アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

625 アチャコの京都日誌 新シリーズ京都100寺巡礼  78番  霊鑑寺

2019-05-30 08:27:14 | 日記

78番 霊鑑寺

京都市左京区鹿ケ谷御所ノ段町12

山号  円成山

宗派  臨済宗南禅寺派

開基  後水尾天皇皇女 多利宮

本尊  如意輪観音

別称  鹿ケ谷比丘尼御所・谷御所

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京都のお寺が大好きだ。おすすめ一番はここだ

 

霊鑑寺は、京都観光スポットのメッカである「哲学の道」沿いにある。琵琶湖疎水をたどりながら永観堂から銀閣寺に至る数キロの散策道は季節ごとの草花や近隣の寺院を楽しめる。若王子神社・安楽寺・法然院など見どころが続く。霊鑑寺はその中では地味な存在だが、知る人ぞ知る大文字山の麓の鹿ケ谷の斜面にひっそりと建つ門跡寺院である。

後水尾天皇は多くの皇子・皇女をたくさんの京都の寺院に門跡として送り込んだ。特にこちらは尼門跡寺院として明治維新まで続いていた。筆者は特に思い入れがある。先代の門跡様と何度もお会いしているのだ。寺の財産管理の件で関わった訳だが、ご門跡自身は全くの世間知らずで、それでいて気品と教養の漂う可愛らしいご老人であった。つるつるで真っ白な小さなお顔はまさに深窓のお人だった。

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寺院の見所は、庭園と御所人形である。狭いが手入れの行き届いた回遊式庭園は斜面を生かした見事なものである。般若寺型の灯籠やこの寺でしか見れない日光椿(じっこうつばき)は、是非鑑賞したい。本堂や方丈内は非公開で、庭から覗いて見たが歴史的な文化財や御所人形などを多く所蔵していると聞いているが、残念ながらよく見えなかった。以前親しくお伺いした若い頃、その様な興味があればしっかり見せてもらえたかも知れないのに悔やまれる。

寺の創建は、承応3年(1654年)に後水尾天皇の皇女である多利宮を開基として創建されたものだ。ただ、普段は非公開なので確認してから出かけたい。


624 アチャコの京都日誌 新シリーズ京都100寺巡礼  77番  狸谷不動院

2019-05-29 08:21:54 | 日記

77番 狸谷不動院

 

京都市左京区一乗寺松原町6

山号  狸谷山

宗派  真言宗

本尊  不動明王

開基  桓武天皇

中興  木食禅正人

別称  狸谷のお不動さん

 

 

京都のお寺が大好きだ。おすすめ一番はここだ。

 

狸谷不動院は、桓武天皇が都を開くに当たり鬼門のこの地に、不動明王を安置した事に始まる。その不動院の開祖は木食正禅で、木食とは苦行の一つである十穀絶ちを行った僧のことを言う。当然米や麦、粟稗など十穀を食べないだけではなく、その上で比叡山を走って巡る難行・苦行を行うのである。食するのは木の根や実などしかなく「木食」とはまさに断食に近い。中には即身仏(ミイラ)になる為に自分の体から脂肪分を完全に取り去る目的もあった。死後腐敗しにくくする為だ。そこまで行かなくても断食行を達成した修験僧を特に「木食上人」と呼ぶ。その一人木食禅正が、江戸時代に狸谷不動院として創建した。左京区修学院の奥、瓜生山の山沿いにある。詩仙堂の門前をかすめるように急な坂道を登り本堂まで20~30分かけて登る。本堂は崖造り(舞台造り)で、清水寺の本堂と同じ構造だ。見上げるような本堂に向かい最後の階段を登る。7月の火渡り祭は、夕刻巨大な護摩壇に火を付けて修験僧が数々の秘法を施し、最後にその上を火伏のまじないを行い素足で渡る。願うは無病息災だ。その後1000名を超える一般人が次々に火渡りを行う。

 

御所の鬼門に当たるこの界隈には、霊験強力な寺院が多く鬼門封じを勤めている。

狸谷山修験道の起源である。確かに、山の奥には岩が迫り、ふもとから本堂にたどり着くのにはハイキング気分では行けない。

本殿は、懸崖造り。清水の舞台と同じ構造だ。こちらは飛び落ちると確実に死ぬ。

 

なお、1月28日は初不動の日。がん封じに「笹酒」がふるまわれる。運転者には持ち帰りが用意されていた。

 

京都3初参り

初天神・初弘法・初午大祭・初庚申・初恵比寿・初阿弥陀?これはあったかなあ?

 

 

写真はすべて「初不動」の時のもの


623 アチャコの京都日誌 新シリーズ京都100寺巡礼  76番  曼殊院

2019-05-28 10:04:56 | 日記

76番 曼殊院

 

京都市左京区一乗寺竹ノ内町42

宗派  天台宗

山号  なし

本尊  阿弥陀如来

開基  是算

別称  竹内門跡

 

 

京都のお寺が大好きだ。おすすめ一番はここだ。

左京区一乗寺方面にも良いお寺が多い。曼殊院には数回訪ねている。受付のある「勅使門」の壁には最高の寺格を現わす5本の線が入っている。そして庫裏に直結する玄関先に、「竈媚」と書いた額を掲げている。これが大好きだ。「竈に媚びよ」と読む。上役や上司など権力者に媚びるくらいならば普段一番世話になっている飯を炊く竈に媚びなさい。つまり感謝すべき対象を間違うなという事か。あるいはそもそも何事にも媚びることなく堂々としろとも考えられる。その扁額の下を堂内に入る。

ここは曼殊院道を比叡山方向に数キロ入るので人里離れて静かな佇まいだ。長く門跡寺院の歴史を踏まえて来たので見どころやお宝が多い寺だ。

創建は、天台宗創始者最澄までさかのぼるが、是算上人を創設者としている。是算は菅原氏出身で北野天満宮の別当も兼ねていたと言う。中興は、室町時代後土御門天皇の猶子で貞恒親王の実子である慈運法親王が門主となってからだ。その後代々皇族が門主を務めるようになった。現在地には江戸時代初期に良尚法親王が入山し寺観が整えられた。因みに良尚法親王は桂離宮を作った八条宮智仁親王の実子である。

庭園が素晴らしく鶴島亀島の庭は、小堀遠州作庭とされているが、没年と年代が微妙であり信ぴょう性は薄い。しかし茶室「八窓軒」などには遠州好みのこだわりが随所に見られる。堂内では国宝「黄不動」(絵画)の軸が拝める。おそらくレプリカだろうが憤怒の形相が目前に迫る。またおみくじの創始者である元三大師の等身大の木造がありその仏前にはシンプルなおみくじが置いてあった。その他書院内には宝物が多く見どころが多い。そして庭園をじっくりと眺めていれば時間を忘れる。曼殊院はたっぷり時間を設けて出かけたい。

 

茶室 八窓軒

紅葉の季節がお勧めだ。

因みに京都天台宗5箇室門跡寺院を整理しておく

 

三千院

梶井門跡

左京区大原

初代 堀川天皇皇子 最雲法親王

青蓮院

粟田御所

東山区粟田口

初代 藤原師実の子 行玄

妙法院

 

東山区妙法院前

初代 後高倉院の皇子 尊性法親王

曼殊院

竹内門跡

左京区一乗寺

初代 慈運大僧正

毘沙門堂

 

山科区安朱稲荷山町

初代 後西天皇皇子 公弁法親王


622 アチャコの京都日誌 新シリーズ京都100寺巡礼  75番  勝林院

2019-05-27 09:12:24 | 日記

75番 勝林院

 

左京区大原勝林院町187

山号  魚山

宗派  天台宗

本尊  阿弥陀如来

開山  円仁

別称  問答寺 正式名 魚山大原寺勝林院

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京都のお寺が大好きだ。おすすめ一番はここだ。

 

勝林院は、三千院の山門前に立つと左方向に受付の建屋と中庭を通じて立派な本堂が見える。シンプルな配置のお寺で、手入れの行き届いた庭から本堂内の本尊阿弥陀如来のお顔が見える。

ここは、有名な「大原問答」のお寺だが、「大原談義」と混同していたので整理する。

大原談義

1020年

寂源が法華八講を開く

本尊から光が出て阿弥陀が意を示す

証拠の阿弥陀と呼ばれる

大原問答

1186年

法然が顕真に念仏の意味を説く

本尊が光を放ち念仏の本意を示す

本堂が「証拠堂」と言われる

 

いずれも仏教界の論争がここで行われ本尊の阿弥陀如来が意向を示したのである。特に大原問答では法然に対して9つの難問が顕真より出されたが、法然がすべて回答し念仏の正しさを説いた。民衆はみんなが極楽に導かれると大喜びしたと言う。そして3日3晩念仏を唱えた。

今でも「声明の会」が毎年行われる。筆者は特別な計らいで数年前参加した。本堂内に数十名の僧侶がお経を唱えるその響きは見事な協和音を響かせる。その昔は特に声の良い僧侶には民衆の人気が集まったらしい。筆者もその時はその美声に導かれ極楽に連れてくれるような気がした。因みにユーチューブに公開されいる。正面左の赤いジャケット姿が筆者である。(別に良いですか。)

寺の創建は、平安時代初期の天台座主円仁で魚山大原寺と言い、往生極楽院・勝林院・来迎院の3寺の総称でありそれぞれが子院である。なお本尊の証拠の阿弥陀は平安時代中期の仏師康尚の作品だが、その後の災害などで何度も修復を行っている。残念ながらお顔(頭部)は室町後期の補作である。

声明の旋律を現わす「呂」「律」に因み、周辺に呂川・律川が流れていて「呂律が回らない。」という「呂律」の語源となっている。


621 アチャコの京都日誌 新シリーズ京都100寺巡礼  74 番  宝泉院

2019-05-24 09:00:07 | 日記

74番 宝泉院

 

京都市左京区大原勝林院町187

山号  魚山

宗派  天台宗

開基  宗快

本尊  阿弥陀如来

 宝泉院の画像

京都のお寺が大好きだ。おすすめ一番はここだ。

 

遂に、京都大原にまで足を伸ばす。三千院など見どころの多いエリヤだが大寺院を紹介するのは本意ではない。すぐ隣の声明の寺、勝林院と宝泉院を訪ねる。

まず、宝泉院の見所は二つだ。「血天井」と「五葉松」である。いずれも京都検定的には必須の項目である。このシリーズでも紹介したが、関ケ原の戦いの前哨戦で京都伏見城を守った家康の筆頭の家臣、鳥居元忠が少人数で石田三成に対して籠城戦を戦い敗れたものの時間を稼いだことで、関ケ原の勝利をもたらす。その功績を称え、遺徳を偲び、自刃した武将たちの血痕の残る伏見城の床の板を、市内数か所の寺院の天井に使っている。養源院・興聖寺・正伝寺などいずれも100寺に入っている。

五葉松の方は、金閣寺の陸舟の松、善峯寺の遊龍の松と並び天然記念物であり「京の三名松」という。こちらの五葉の松は上層部が滋賀の「近江富士」の姿に似せている立派な枝ぶりで、方丈の庭園から眺める枝ぶりも見事なものだ。しかし近年の気候変動に昨年の台風被害で絶滅の危機にあっている。残念ながら養生の為白い布が巻かれていた。それでも「額縁の庭園」と呼ばれる本堂から柱越しに眺める眺望は格別だ。盤桓園・鶴亀庭園・宝楽園の3庭園を保有する。

寺の創建は鎌倉時代で勝林院の僧坊の一つとして発展した。狭い本堂・方丈内だが、ぼんやり庭を眺めるとしばし時間を忘れる。