士の綱とりしか興味が出ない。つまらない場所になった。まさか、休場後出て来た高安が全勝(13勝)して奇跡の大関復帰しか、筆者には興味がわかない。


854 あちゃこの京都日誌  小室問題

2021-07-06 14:23:58 | 日記

 終局 小室圭問題

 

京都御所に行かれたことのある方は、お分かりかと思うが、京都御苑(周囲1キロ程度の市民出入り自由の公苑)も、御所(禁裏と呼ばれる以前の天皇の居住空間)も、大きな石垣に囲まれている訳でも、深い堀に守られているわけでもない。これは、中国の紫禁城や欧州の王族の宮殿と決定的に違う点だ。天皇と市民との間には、ひたすら国家国民の平和を願う天皇(皇族)に対して、それに敬意をもって敬い奉仕する市民という関係で成り立っている。従って、天皇とは攻め滅ぼして奪うものではない。当然、頑丈な城壁で守るものではない。江戸時代以前には、大嘗祭など重要儀式には市民が自由に御所に出入りし見物したという記録が残っている。また、光格天皇の時代には、御所周辺を「お千度参り」と称して、飢饉による窮状を訴える為巡り歩いたという事実もある。あくまでも平和的な行動であり天皇への敬意の延長に行われたともの思われる。その時、天皇や上皇からは、差し入れ(リンゴや水)を行うなど施しをしている。結果、幕府も無視できず大量に「米の在庫」を放出している。世は、一揆や打ちこわしの時代に、京都市民が決して暴動ではなくこのような行動に出ることは、天皇と市民(庶民)の関係性を知る貴重な例である。

以上のように、天皇(皇室)の歴史を考えると、皇族には、納税や就労の義務はないが経済的生活の保障は十分にされている。選挙権もない。姓もない。筆者は、憲法の縛りもないと解釈している。従って、結婚相手を選ぶ自由には一定の不自由があって当然と考える。「婚姻は両性の合意による。」という秋篠宮の御発言の趣旨は、我が娘眞子さまが、一般国民になるのなら(皇室を離脱する覚悟があるのなら)結婚は自由だと、おっしゃたのだ。つまり、皇室にいる限り自由はなく、その代わり納税義務も就労義務(強制ではないが)がない。さらにはマスコミからも一定程度守られる。従って、あの御発言は、皇室を出て自らの立場は自分で守る覚悟まで求めたものと解釈すべきだ。そのように民間人ならば、結婚も離婚もどこに住むのかも自由なのだから・・・。

先に、御所に城壁はないと書いたが、それは皇室の方は「自らの幸せより国民の幸せを優先する。」特殊な方々だからと、国民の大多数が認めた存在であればこそ成り立つ関係なのだ。平成の天皇は美智子上皇后さまと自由恋愛だったか?今上陛下は雅子さまと自由恋愛だったか?それはとても難しい問題だが、少なくとも国民の大多数が大歓迎したことは間違いない。当時の周辺(宮内庁など)が、国民の賛同を得られないかも知れないお相手だったらどうしただろうか?それは、今日詮索せず知らない方が良いかも知れない。あくまでも皆様が最高の御判断をした結果だったと思う。

このように、国民と皇室の信頼関係を損なう可能性のあるお相手とは結婚できない、その程度の「不自由」は、受けとめて頂かねばならない。すでに後に引けない段階になった今日、眞子さまがこの結婚をあきらめても、その後新たなお相手を探すのはしばらく難しい。神秘性を残している日本の皇族と言えどもスキャンダルは、いずれ英国王室のように話題になる時代が来るのだろうが、出来れば我々の生きている時代には無しにしてもらいたい。早々に、解決し皇室典範改正議論に影響しないようにせねばならない。この事も含めてより良い御判断を切に期待する。


853 あちゃこの京都日誌  ④ 渾身のブログ

2021-07-05 08:31:02 | 日記

④臣籍降下宮家の復帰問題

直近の皇室の相続図を示した。秋篠宮が現在「皇嗣」であり継承権の第1位だ。そして悠仁親王殿下がその後を継ぐ。大変不遜だが、その後男子誕生がなければ皇嗣断絶の危機である。最悪を想定して手を打つのが政治だ。それなのに政治は何もしない。

そこで、右に江戸時代の最初の後水尾天皇から118代の後桃園天皇までの継承経緯を示した。横は兄弟、縦は親子関係である。109代の明正天皇と117代後桜町天皇は女性である。明正天皇は、徳川秀忠娘和子との子なので、徳川家から見ると徳川女系天皇である。重要なのは、後桜町天皇で、桃園天皇の姉で、甥の後桃園天皇へのつなぎの天皇である。しかし、この方は、女性でありながら早くから天皇即位を想定した教育を受けていたと思われる。また、113代東山天皇の時代に、新井白石が皇統の危機を予期して閑院宮という新しい宮家を創出している。果たして、後桃園天皇が早世し遂に後継者のいない皇室の危機となった時に、政治が打つ手を打っていた為、閑院宮から東山天皇を曽祖父に持つ光格天皇が即位し、しかも傍系で特に君主教育を受けていない為に、後桜町上皇が継続して、新天皇の訓育に努めたのである。

このように政治の正しい判断のもと、皇室の継続は保たれた。翻って現在の政治家は何をしているのだろう。上記系図には、東久邇宮家を例に記載してみた。現当主は民間人で詳細情報は差し控えるが、信彦王のお子様で4代目になる。閑院宮から即位した光格天皇は3代目でやや遠縁になるが、立派な男系男子である。今上陛下の御養子になるか、秋篠宮家の養子になるかいずれも検討の必要があろう。勿論、ご本人の御意思を優先すべきだが、政府が誠意をもって説得するなど、行動を起こさないと決して解決はしない。

なお、「『皇族たちの真実』竹田恒泰氏2006年小学館」によると、東久邇宮家以外には、竹田宮家などには執筆当時8名の未婚男子がいるとの事だった。竹田氏は皇統が断絶の危機に至らないことを切に希望することを前提に、元皇族の責任というものを以下のように書いている。「もし旧皇族といわれる11宮家の子孫が皇室に復帰することと、皇統断絶(の解決)が直接結びつくような状況が生じたならば皇室の尊厳と存在意義を守り抜くために、旧皇族の男系男子は責任を感じなくてはならない。」と述べ、特に旧皇族の実系による子孫のうち自分も含めた8名の(当時)未婚男子は、「それぞれ身の内に責任を感じるべきである。」と強調して書いている。さらに、歴史的にそうして来たように、「傍系男系男子が皇籍に復帰するにあたり、内親王(天皇の皇女)か女王(皇室男子の女子)との結婚が伴うべきならば、そのようなご縁のある人に皇族復帰をお願いするのが天意に従うことになる。」とも言っている。現状の市民感情にはなじまない話だが、雲上人の世界である元皇室の気概を期待したい。

竹田研究会

因みに、皇室の方々には、姓はない。どの国の王朝にも王様の「姓」はある。姓がなければどの時代のどの王朝かわからないからだ。例えば、中国の清王朝は愛新覚羅という。しかし日本の皇室はアマテラス以来、王朝の交代がない(ことになっている。)ので、姓は要らない。今の陛下という意味の今上陛下で良いのである。このように世界でも稀有な存在の日本の皇室を断絶させてはならない。