アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

689 生きてるだけで丸儲け    大きな犬が突進

2020-01-30 17:17:03 | 日記

 

写真は、聖護院門跡 (本文との関係はない)

毎朝、愛犬を散歩させている。小型犬であるが、しばしば人を噛む。私以外の飼い主たちも一通り噛まれている。

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近所、親戚、友人、公園などの子供達。動物病院の他の患者(の主)など、その都度平謝り。

大変深く反省している。ここ数年、リードを持つ手を緩めた事はない。体に括りつけた時もある。

ところが、今朝、許せないことがあった。

大型犬の真っ黒な「犬」をリード無しで散歩させている。突進して犬は嬉しそうに、吾輩に向かって来た。

しかし、見知らぬ犬はやはり怖い。

近所で時々、リード無しで散歩させている人をよく見かける。

一瞬、我が噛み犬を放出しようかとも思った。飼い主を噛ませるのは可能だが、残念ながら、相手の犬への殺傷能力はない。

ようーしっ!相手の犬との対決は飼い主の吾輩が担当する。前足と後ろ足を同時につかみ、頭上高く持ち上げて、犬の金玉をぎゅっとつかんだら、犬はキャンキャンと涙を流す。許さぬと、吾輩は地面にたたきつけると、犬は何と、妊娠中で大きなお腹から子犬を数匹出産した。

落語「鉄砲ゆうすけ」から、引用。

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事実は、近所代表として、厳重に注意しリードの使用をお願いしておいた。

 


688 アチャコの京都日誌  生きてるだけで丸儲け ⑱ ミヤコ蝶々・南都雄二

2020-01-29 07:55:21 | 日記

生きてるだけで丸儲け!

⑱ 南都雄二・ミヤコ蝶々

 

南都 雄二

 

漫才コンビに、いつから「名前」が付いたのか?ダウンタウンか、ナインティーナインあたりか?それまでは、やすし・きよし、いとし・こいし、とそれぞれの名前で呼んでいた。本日紹介の「南都雄二・ みやこ蝶々」などは、ちゃんと二人の名前を呼んでいた。つまり漫才コンビは、人と人のコンビであった。1人ならば、ゆうじさん、蝶々さんだ。そこにオール阪神・巨人が登場していよいよ人の名前ではなくなる。阪神さん・巨人さんと呼ぶことになる。それ以前には、コメディナンバー1というのもあった。坂田としおは、一躍アホの代表者となった。それでも人の名前を尊重していた。今はどうか?今回M1で一躍時代の人となった「ミルクボーイ」それぞれ二人の名前を言えますか?「かまいたち」誰と誰?「ジャルジャル」「ぷぱぺ」?もはや何なのか?普通名詞ですらない。本当の一流になる為には、松本って「ダウンタウン」だったのよ、というくらい個人名で有名にならなければならない。岡村って、ナイナイよね。って。そこで元祖漫才であったビックネーム登場だ。

このコンビ、「蝶々雄二の夫婦善哉(みょうとぜんざい)」という番組の印象が強い。現在の、桂文枝の「新婚さんいらっしゃーい」の原点である。夫婦を招いて、馴れ初めや私生活などを聞き出す。ただそれだけだが、司会者の絶妙の問いかけに素人が思わずしゃべりすぎて・・・・。と、言う趣向だ。夫婦善哉は比較的熟年の夫婦が、苦労話することの方が多かったように思う。それが、鳳啓介・京歌子に継がれ、現在の「新婚さん・・。」に繋がっている。南都雄二とミヤコ蝶々の離婚が明らかとなり番組が成り立たなくなったと記憶している。夫婦漫才師が離婚しながらそれを公表せず、そのまま夫婦のように振舞うことはよくあった。正司敏江・玲児などは、分かれた元夫婦をネタにしていたが少ない例である。鳳啓介・京唄子も離婚して漫才はやめて、舞台へと活躍の場を移した。

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南都雄二は初婚で、蝶々と結婚する(蝶々は柳枝という芝居の座長と結婚していた。)が、ルックスの良さと金回りがよくなり「北の帝王」と言われくらいの遊び人だった。因みに。「南の帝王」は藤田まこと、そして「東西南北」 藤山寛美という事らしい。昔の芸人は遊び(女遊び)も一流だった。フライデーや文春の無い時代は良かった。週刊誌が芸人文化を壊したのだ。蝶々の弟子から拾ってもらったので、一人では特に話芸の無い南都雄二は、その後特に売れることなく飲酒が原因の糖尿病で亡くなった。

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ミヤコ蝶々は、誰もが知る関西芸能史の巨頭である。文化勲章までもらった大物で、尊敬する芸人は多い。二人の漫才のスタイルは、主に蝶々がしゃべり、雄二が突っ込むだけの単調なものだったと記憶する。それでも南都雄二死去後、漫才大賞の特別賞や殿堂入りを果たしている。これもみな蝶々の功績と言っても過言ではない。因みに、南都雄二という芸名は、無学の蝶々が、いつも台本を見て、「これ なんという字?」と、聞くので秋田実氏が、そんなら「南都雄二(なんというじ)」と命名したもの。


687 生きているだけで丸儲け  ⑰ 横山たかし・ひろし

2020-01-10 07:58:09 | 日記

生きてるだけで丸儲け

横山たかし・ひろし  金持ちのお坊ちゃま万歳

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横山やすし直系の弟子で最も売れた芸人だ。お坊ちゃまの横山たかしが亡くなったのはまだ、去年なので平成の漫才師である。「笑えよー」「生きーよ」

で、始まる金ぴかの背広に身を包んだ金持ちのお坊ちゃまが、ほらを吹きまくる。勿論本当の金持ちが、あのような派手派手衣装は着ないので誰でも分かるのが面白い。

「わずかな金で、本気出すな、ヨコヤマーー。」

後半は、「金があれば、万歳するかーー?」遺産は胃散、兄が医者 は、 石屋。などとネタ晴らしが始まると、赤いハンカチを口にくわえて泣き始める。相方の横山ひろしが、背広の裏を見せると、「拍手!」と、書いてある。

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全盛期、あるご婦人から、本当に金に困っているのだろうと思われ、援助(施し)を受けたことがある。(ただし、これもネタ?)

見事な完成された定番芸だ。やすしの弟子なので、暴力を含む激しい指導を受けたが、終生やすしを尊敬していた。特に、お坊ちゃまのたかしは数千回殴られたと証言しているが、葬式では「師匠は漫才をするために生れた宇宙人だ。」と号泣した。

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なお、「横山たかし」は3代目で、初代は横山プリン、2代目はレッツゴー正児である。また、ひろしの妻は、美人漫才で有名だった「春やすこ・けいこ」の「けいこ」で、たかしの死後、二人で夫婦漫才をしている。


686  生きているだけで丸儲け  ⑯  平和ラッパ 日佐丸

2020-01-09 13:53:46 | 日記

生きてるだけで丸儲け

平和ラッパ・日佐丸 

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キワモノのコンビであった印象だが、自分が知っているラッパは2代目である。小柄で太った体で口をつむってもビーバーのように前歯が出た容貌で唸るようにしゃべる。活舌も声の通りも悪い。子供のようなアホな事をしゃべって、日佐丸が突っ込むパターンだった。「天王寺の龜」は定番のギャグだったが、四天王寺の境内の龜は、噛めないのに「カメ、カメ」と言うのはなんでや?というお話だが、現代なら白ける事だろう。ひたすら馬鹿話をして、日佐丸が「こんなん連れてやってますねん」とぼやき、これを受けてラッパが「苦労しまっせ(または『気ィ使いまっせェー』)」と言うと日佐丸は呆れるように「それは僕が言うねや」と受け終わる。2人で「ハハーッ、さいならー(しゃいならー)」と言うのは筆者たちもしばしば使った。(受けなくとも言い続ける。)

 
 
後日、ラッパは無学で字も読めない事や、ヒロポン中毒者であった事が判明した。まだまだ戦後の混乱時代の、コンプライアンスという言葉すら無いある種の大らかさのあった時代だ。その後、3代目ラッパも覚えているが、全く面白くなかった。当然というか直系の弟子はいない。継いで行ける芸ではない。(笑)

685  生きているだけで丸儲け  ⑮  漫画トリオ

2020-01-04 11:11:16 | 日記

漫画トリオ

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活躍したのは、横山ノックの国会議員進出までなので昭和43年という事になる。それまでトリオ漫才は、かしまし娘など女性が中心で、宮川左近ショー・タイヘイトリオのように男性が中心でも楽器を駆使した歌謡・浪曲ショーだった。本格的しゃべくり漫才を3人で大成させたのは、漫画トリオが最初である。レッツゴー3匹も有名だが、レッツゴー正司とじゅんが掛け合いをし、正作は基本的に歌を披露する程度だった。

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「パンパカパーン!今週のハイライト!」で始まる時事ネタと、消防自動車の「ウーカンカンカーーん!」「かんかん、ヤカン、ヤカンハゲ、ズルムケーーー。」の定番のネタは鉄板だった。この辺り桂吉朝始め、桂米団治・桂夢雀の上方落語家によるパロディーが絶妙である。ユーチューブで見られる。

伝統芸能の色彩が色濃かった時代に、完全に挑戦した気概を感じた。時事ネタで時代を鋭く突いたネタは、その後のノック・パンチ(上岡龍太郎)の特異な活躍につながる。筆者は子供ながら世の中というものを垣間見た。ノックの一番弟子は、横山やすし。葬式で、「お前の芸はとっくにワシらを抜いていた。」と言ったのは有名な話だ。これは死の直前の新年会に顔を出したやすしが、「どうしても師匠の芸を越えられない。」と言ったことに応えたものだった。

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        なかなかの絶倫だった。

 

解散後、横山ノックの大阪府知事が話題となったが、選挙中の強制わいせつ罪という強烈なオチがついた。また上岡龍太郎の活躍は申すまでもない。青芝フックは正統派の漫才で最後まで貫いた。