アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

847  俺にも言わせろ  「ならぬことはならぬ!」

2021-05-29 09:33:19 | 日記

5月29日

 

コロナ禍で世情に大きな変化が生じた。一層[他力根性]が拡大している。政府が悪い。菅首相が悪いと、言いたい放題だ。ただの一言も政府関係者への感謝の言葉はない。公務員の現場の行政執行者の皆さんのストレスは想像を絶する。今回の大規模接種会場運営における自衛隊の出動に対しても自衛隊への感謝の言葉すら出ない。朝日などは対応のまずさなどアラを探して批判する始末だ。

 そもそも未曽有のパンデミックに際し、予想困難な状況に対応しているのだから、野党やマスコミが言うように、いつまで我慢するのだ?どうなったら宣言を解除するのか?など、明確に答えることが出来ないのは当たり前だ。いくつかの指標の変化を総合的に判断するものであり、あらかじめ予断をもって発言できない。五輪開催についてもIOCとの協議であり権限はJOC及び政府にはない。日本が、開催したいとお願いして勝ち取った開催権を自ら放棄するのはハードルが相応にあり、おいそれとは言えない。ましてアスリートたちは人生のすべてを懸けて調整している。無くなれば殺されるも同然の絶望感に陥る選手もいる。たかがスポーツとは言えない。 現に、プロ野球もJリーグも相撲も観客入れてやっているではないか。ことさら五輪だけをやり玉に挙げて政府批判の材料にしたいだけだ。 スポーツが与えてくれる勇気・感動は昨夜の阪神戦で証明された。新人のホームラン3発は感動ものだ。

  また、今日の朝日新聞は、飲食店の自粛要請を「禁酒法」と同様に論じている。飲む飲まないは個人の自由だ、とか。禁酒法は社会の分断を招く、とか。大仰に社会問題化したいのだろう。パンデミックと言う戦時状態の「お願い」レベルを、昭和大戦の「国家総動員法」と同レベルで論じる愚を犯している。この程度の窮屈さで、自由が奪われたと叫ぶべきではない。まだまだ日本は自由過ぎる。一定の躾(しつけ)は必要であり、「ならぬことはならぬ。」と、理屈抜きに「みんながやれば感染拡大する行いは、自分一人でもしてはならない。」と、教えるべきで社会に影響力のある新聞ならそう言うべきだ。

 感染拡大は政府の責任だ。長い自粛は理不尽だ。給付金で助けろ。五輪はやめろ。中国を見習え。自由だ。人権だ。男女平等だ。もう無茶苦茶だ。

 ここからは、五輪開催の「プレイブック」の中身の不備を突いてくるネガティブキャンペーンが始まるぞ・・・。


846 あちゃこの京都日誌 俺にも言わせろ!

2021-05-20 08:49:05 | 日記

大関朝の山が、文春砲でやられている。詳しく見る気もないが、自粛期間中、場所前にも関わらずキャバクラに行ったことを暴かれたのだ。今場所、見るからに元気がなさそうで、単に体調の問題には見えなかった。案の定、このような問題があったのだ。

プロフィール・人柄|がんばれ!朝乃山関

ただし、問題だかどうかの判断は分かれる。自粛は強制ではない。一方、相撲協会には倫理規定がある。行動規範のようなものも定めている。いわば社内ルールのようなものだ。つまり犯罪ではないが、ルール違反という事だ。つまりは、罰するのは協会であり世間ではない。まして文春ではない。

我々サラリーマンが、夜の街に出たことが発覚したら社内ルールに従って処罰されるだろうが、多くの企業で上司が強く叱る程度だろう。首になったりはしない。所謂、げんこつを食らうことになる。国会議員や医師会会長などは「公人」であり、世間の批判を一斉に浴びるし、辞任や解任に繋がる。

ある有名企業では、社員の相互監視が行われ、人事部にタレコミが多数寄せられるらしい。昼食時でも、数人で出かけると問題だと言う。当然、夜の街で見つかれば人事部に報告される。事実左遷された幹部社員もいるらしい。そんな会社は嫌だ。

さて、お相撲さんは「公人」か。芸能人は「公人」か。有名人だが公人としての責任ではない。それより怖いのは、人気が無くなることだ。人気がなければ、食って行けない。辞任・解任と同様の処分?を受けることになる。スポーツ選手はどうか。成績さえ良ければ許される、ものではないが、・・・。

しかし、世間の常識からかけ離れた稽古の日々を送る相撲取りに強い倫理観を要求することに違和感はある。一方、スポーツ選手だから大目に見てもらえるとも思わない。しかし、ことさら事を暴いて、荒立てることに意味があるのか。

スギHD杉浦会長「全従業員に手当、開け続ける使命から」:日経ビジネス ...

先日来、ワクチンを先行接種した市長や町長を非難するなど、世知辛い世の中になったものだ。コロナ禍が長引いて、明らかに人の「許容度」が狭くなっている。自分に甘く、他人に厳しいのだ。大量接種会場での軽微なミスに対して、大仰に謝罪を要求するマスコミには絶望感しかない。

国家権力の暴走や不正をけん制するのは、マスコミの使命ではある。しかし、行政の現場で必死に業務をこなしている公務員を責めても意味はない。国民規模でワクチンを短期間に接種するなどと言う前代未聞の事態に、現場の混乱は想像を越える。

応援・助言してこそマスコミや知識人の役割なのに、現場の公務員をいじめても始まらない。このように、国民みんなの「許容度」が無くなり世知辛い世の中になっている。みんなで考えよう。我々に勇気を与える芸能人・スポーツ選手、医療現場・各省庁の現場職員・地方自治体職員の関係者へのリスペクトと応援する気持ち。

コロナワクチン大規模接種、課題も…トラブル回避策は「ワイドショー見 ...

まずは自らの行動に責任を持つ。それが原点だ。

 


845 あちゃこの京都日誌 目くじらを立てる

2021-05-14 08:29:21 | 日記

目くじらを立てる。「こんな世の中はいやだ。」

目くじらを立てる」の意味や語源とは?使い方・例文と類語も | TRANS.Biz

ワクチン接種が始まった。早速大混乱。優先順位が明確でない為に、パニック状態。早いもの勝になってしまった。オンラインがシャットダウン、電話は繋がらず、金融機関のシステム障害にまで拡がった。高級官僚たちの知恵の無さに涙が出る。

さらに、有名(スギ薬局)経営者のごり押し事案や、一部自治体の町長や市長の優先接種事件。はたまた、高橋内閣参与の「さざ波」発言など、正に世の中「目くじらを立てる。」ことばかりの様だ。まあまあ待ってくれ!そんなに怒ることか?

ワクチンの接種順位は、法律なのか?医療関係者を先にしろ、高齢者を優先しろ、持病・基礎疾患のあるものを優先しろ、などなど。基礎疾患のある若い人は?医療関係者だが若い人は?市長や町長だが若い健康な人は?そのような複雑な要因があるので、優先すべきガイドラインを示しただけじゃないか。

私の認識ならば、現場でキャンセルなどワクチンの余りが出たら、現場での判断であり批判すべきではない。まして陣頭指揮をとる市長・町長は選挙で選ばれた選民であり批判が出ることに違和感がある。いずれにしても「目くじらを立てる」ことではない。

スギHD杉浦会長「全従業員に手当、開け続ける使命から」:日経ビジネス ...

目くじらを立てるべきは、行政の運営の下手さである。IT・DXを駆使した行政運営をして来なかったのが残念だ。給付金の配布の時も問題視されたのに、「何をしてたか?」と、怒るべきだ。孤立高齢者への普段からの行政サービスも行われていない可能性がある。

高橋氏の「さざ波」発言もそうだが、日本人の多様性への許容度はどうなったのだろうか。左翼系論者は様々な考え方を重視すべきだとも言う。しかし多様性への許容度はむしろ狭くなっている。つまりは、我がままなのだ。自分勝手でしかない。切り取り批判はやめた方が良い。

スギ薬局の創業者は、全国的薬局チェーンを作り上げた地元の功労者で、地域貢献も行っている。その立志伝中の御夫婦が、ワクチンを優先的に受けた。・・・・・。何で批判されるのか。地域貢献という大きなベネフィットと先にワクチンを打った小さな失策?をこれほど批判するか?

目から鱗だったこと!! | ガールズちゃんねる - Girls Channel -

「目くじら」とは、目尻の事でそれを立てると怒りの表情となる。ここはひとつ目尻を下げて、優しくことに対処しようではないか。怒りの意識を冷静に、相手の感情も考えて見たら、そこで、「目からうろこが取れる。」かも知れないではないか?

 

 


844 あちゃこの京都日誌 戦う天皇たち 光格天皇  ⑧

2021-05-10 08:55:01 | 日記

⑧ 架空実録小説 「相談役一件」尊号一件を現代の会社組織にあてはめて見た。

 

登場人物

①有限会社「朝廷」 

社長 光格 

専務 輔平 

社長実父 典仁 

相談役 後桜町(女性)

②株式会社徳川 

社長 家斉   

常務 定信   

社長実父 治済  

光格天皇 - Wikipedia光格社長閑院宮典仁親王 - Wikipedia典仁社長実父

 

 成り上がりだが老舗の徳川株式会社は、一代で急成長した太閤株式会社を乗っ取り、あろうことか日本最古の伝統的な有限会社朝廷を買収し子会社とした。藤原カンパニーなどの古代からの巨大財閥への影響力や重要な伝統と文化を担う朝廷は、権威はあるが権力はなく生産性は全くない。つまり赤字経営が常態化しているのだ。朝廷の財政は徳川が担っているが、芸能や儀式に精通した朝廷からは、財閥の継続と権威向上の為、次々に要求が来る。幕府にとって誠に難しい対応が続いている。

 一方、徳川も創業時の勢いはなく売り上げ低迷と、創業家の無駄遣いが過ぎて倒産の危機を迎えていた。もはや朝廷を資金援助する余裕はない。しかし朝廷を利用することで、成り上がり企業の正当性を主張して来た為、両者はある意味持ちつ持たれつの関係でもあった。 昨年、朝廷の本社社屋が火災で焼けた時も、旧社屋よりも巨大なビル建設をしぶしぶ認めたのもそのような微妙な力関係の中で決断したものであった。

 徳川の常務取締役の定信は、相手の朝廷専務取締役の輔平と、幾度も会談を繰り返し以下のような密約を交わした。①本社社屋再建は認めるが、社長室や役員室の設備は極力質素にすること。②今後、それ以外の財政的援助はしない事。③そのような動きが見えたらお互いのホットラインにて事前に知らせる事。以上の三点を約束した。お互い若い社長を補佐して来たものの、徐々に社長の成長・自立にともない、若い役員たちとの軋轢もあり二人とも会社における居場所が無くなりつつあった。

 遂に、輔平専務の方が、解任された。その上で、光格社長の実父を社長経験がないにも関わらず、相談役にさせろと言って来た。役員会の席次が専務や常務よりも下位の席に父親を座らせるのが耐えられないと言う。父親は、創業家とは言え傍流の家で、主に文化的活動に専念し経営実績はない。また、本人にもその意欲もないのだが、光格には前例があることを理由に執拗に要求したのだ。

 徳川でもすぐ大いに話題になった。難しいのは、徳川でも同様の問題があり、社長の家斉は前社長の養子である。実父の治済は本家を出て、のれん分けした一橋家を相続していた。その治済は自身代表権のある会長として、徳川本家の会長室に入ることを狙っていた。相談役は実権を行使する事はないが、会長となれば社長である息子を自由に操る意図も見え隠れする。

 そのような複雑な事情から、朝廷の典仁相談役就任は何としても阻止したい定信は、相手の元専務輔平に密約を盾に執拗に脅しをかけた。当然、輔平にはねんごろに賄賂と引退後の生活の保障を約束していた。輔平の方も自分より若い朝廷役員が、我がもの顔で光格社長を操るのは許しがたい事であった。自分の方が血筋は社長に近いのに学閥の低いサラリーマン役員の跋扈はプライドが許さない。輔平元専務にすれば、光格社長も幼い時は、自分や叔母の後桜町相談役に頼って来たのに今や自分の思う通り経営を行っている事に反発をつのらせていた。

 そのような事情についても、徳川の定信の方も同様で、若社長が就任した時は「社長心得17条」を上程したほどだったのに、こちらも自分の判断で経営をやり始めた。才能の豊かな定信がそばにいると、社長の判断でも世間は定信のアイデアだと勘違いする。それは定信にも辛いし、成人した社長にはもはや耐えがたい事となっていた。

 遂に、朝廷からは社長実父の高齢を理由に、相談役就任の期限を通告してきた。しかも徳川が許可しないと、重要な株主総会を行わないと無理を言って来たのだ。もはや一刻の猶予もなくなった徳川の定信は、朝廷の役員の更迭と、実父にたいしては、相談役就任を自ら辞退するよう強要してきた。光格社長もここまで強く出られたら断念せざるを得なくなった。そうなれば子飼いの役員の更迭は許されるものと思っていた。

私は娘の育て方を間違えた! 「大塚家具」創業者が吐露した“親ばか ...本文とは関係ありません。

 しかし、専務更迭に納得していない輔平の讒言は凄まじく、光格取り巻きの役員の実態を細かく密告していた。相談役一件の主犯格の役員の名前まで詳細に報告されていた。役員更迭の場合、通常は、子会社であっても伝統ある朝廷の場合、事前に知らされるのが慣例だったが、それを無視して定信は一気に更迭をした。しかも本人たちを徳川本社に呼びつけて断行した。

 光格社長の歯ぎしりが、聞こえてきそうな事態であった。ただ、この事は朝廷に同情の風潮を生み、世間には、父の相談役就任が実現したような実録小説が出回る始末だ。世の中は朝廷の復権が、日本財閥の復活には欠かせないとの考え方が台頭しつつあったのである。十数年後、実際徳川は、京都の二条城営業所内部の大部屋で朝廷に経営権(大政)を返上(奉還)した。朝廷社長は孝明社長から明治社長へとなって行く。これを明治維新という。(笑)


843 あちゃこの京都日誌 戦う天皇たち 光格天皇  ⑦

2021-05-09 08:47:57 | 日記

⑦ 戦う天皇ゆかりの寺院  蘆山寺  光格天皇の実父閑院宮典仁親王の陵墓がある。

写真 蘆山寺 

 

京都市上京区寺町通広小路上がる

山号 日本廬山

宗派 天台宗単立

創建 良源

本尊 阿弥陀三尊像

正式 廬山天台講寺

 

陵墓への参

閑院宮 典仁親王 慶光天皇陵墓

現在の京都御所の東側の寺町通には、同志社会館(新島襄邸跡)や梨木神社、清浄華院、清荒神など重要スポットが多い。その一つ廬山寺は「源氏の庭」でも有名だ。紫式部の邸宅跡とされ源氏物語執筆の場でもある。また境内奥の墓地には秀吉の京都改造政策の一つ、「御土居」の跡を見る事が出来る。寺の創建は平安初期で比叡山中興の祖である良源(元三大師)が作った与願金剛院と、鎌倉時代に法然の弟子が宋の廬山に因み作った廬山天台講寺が合併したものである。従って、天台宗と密教、律宗、浄土教が合わさり四宗兼学の道場として発展した。現在地には秀吉の寺町政策に伴って移転して来た。節分には境内で行われる追儺式鬼法楽(通称鬼おどり)に多くの人が見物に訪れる。当日は普段非公開である元三大師ゆかりの「鬼切の独鈷・三鈷」が公開される。アオオニ・アカオニが本堂から出て来るユーモラスな行事である。京都では、季節を分ける節分には魔物を追い払う様々な行事が行われる。その日一日中市内各地を巡るのも面白い。壬生寺の節分会、吉田神社や石清水八幡の鬼やらい神事、須賀神社の「懸想文」などが面白い。また、祇園花街では「おばけ」と称して芸子・舞妓たちが様々に扮装して練り歩き魔物を払う。西洋のハロウィンのようなものだ。

めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に

    雲がくれにし夜半の月影

この紫式部の歌碑はいつでも見る事が出来る。