アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

279  アチャコの京都日誌 アーカイブ 森進一の娘をはねる ①

2017-04-30 11:25:14 | 日記

「交通事故イラス...」の画像検索結果以前書いたものだが、全6話なのでお付き合いください。

 

 

交通事故(森進一の娘をはねた)

 

 これからの話は、オートマチックもエアコンもパワーウインドーなどもない時代の話だ。

題名は、「交通事故」副題が、「森進一の娘をはねる」。

入社3~4年目の私は、証券マンとしてぼちぼち自立出来そうな手応えのようなものを感じていた頃だった。

自分で開拓したお客を連日訪問して超多忙な毎日だった。

今日も今日とて、車で外交後、大口注文に多少浮かれて帰路を急いでいたのであった。

しかし、事件はそんなときに起こる。

「土砂降り」の画像検索結果文章との関係はありません。

6月下旬、梅雨真っただ中、蒸し暑く今にも降り出しそうな雲行き、すぐに案の定バケツをひっくり返したような土砂降りになってしまった。夕方、6時頃、普段ならヘッドライトを付ける時間ではなかったが、それを点けても見通しは最悪だった。乗っていた車は、軽自動車、エアコンは当然ないので、日中は、三角窓(運転席と助手席の窓には、当時、三角形の窓ガラスが前部についていてそこから風を取り入れるようになっていた。)を全開にして外の風を受けてかろうじて暑さをしのいでいた。ワイパーはほとんど効果がない。しかもそのワイパーは、時々雨に負けて作業をしばしば遅延するような不定期ワイパーだった。窓を開ければ雨が降り込む。閉めれば暑くてフロントグラスが曇って見えない。開ければ降りこむ。閉めれば暑い見えない。開ければ・・・。閉めれば・・・。

 そんな過酷な条件の中、私は、京都の今出川通りを東向きに、烏丸通の交差点を南に向けて右折しようとしていた。いつもならば左手には母校(新島襄の京都大学)が見えるはずだが、全く視野に入ってこない。十分に前方を確認したつもりだったが、右折した先の横断歩道上で、「ガッシャ―ン!!」ボンネットに強く何かが当たった音が響く。

 人だ。瞬間、ハンドルに相当な衝撃を感じ、「やってしまった。」 

後方から、「バカヤロー!」の罵声が聞こえる。

「車人身事故」の画像検索結果

続く。


㊴ アチャコのアキレス腱断絶日誌 日常生活

2017-04-30 11:11:45 | 日記

「日光浴イラスト」の画像検索結果

㊴ アキレス腱つながった

 

 日常生活を取り戻す。

 

GW中まだ歩行練習は出来なかったが、徐々に前向きに生活したい。気候が良ければ出来る限り「庭園」に出たい。我が家には庭がある。見栄を張って「庭園」と呼びたい。たまに、バーべキュー大会を催したりする。残念ながら家族が徐々に離散し、この年になると会社の仲間も集めにくい。その庭に出て日光浴。時々近所の人と雑談。

 行きつけのクリニックで、ビタミン点滴。アルコールが最大の元気の源だが、たまにはビタミンを注入する。

 犬の散歩にも、松葉づえで着いていく。犬に引っ張られて危ない。

近くのスーパーに、ラーメンを食いに行った。セルフサービスに対応できず店員に持って来てもらう。9 

 家にマッサージの先生に来てもらう。腰が悪いのでしばしば来てもらっていたが、断絶後初めてお願いした。足の装具を見て驚かれたが、アキレス腱は「日にち薬」だけですと、重要視されず、松葉づえで疲れた上半身をマッサージしてもらう。

と、まあ、 ここまで書いて、吾輩の取り戻すべき日常生活とは、日光浴と犬の散歩とラーメンとマッサージだ。なんと情けない。

余りにも、内容の無さに、今日はここまで・・・。


㊳ アチャコのアキレス腱断絶日誌  同窓会 

2017-04-29 09:36:02 | 日記

「軟式テニスイラ...」の画像検索結果

 アキレス腱つながった

 

 ケガしながらも40年ぶりという同窓会に参加した。

参加したと言うより「幹事」だったので行かざるを得なかった。

ケガ以前から計画をしていたので、日延べも出来なかった。

高校時代の軟式庭球部の集まりだ。

自宅から、大阪難波までタクシーで行った。

 ほぼ40年ぶりの再会はなかなかのものだ。参加者40名、世代は上から下まで10歳の差だが、当然60歳前後と熟年の集まりだ。しかし、会って数分で昔の顔でしゃべりだす。そうなると高校時代の顔にしか見えない。お互い変わらないね!となって行く。

 

 最大のネタは、私の「アキレス腱」この同窓会の打ち合わせの時に、ある先輩から「これをきっかけにまたテニスやろう!」と言われてテニススクールに行ったことが、今日の不幸を招いたのである。

 

 高校時代、一応のエリート選手だった吾輩は、後輩たちの憧れの的だったと思いきや、「怖い」「恐ろしい」「憎たらしい」「殴りたかった」等々の声が満ち満ちて、宴会の最大の話題だった。(汗)「おかげでその後の人生で辛いことはなかった。」「どんないじめにも耐えられた。」と、お褒めの言葉。(?)

吾輩は、後輩たちを後継者として育てようと厳しく厳しく指導したが、先輩からも「生意気だった」との声。(汗)下から上から両方袋たたきの宴会だったが、みんな笑顔笑顔ばかりで、大爆笑の中終了した。

最後、ある後輩が近寄って来て、「当時憎たらしかったけど、その後の人生で、先輩の熱い思いが良くわかりました。ありがとうございました。」と、涙ぐんでいた奴がいて救われた。

 

 現在なら単なるハラスメントでしかない。

これも良い時代だ。


㊲ アチャコのアキレス腱断絶日誌  失言失言また失言

2017-04-28 06:51:35 | 日記

「今村復興」の画像検索結果

㊲ アキレス腱つながった

 

 またまた失言で閣僚が辞任した。

安倍さんがすぐに謝った一方で、二階さんが、言ってしまった。「マスコミは一行だけ取り上げて、辞めろ辞めろと騒ぐ。これこそ問題だ。」

言っちゃた。

マスコミを敵に回して良いことはない。マスコミは、客観的な存在ではなく、彼らには「自己批判」はない。正論であっても勝てない。書くのは向こうなのだ。

 

吾輩にも苦い経験がある。吾輩が若くして営業所長に就任した時、悲しくもバブル崩壊でその営業所が閉鎖になった。当時、証券バブル崩壊の象徴として、テレビの取材を受けた。夜7時のニュースNHK森田美由紀アナウンサーの時代だ。本社と入念に打ち合わせをした。「決して、撤退と思われてはならないぞ。」「明るく振舞うのだ。」「企業イメージや業界の暗いイメージを出すな。」このような 指示だった。

さて、収録へ。

問「今回の閉鎖、ショックだったでしょう?(暗)」答え 「いえいえ、社員一丸となって御客様に対応しております。(笑顔)」 

「カット!カット!」「所長さん。そうではなくて本当の気持ちをおっしゃってください。」

問「ご苦労多いでしょうね?」 答え「いえいえ、本社とも連携してお客さま最優先で元気に最後まで・・・・・。(さらに笑顔)」

「カット!カット!」 「良いですか。撤退ですよ撤退。その事を踏まえてお願いしますよ。」

「わかりましたー!」「・・・・・・。もう良いです。」

機材をかたずけて撤退の用意。

諦めた様子。

ライトも消えてから、「でも、本当はいろいろ大変でしょうね?」

「そりゃ、いろいろありますよ。今回の件は参りましたよ。(悲)」

翌日、それが放送されていた。

 マスコミって、そんなものです。彼らが意図する映像だけを流すのです。決して全体を正確に伝えるのではありません。

そんなことも分らんでは、政治家など勤まらない。


㊱ アチャコのアキレス腱断絶日誌  自宅は戦場 ②

2017-04-27 08:44:23 | 日記

 

 「戦いイラスト」の画像検索結果

㊱ アキレス腱つながった

 

 久しぶりに、断絶後の敵国(配偶者)との交戦状態を書く。戦闘能力を完全に失ったわが軍(吾輩)は、北朝鮮のような虚勢を張ることも出来ず。一方的に攻撃される恐怖の中にいる。先日の洗濯物の中に蜂を仕掛けるという国際的に禁じられている「生物兵器」(⑮に詳しく書いた)という手段のあとは、断続的に小さな威嚇攻撃を受け続けている。

 吾輩は現在、ちょっとした移動にも松葉杖の使用を余儀なくされており、最近はキャスター付きの事務椅子を活用しているものの、必要なものは座った状態で手の届く範囲に置いている。持ち運びは、通称「お遍路さん」という首からかける袋を使用している。

 そこまで工夫している吾輩に対して、敵国は手の微妙に届かない範囲に物を置く。洗濯物やテレビチャンネル・湯呑茶碗など、親切を装いわが部屋に持っては来るが、置く位置が微妙に手が届かないところに置く。吾輩はわずかな距離でも松葉杖を使って移動し手に取るのだ。その間も吾輩には、常に危険を伴う。

 吾輩は、意を決して全面戦争の危険を冒して言う。全面戦争となればライフラインをことごとくを失ったわが軍に勝ち目はない。しかし、元経済大国の威信をかけて言う。

「手の届く範囲においてくれ。」

相手国は、勝ち誇ったように、「あんた、今は、動けないから。運動不足にならないように考えているんや!!」「動いて取りなさい。無精せずに・・・・・」


元気になったら、殺したる!!