アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

番外  分からない事が多い

2019-06-27 14:18:42 | 日記

困った‼️お笑い芸人がいなくなるぞ。

「スリムクラブ ...」の画像検索結果

芸能界と反社会的勢力の関係は昔は当たり前だった。しかし、暴力団対策法から厳しくなっただけでなく、反社会的なものの概念がドンドン広くなっている。詐欺集団は完全に反社会的だが、暴力団と違ってデータベースに直ぐには載ってこない。犯罪歴のない人間がある日を境に悪人となる。逮捕歴がなければ分からない。ましてや今やヤクザでも入れ墨には気を使うし企業舎弟ならば我々以上に紳士かも知れない。

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それにしても何かおかしくないか?善良な芸人がこれほど社会的に批判されているが、本当に悪いのは、ヤクザだ。犯罪者だ。そもそも関わりを持ってはならない人間を放置している国の責任はどうするのだ。もちろん暴力団対策法はできた。しかし、それに関わりを持っ方の堅気の人間がこれほど批判されるのは、おかしいではないか?批判されるべき人間の順番が違う。ここは国を挙げて暴力団を撲滅しようではないか。警察は今までの監視する姿勢から積極的に撲滅する方向で踏み込む事だ。ただし元暴力団構成員は永遠に差別されるのが現状だ。銀行融資はもちろん口座も開けない。全うに生きていく道は閉ざされる。更正の道筋も含めて社会は受け止める覚悟があるのか。反社会的勢力と、元反社会的勢力とも絶対に関わらないのならば、彼らは表社会には永遠に戻れない。

このあたりどうする?安部さん


本日  100寺巡礼 休暇日

2019-06-26 13:36:07 | 日記

年取ると面白くない事が多い。

芸人に「政治家」「知識人」並みのモラル見識を求めるらしい。

「宮迫 解雇」の画像検索結果

吉本芸人が大量に謹慎となった。5年も前の「闇営業」で反社会勢力の主催パーティーに参加していたと言う。評論家は言う。「見れば分かるだろう。」と、今どき悪が悪らしい格好をしていますか?企業舎弟となってインテリヤクザの時代だ。もしかしたら違法性のない真っ当な企業活動をしているかも知れない。ヤクザも生き残るのに大変なのだ。この度の詐欺集団が、ヤクザなのか単なる詐欺師なのか分からないが、広義の反社集団であろう。

社会人経験もないない芸人に、その判断は分かりません。ただ、金銭を受け取っていないと嘘をついた。その事のみが問題であり。知らずに参加した事、闇営業(自主活動)したことなどは何の問題もない。結果として、詐欺集団であった事が分かった時に、謝り世間に返金していれば何の問題もなく済んだのだ。

我々善良な市民が反社勢力と関わってしまう事はある。たまたま入った飲食店がそれ!である事もある。トラブルになれば被害者はこちらだ。今回の事件もすべて真実を語っていれば彼らは被害者であるに過ぎない。現在も恐喝されている可能性はある。伸介のようにベッタリ付き合っていたのではないのだから早々に復帰を願う。しかし、もらったギャラを上回る金額を福祉関係に寄付する事と、相応の会見をすることだ。


643 アチャコの京都日誌 新シリーズ京都100寺巡礼 96番  誠心院

2019-06-25 09:07:24 | 日記

96番 誠心院

 

中京区新京極通六角下がる中筋町

山号 華嶽山

宗派 真言宗泉涌寺派

本尊 阿弥陀如来

開基 藤原道長

別称 和泉式部寺 正式名 東北寺誠心院

 

 

 

京都のお寺が大好きだ。おすすめ一番はここだ。

寺町通に寺院が集中しているのは、誰もが知っているように秀吉の京都政策の中で多くの寺院が移転さされた結果だ。従って、この通りには要注意だ。元からここにあった寺院とそれ以前には別にあった寺院とを混同してはならない。特に新京極と寺町の二本並列する四条から三条の間は特に注目だ。例えば、本能寺は信長が討たれた当時は堀川四条の北東地域にあった。誓願寺は元は上京にあり「元誓願寺通り」という通名にその形跡を残す。一方、錦天満宮や蛸薬師は、それぞれ新京極通蛸薬師、新京極通錦にあるのでそもそもそこにあったのだろう。それ以外にも、文徳天皇妃である藤原明子(あきらけいこ)が安産祈願した「染殿地蔵」伊藤若冲の菩提寺である「宝蔵寺」代受苦地蔵の「矢田寺」など見逃せない寺院が多い。

 

誠心院は、新京極の六角辺りにある。別名「和泉式部寺」と言う。入り口には誰でも和泉式部になれる顔入れボードがある。境内は自由に入れる。創建の時代は藤原道長全盛時代で、道長が娘の一条天皇の皇后の一人彰子の為に法成寺内の東北にお堂を建てた事に始まる。言うまでもなく和泉式部は彰子が作った宮廷サロンに仕えていた。境内奥の墓地には、和泉式部の墓である宝篋印塔がひと際高々と存在していた。

修学旅行の人たちやアジア人が散策する新京極の中心地にある。10分だけでも訪ねて見たい。


642 アチャコの京都日誌 新シリーズ京都100寺巡礼 95番  広隆寺

2019-06-24 09:22:54 | 日記

95番 広隆寺

 

京都市右京区太秦蜂岡町32

山号  蜂岡山

宗派  真言宗単立

本尊  太子像

開基  秦河勝

別称  蜂岡寺 秦公寺 太秦寺

 

京都のお寺が大好きだ。おすすめ一番はここだ。

 

京福電鉄嵐山鉄道、通称「嵐電」本線の広隆寺駅の前に大きな山門が見える。嵐電は京都の街並みにすっかり溶け込んでいるので、古風なお寺の前を電車が横切っていても全く違和感なくむしろ京都の風物詩とも言える。下に路線図を貼りつけるが、駅名を眺めるだけでワクワクする。

「嵐電 路線図」の画像検索結果

 

さて、このシリーズでは大寺院である清水寺や東寺などは取り上げず、一般にはなじみは薄いが重要な寺院を中心に書いている。ただ今回の広隆寺は誰もが知る大寺院である。国宝指定第1号の弥勒菩薩半跏像で有名だ。言うまでもなく聖徳太子創建の太子信仰の中心寺院である。現在の本尊は、その太子像となっている。

しかし開基は秦河勝という人物である事は余り知られていない。秦氏の事実上の祖である。太古の日本は秦氏をはじめとする高麗氏、小野氏、土師氏、八坂氏などの唐や半島からの渡来人の高い技術のお陰で発展した。中でも秦氏は織物の技術を中心に太秦地区を中心に山城地域の開拓に貢献した。太秦「うずまさ」は、うずたかく積み上げられた織物を現わす言葉である。おそらく中国や朝鮮半島の政争に敗れ苦難の末、日本に渡って来たのであろう。その結果古代朝廷の発展に貢献したのだ。その秦氏と聖徳太子との深い関係が伝わるのが広隆寺である。

本堂奥の「霊宝殿」に安置される国宝仏像の豊富さに驚く。展示されないものも含めると、9個の国宝、34個以上の重要文化財を保有する。詳しい由来はさて置いて講堂本尊の阿弥陀如来坐像の存在感や弥勒菩薩の美しさにしばらく浸っていたい。今回訪問したのは、11月22日お火焚き祭の日であった。

  「広隆寺お火焚き」の画像検索結果

 

その日は、聖徳太子の御命日という事で、太子への供養と信者たちの願いを込めて護摩木を燃やして、祈祷を行う。ちょうど紅葉の季節の真っただ中で、境内の鮮やかな紅葉も同時に楽しめる。昼過ぎに本堂では丁重な法要が行われる。その後、管主を先頭に山門の前に備えられた護摩壇に火が点けられる。その際の修行僧たちの所作の美しさと、注目すべきは管主様が美しい女性であることだ。古代の尼御前の醸し出す清廉な美しさはこのようなものであったかと思う。

「広隆寺お火焚き」の画像検索結果

そしてその日だけ秘仏の聖徳太子像が御開帳される。本堂での読経の後、順番に一人一人戒壇内に通してもらう。童形の太子像は普段閉じられているので鮮やかな彩色も残っているように見えた。その感動だけでもこの日訪ねる価値がある。

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その後、御火焚きの方にまわって、写真にあるようにご利益を頭に頂いて、帰路についた。このように京都の寺はなるべく重要行事に合わせて訪ねて行きたい。因みに、こちらの境内社の大酒神社では、京都三大奇祭の一つ「牛祭」があり、1012日に異相の仮面をつけた神様が牛にまたがり、周囲を赤鬼・青鬼が松明をもって巡行する。そして薬師堂の前で祭文を読み上げると周囲の参詣者から一斉に悪口雑言が浴びせられ神様たちは急いで堂内に逃げ込むと言う奇祭だ。残念ながら、是非見てみたいと思うが現在はしばらく行われていない。京都にはまだまだ解明されない奇妙な行事や風習がいっぱいあるのだ。


641  アチャコの京都日誌 新シリーズ京都100寺巡礼 94番  長楽寺

2019-06-21 15:10:18 | 日記

第94番 長楽寺 

京都市東山区八坂鳥居前東入円山町626番地

山号  黄台山

宗派  時宗

本尊  准抵観音

開基  最澄

 

円山公園の南の道を東に、だらだら長い坂道を登る。

京都のお寺が大好きだ。おすすめ一番はここだ。

丸山公園の東、東大谷のすぐ北に参道がある。東山三十六峰長楽寺山に向かってだらだらと坂道を登る。桓武天皇勅願のお寺で、伝教大師が自ら彫った准抵観音様が御本尊だ。完全秘仏だが、新天皇即位時には特別に御開帳があり令和になった5月~6月の16日まで公開していた。東本願寺の飛び地で大谷祖廟と並行して参道が続く。以前は、大谷祖廟の敷地まで長楽寺の境内だったらしい。

そして、ここは建礼門院徳子の、出家のお寺で有名だ。平清盛の娘で、安徳天皇の母であるが、源氏に追われ壇ノ浦に入水するものの助けられ、出家。その後寂光院に隠棲した。後白河院がそれを訪ねる「大原御幸」は有名な話だ。

 

 本堂内の徳子像 

 

 庭は、相阿弥の作庭。

また、頼山陽の墓地でもある。

 

 

 

 

鐘楼の鐘は、大晦日、除夜の鐘を、一人ずついつまでも突かせてもらえる。当然108回にこだわらない。

以前、大晦日に訪ねたことがあるが、その時は大勢の参拝者がいて、広い境内と言う印象だったが、

一人訪ねると、こじんまりした良いお寺だった。

 

途中、明治のたばこ王、村井吉兵衛の邸宅。「長楽館」を見る。

 

日本で最初に両切り煙草を製造販売した英雄だ。

行商で苦労をした後、サンライス、そして第2弾のヒーローが大ヒットし巨万の財を成した。

長楽寺のふもとに長楽館。今は、高級な茶房になっていて誰でも入れる。