アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

273 アチャコの京都観光日誌  八大神社  宮本武蔵悟りの地  北祇園社

2018-01-31 08:41:18 | 日記

八大神社は、狸谷不動尊から降りて来たら左手にある。隣が詩仙堂、前の通りが曼殊院通り、修学院も近い。

狸谷から、徒歩で降りて来た。すでに寒いながらもやや汗ばんできた。

極寒の発汗。


こちらも御所の鬼門の守護神である。祭神は、スサノウの命・奥さんの櫛稲田姫・そして8人の王子たち。

八坂神社と全く同じだ。八坂を南祇園社に対して、こちらを」「北祇園社」という。

とても趣深い神社なのだ。

雪の正月HPより

こちらでも、一年間に数多くの祭事が執り行われるが、「特殊神事」と呼ばれる4つの神事が興味深い。

その中で、湯立て神事に注目したい。

 

「湯立て神事」の画像検索結果「湯立て神事」の画像検索結果「湯立て神事」の画像検索結果いずれも湯立て神楽の様子

一般的には、面や装束をつけた舞い手が釜湯を用いて奉納の舞いを踊る神事。

宮司や神職による釜湯を使った単純な儀式の形式をした湯立て神事も含むようだ。

要するに、熱湯を浴びて厄を払うのだが、クガタチ(探湯誓湯)が原点だ。

太古の日本固有の裁判の仕方だ。熱湯に手を入れて正しい人間はやけどをしない。やましい人間はやけどをする、というのだ。

太古だけではなく、足利義教の時代(室町中期)にも行われていたらしい。ただし義教は」「籤将軍」と言われた将軍で、

元々将軍につく可能性のない人であったのを、たまたま籤で選ばれた人で、その為かどうか暴虐将軍であったようだ。

熱湯に体ごと浸けさせて死者が出たとも言う。

そのクガタチの儀式を残しているのが、湯立神事なのだ。日本の文化風習は奥深い。

ここでは、湯を煮えたぎらせ、無病息災や五穀豊穣などを願うのである。別名を「湯神楽(ゆかぐら)」とも言う。

そして、撒かれた湯(その飛沫)を浴びると無病息災になるとされる。

 

また、宮本武蔵の修行の地としても有名で、この神社で吉岡一門との決闘の勝利を願ったとも、

願おうとして自分の弱さに気づきやめたとも言われる。従って「武蔵悟りの地」と言われる。

そのモニュメントが境内にあった。

残雪の残る寒い境内。

なお、武蔵ゆかりの寺として観智院も押さえたい。こちらは、一条通千本の大将軍八神社。

京都検定的には、似かよった名前の神社で紛らわしい。

(涙)

スモン石鹸を書きたいが今日もまじめに終わる。高嶺の花のHPを調査中。

 


272 アチャコの京都観光日誌  初不動を訪ねる  (高嶺の花は?)

2018-01-30 14:45:00 | 日記

数少なくなった東京からの友人に、スモン石鹸は面白くないとのご宣託を頂き、まじめに書く。 

この友人、関東で筆者に無断で3級・2級を同時に受験し両方に受かった。

筆者は、2級に2年かけた事を思うと、誠に失礼な奴なのだ。その友人にスモン石鹸の評価を頂けなかった。

悔しいが、彼の知らないお寺を紹介し、留飲を下げる事にする。

左京区一乗寺の「狸谷不動院」へ行って来た。

足元からシンシンと冷える京都の底冷えの日に。

御所の鬼門に当たるこの界隈には、霊験強力な寺院が多く鬼門封じを勤めている。

「赤山禅院」では猿をまつり鬼門を封じているが、ここは狸様だ。

こちらは、昨年達成者が出た千日回峰行を修めた大阿闍梨により「八千枚大護摩供」「ぜんそく封じ・へちま加持」「珠数供養」

などの加持・祈祷が行われる。

狸谷は、300年の歴史を誇るが、京都ではむしろ新しい方だ。秋里離島の「都名所図会」の続編

「拾遺都名所図会」に出て来る「狸谷石不動」というのがここだ。

木食上人が、石像の狸谷不動明王像を、この地の石洞窟に安置したことに始まる。

木食上人は、泉涌寺で出家した後、熊野大社で修行し大権現を感得したと言われる。

狸谷山修験道の起源である。確かに、山の奥には岩が迫り、ふもとから本堂にたどり着くのにはハイキング気分では行けない。

 

本殿は、懸崖造り。清水の舞台と同じ構造だ。こちらは飛び落ちると確実に死ぬ。

 手水は、完全にシャーベットだ。

1月28日は初不動の日。

がん封じに「笹酒」がふるまわれる。運転者には持ち帰りが用意されていた。

 

京都3初参り?

初天神・初弘法・初午大祭・初庚申・初恵比寿・初阿弥陀?これはあったかなあ?

 

7月28日には、火渡りの祭りが行われる。一般の方も火渡りが出来る。

 「火渡り」の画像検索結果「火渡り」の画像検索結果これは火炙りの刑だ。

 

さて、車で行こうとして大渋滞に巻き込まれた。

しかし様子がおかしい。下の詩仙堂の駐車場において徒歩にて向かう。

すると、消防車や救急車が止まっていて、騒然としている。

誰かが、山上で体調を悪くした様だ。残雪残る参道の石段を慎重に登ると、

向こうから大勢の消防隊員が、大声で呼びかける。道を開けるように言っている。

急な石段だ。しかも雪道。隊員たちはアイゼンを装着している者もいる。

担架が見えて来た。慎重に慎重に降りて来る。参詣客たちは足を止めて様子を見る。

運ばれるのは、相当なご老人だ。顔色が悪い。とても悪い、失礼ながら生きているのか?

あとから心配そうな老婦人。

極寒の京都のお寺参りは、くれぐれも慎重に・・・・。お不動さんのご加護をあの老人へ、と願う。

 

それにしても京都の冬は寒い。

次は、宮本武蔵ゆかりの地へ向かう。

スモン石鹸騒動はしばらく封印だ。高根の花の立候補は?白鳳や鬼勢の里の復活は?



271 アチャコの京都日誌  再びの京都 詩仙堂 スモン石鹸の行く末を案じつつ

2018-01-28 19:35:25 | 日記

 

スモン石鹸初場所も終了し、千秋楽は特に話題なく終わった。

しかし、場所前に営業部屋以外で大いに話題になった為、営業マンたちのセールストークは冴えに冴えた。

変な取り口は少なく、ガチンコの販売対決はやはり見ていて面白い。

「栃ノ心」の画像検索結果

立ち合い(営業開始)も、逃げる営業マンも少なく真正面からぶち当たった。

お客も、スモン石鹸の在庫が自宅に山積みとなっても購入を続けた。

ひいき衆のたにまち達は、石鹸が倉庫に1年分たまった。

優勝の栃ノ心の春日の部屋は、新たな暴力事件に晒されている。優勝の喜びと不祥事の憂鬱が交差した。

しかし、優勝した栃ノ心自身が、NHKインタビューで「若い時の鉄拳(暴力)で、鍛えられた。」と告白した。

「そのお陰で今日がある」とまで言ったのだ。

「栃ノ心」の画像検索結果鉄拳親方(スモン石鹸の上司)

遂に、可愛がり(相撲界の暴力)万歳!!と、観客と万歳三唱したのだ。

「万歳」の画像検索結果写真は白鳳のもの!

いかなる時も暴力は許されないという評論家には、反論が出来なくなった。

いかなる時も?手を出す時もあって良い?・・・・・国論を二分した。

やはり人間叩かれて成長するのだ。

そんな中でいよいよ、高嶺の花VS白鳳との最終決戦が迫る。

さて、

その事を、心配しつつ京都に出かけた。左京区一乗寺界隈には見どころが多い。まずは、詩仙堂に行って来た。

先日の京都検定1級に出題された。詩仙堂の正式名は?答えは、「凹凸窠」窠が出て来なかった。

石川丈山の隠棲先だった。丈山は、大阪夏の陣を戦った徳川方の武将だ。

その後、この地に茶道・歌道にいそしんで90歳の天寿を全うした。

詩仙堂の名前の謂れは、この部屋に中国の36の詩人を選定し肖像画を飾った事による。

日本の三十六歌仙に因んだであろうと言われている。

また、庭にイノシシの侵入を防ぐため遣り水に、「山田の僧都」という仕掛けを作った。

一般に鹿おどしと言われるが、その音も含めて庭を楽しんだ。

以前は、抹茶の接待もあったが今回はなかった。

加えて、詩仙の間の屋根の葺き替えの為に足場が組まれていて、庭の風景もやや興味を削がれた。

禅宗寺院では、一人静かに庭を愛でながらお茶を頂くのを楽しみにしているが、またの機会にする。

禅宗寺院では、京都には珍しく曹洞宗のお寺。

ほとんどが臨済宗の京都にあって、曹洞宗は源光庵など数少ない。

庭は、前日の雪が残っていて京都の底冷えを感じた。

足先からじんじんと冷えて来る独特の寒さだ。

かまどは、京都では「おくどさん」という。

現役のもので、正月の餅つきには大活躍だったらしい。微笑ましい形にほっとした。

庭にまわる通路の石垣。数百年の変遷を感じる。

詩仙堂の名の由来の「詩仙の間」の屋根の葺き替え。藁ぶき屋根だ。

次は、狸谷不動尊へ

 


270 アチャコの京都日誌  アチャコの由来に迫る。スモン石鹸は初場所終了。

2018-01-27 22:32:33 | 日記

 

国会が、始まった。

未だにスモン石鹸問題や、それに関する国有地売却問題・首相周辺の忖度が話題となった。

また、代表質問でいきなりヤジ・失言問題が発生した。しかし、よく聞くと首相の発言時の野党のヤジもすさまじい。

特に参議院の福島瑞穂の声はよく聞こえる。

「福島瑞穂」の画像検索結果

「国民の声を聞け!」「国民の為の政治を!」

国民って誰?どこの国民?少数意見の国民?

そして、国税庁の長官を罷免せよ!と、言う。国家公務員として真っ当な職務をこなした一公務員の罷免を国会の議論にするのか?

それも「あった文章をなかった」と言った事で批判されているのだ。不正が「あった事をなかった」と言ったのではない。

問題はスモン石鹸及び首相・首相夫人に不正や隠ぺいがあったのか?という事だ。

さて、スモン石鹸の初場所は、ジョージアの平社員営業マンの優勝となった。

トップセールスの角龍は、後半シャンプーの販売が出来ない事で、連敗をしている。

「栃ノ心」の画像検索結果

千秋楽は、興味が薄れた。

 

大阪に出かけた。

松竹座の前で友達と待ち合わせた。

以下の、石碑を見つけた。

曾我廼家喜劇発祥の地と書いてある。

曾我廼家五郎・曾我廼家十郎は、明治時代後期、歌舞伎や文楽を原型とした庶民喜劇を構築した。「藤山寛美寄贈」と書いてある。

筆者の蔵書から

筆者は、曾我廼家文童や曾我廼家鶴蝶という役者を、見た記憶がある。

その流れを、松竹新喜劇が踏襲し2代目渋谷天外・藤山寛美の人気につながる。

藤山寛美は、藤山直美の父というのが今では分かりやすいが、間違いなく昭和の喜劇王だ。

借金問題で松竹を罷免されたが、その後の驚異的な興行成績は語り継がれる。役者馬鹿なのだ。

坂田利夫は、あほで売った。藤山寛美は、馬鹿息子(社長の息子)で売った。

そして、昭和の時代に吉本新喜劇が登場する。現在NHK朝ドラの「わろてんか」のモデルになっている吉本せいの功績だ。

ポスターに出ている「アチャコ」この人はエンタツ・アチャコのコンビで「しゃべくり漫才」を構築した人だ。

今のM1グランプリなどお笑いの隆盛はこの人が原点だ。私のハンドルネーム「あちゃこ」は、これに対する敬意を表している。

このポスターで、生存者は?

昨年、唄子が亡くなった。よく見ると「中山千夏」が出ている。実は先日亡くなった。子役として絶大な人気を誇り、

ひょっこりひょうたん島で一段と名が売れた。その後国会議員を経て長く名を聞かなかった。

林家染丸は、現在の2代前の染丸だ。

佐々十郎も懐かしい。茶川一郎や石井きんと三人で劇団を率いた。因みに、その石井きんの弟子が、西川きよしだ。

さらに、アチャコのコンビ横山エンタツの弟子が、横山ノック、その弟子が横山やすしだ。

答えに戻ろう。このポスターの生存者は、二人。

大村崑と芦屋小鴈である。小鴈は、芦屋雁之助・鴈平・小鴈の3人兄弟で売り出した。

大村崑は、今年の大河ドラマで、西郷どんの祖父役で出ている。

「おいしすぎてメガネが落ちます。」と、オロナミンCの宣伝で有名。息の長い驚異的な役者だ。

最近は、大相撲中継の客席で写っている有名として話題になっている。

ポスターの面白さは色々あるが、入場料「150円」安いのか高いのか?3回公演で入れ替え無し。やっぱり安い。

今日の目的はこれだ。

役満のテンパイ。もちろん流局した。

 


269 アチャコ 京都日誌    北野の天神さん  

2018-01-25 16:34:52 | 日記

スモン石鹸初場所は、角龍の連敗で、栃ノ心の平社員優勝の可能性が出て来た。

琴光喜が平成13年に達成して以来の快挙になる。スモン石鹸は、入社すると、

「序の口」の画像検索結果「十両力士」の画像検索結果十両からは、化粧まわし(派手な営業姿)が与えられる。

(お試し見習い)序の口~(見習い)序二段~(準社員)幕下と昇進しここまでは無給だ。

そして、(下部社員)十両~(平社員)幕内、そして管理職候補として、(主任)小結~(係長)関脇~(課長)大関

以上を三役という。

主任と係長は、成績で上がり下がりを繰り返す。課長でやっと一定の保証が付く。

2回の販売キャンペーンを連続で負け越した場合のみ降格する。しかし、次のキャンペーンで10勝以上すれば復帰する。

課長の中から、販売キャンペーン2回連続優勝かそれに準ずる成績で、部長ランクの「トップセールス」の称号を得る。

大事なのは、販売力だけではなく「心技体」の充実が求められる事だ。

トップは正しいセールストークで美しく販売しなければいけない。

成績が不振でも降格しないので、心技体のいずれかが無くなると「引退」を勧告される。

そして、引退後は役員として残る。しかも営業マン時代の成績がその後の人事にも影響するのだ。

以上の階級の中で、平社員がトップ販売をし優勝するのは極めて珍しい事なのだ。

「平幕優勝力士一...」の画像検索結果平社員優勝の琴錦社員。

スモン石鹸の国有地払い下げ問題は、さしたる証拠も出ず、野党と朝日新聞のねつ造との疑いが残った。

しかし、スモン石鹸特別顧問の豊田真由子もさすがにまいった。

「豊田真由子」の画像検索結果何故、私の行く先々でトラブルがおこるの?(涙)

さて、

昨日25日は、天神さんの縁日である。21日の弘法さんと2日間は京都の重要日である。

「北野天満宮」の画像検索結果

それぞれ、菅原道真と空海の命日に当たる日だ。特に1月は、初弘法・初天神と言って特に賑わう。

落語の「初天神」にあるように昔から庶民の楽しみでもあったようだ。

落語の方は、天満の天神さんであるようだが、本場北野の天神さんも負けず賑やからしい。

ご縁日

6月25日が祥月命日だが、没日も2月の25日となっている。

その日は、梅花祭とし北野上七軒のきれいどころの「野点」なども行われる。

そして、12月25日は「終い天神」となり1年を終了する。

それにしても菅原道真はなぜそこまで崇められたのか?

「天神さん」の画像検索結果

天神さんになるのは、相当な怨霊にならなければならない。

早良親王や崇徳上皇のような方々は、大魔王となるしかない。

菅原道真はどうか?

「道真」の画像検索結果

西暦900年前後、宇多天皇の時代右大臣として政務全般を任されていた。左大臣は藤原宗家の時平。もちろん左大臣の方が偉い。

しかし、見識において勝る道真に嫉妬した時平の、讒言(告げ口)により、左遷される。

台頭する藤原氏に対して、毅然と意見する道真は藤原氏からは邪魔であった。

それでも、阿衡の紛議に際しては、藤原基経に諭すなど高い見識を発揮し

宇多天皇の「寛平の治」と言われる天皇親政を支えた。醍醐・村上天皇の時代を特に「延喜・天暦の治」という。

因みに、後醍醐天皇はその時代の政治を目指した。そのあとは後村上天皇である。(天皇の贈名も意味が深い)

しかし、宇多天皇の醍醐天皇への譲位、基経の没後、小心者の時平に陥れられた。「昌泰の変」と言われる。

「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」辞世の句を残して九州で死去。

その後、時平は39歳で病死。醍醐天皇の皇子は尽く病死する。遂には、朝議の最中、御所に雷が落ちる。

多くの死亡者が出て、醍醐帝もその後すぐ薨去する。

恐れた、朝廷は道真の罪を許した。雷神となった道真の神格化がここから始まる。

「道真」の画像検索結果

なお、学問の神様にふさわしく相当な知恵者であったことは間違いないが、一方で多くの女性に多くの子供をもうけた。

悪所(遊女のいるところ)にも好んで通っていたらしい。因みに、桃太郎もかぐや姫の話も、道真の原作と言われる。(諸説ある)

京都の人はよく言う。「弘法さんが晴なら、天神さんは雨。」しかし、今日の京都は雪景色であった。

「京都の雪景色」の画像検索結果