アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

925 新シリーズ  令和に巡る京の神社     第35番 岩屋神社

2022-07-25 11:18:36 | 日記

第35番 岩屋神社

 

所在地    京都府京都市山科区大宅中小路町67

主祭神    天忍穂耳命 栲幡千々姫命 饒速日命

社格等    旧郷社

創建       仁徳天皇31年

岩屋神社の説明

山科区は平安京の歴史の中では、洛中からは遠く離れて時を刻んできた。都の権力闘争の激動から逃れて太古のむかしからの歴史を伝えている。岩屋神社はその典型的遺産であり神話の時代の信仰を守って来た。

古代の日本人は、大木や巨岩に神が宿るとした。原始信仰の形態だ。こちらの御神体は、

本殿背後の山腹に奥之院にある岩屋殿と呼ばれる陰陽2つの巨巌である。このようなものを磐座(かむくら)と言うが巨岩をあくまでも神の依代(神が拠りどころとする)と考えるか、はたまた神そのもとして奉ることもある。なお、道祖神として女性器・男性器の形をした木や岩を子孫繁栄の神とするなど、古代の性へのおおらかさにも興味が尽きない。そのような起源を持つのが岩屋神社である。

岩屋神社の説明

社伝では、平安遷都はるか前の仁徳31年の創建。醍醐・村上の御世である寛平年間、陰巌に栲幡千千姫命、陽巌に天忍穂耳命を祀り、岩前の小祠に饒速日命が祀られた。物部氏が、山科を開拓するに当たり祖神を祀ったものだ。

岩屋神社の説明

場所は醍醐山に連なる山々のふもとにあり街並みを見下ろす位置に鎮座している。近年、名神高速道路が近くを通り、さらにすぐ隣には橘大学(旧橘女子大学)が移転して来た。長く静寂が取り囲む人智の及ばぬ場所だったはずだが、高速自動車道の喧騒と大学生の嬌声が混じる落ち着かない空間となった。

それでも境内には、太古からの歴史の重みと静寂に包まれしばし厳かな気分で、お参りをすることが出来た。夏の酷暑の中、体調に配慮し重要な奥の院には後日うかがうことにした。

なお、当社は明治6年(1873年)郷社に列し、第二次世界大戦後は神社本庁に属すとなっている。以前からその所在地を探していたが、橘大学に一つの講座を聴講するため訪れた時にやっと見つけた神社だった。


924 緊急 俺にも言わせろ! 惻隠の情

2022-07-22 09:14:44 | 日記

ワシにも言わせろ。

昨今の安倍首相暗殺事件以降の、左翼系マスメディアの論調に対しては黙っておれない。日本の伝統・文化の破壊には耐えがたい危機感を持つ。日本の根本理念にはいくつかの普遍の教えがある。

安倍氏悼み連日列なす 献花台撤去 - Yahoo!ニュース

「惻隠の情」は、その中でも重要な一つだ。中国(儒教)から渡来した言葉だが、日本では色々な場面で使う徳目の一つで、今回の場合「死人に鞭打つ」として最も恥ずべき行為なのだ。思想信条においての違いや論争は自由に行う。これが民主主義、そこにもルールはあるが発言の自由は保証される。しかし、ひとたび相手が不幸な死を迎えた時は、故人の功績のみ称えるのが、「惻隠の情」である。それが礼儀・礼節である。遺族が悲しみに沈んでいる喪中において、相手の批判を行うのは「死人に鞭打つ」という最も愚かしい行為であるはずだった。

一方、惻隠の情を伝えた中国は、死人に鞭打つ国柄である。新しい王朝が立った時には、前王朝の一族を殺害するにとどまらずそれ以前の王族の墓も暴いて辱める。まさに死人に鞭打つのである。一方、日本は王朝の交代がなく万世一系の天皇を頂くという国体を守って来た為、そのような行為は恥とされた。天皇の下で執政を行う権力者たちが次々交代しても惻隠の情は保たれ、日本には歴代の勇者の墓がほとんど現存し大事に保たれている。平家が滅んで源氏の世になっても平家の一族の墓は守られて来たのである。中国から来た「惻隠の情」は、むしろ日本で正しく守られているのである。

安倍元首相の銃撃現場に大勢が花束 次々と手を合わせ - BBCニュース

ところが今の左翼言論人やマスメディアはどうか。平気で死人に鞭打ち、惻隠の情を理解しない。「国葬」を決めたとたんに批判の嵐である。やれ基準を明確にしろ!税金の無駄使いだ!国民全員に喪に服すのを強要するのか!だの、人間の情もないないのか?と言いたい。このような日本にいつの間になったのか。この度の暴挙(暗殺)を「民主主義への挑戦だ。」というのなら、このような批判は、「民主主義の濫用だ。」と言いたい。いやしくも国民の選挙に裏付けされた国会の決議において選ばれた首相を8年以上務めた人に、憐憫の情をどう表現するか。

国民は馬鹿ではない。ちゃんと見ているはずだ。野党の諸君の人格も疑われている。

人気弁士の安倍晋三元首相 現場警護は「背後に車を止め、人が ...現場は、筆者の最寄りの駅である。

深くご冥福をお祈りする。

※「惻隠の情」、儒教の教え。そこには「惻隠の心は仁の端なり」哀れに思う気持ち。可哀想であると感じる心持ち。