アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

557 アチャコの京都日誌 新シリーズ京都100寺巡礼 ⑬ 戒光寺

2019-02-28 08:10:17 | 日記

13番 戒光寺

 

東山区泉涌寺山内町29

正式名 泉山 戒光律寺

別称  丈六さん

宗派  真言宗泉涌寺派

本尊  釈迦如来

開基  浄業

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参道に出て、来た道を戻る。もちろん泉涌寺山門が右手にあるが、このシリーズは大規模寺院を紹介する目的ではない。数分歩けば右手に戒光寺が見える。筆者は何度も見逃してしまったので、注意して訪問したい。拝観寺ではないので本堂に上がるには勇気がいる。降るガラス扉を開けると巨大な釈迦如来像が迎える。鎌倉時代に運慶・湛慶の親子が彫った丈六の像である。丈六とは仏の正確な身の丈である一尺六寸(4.85m)の仏像の事である。当初は大宮八条にあり、一条戻り橋から三条へと転々とし後水尾天皇の発願により泉涌寺の塔頭寺として現在地に移転した。素朴な本堂の中で厳粛な中、圧倒的存在感の釈迦如来を拝む。さて、この仏像は、「身代わりの丈六さん」と言われる。

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後水尾天皇は東宮政仁親王時代に皇位継承の争いに巻き込まれていた。ある日寝室で就寝中、暗殺者に寝首を掻かれた。ところがその時、このお釈迦様が身代わりになって首を切られたと言う。朝になって見ると確かに、仏像の首には血痕が残っていたのだと言う。現在もはっきりとその跡がうかがえる。訪れる人は余りないが、マニアには見逃せないお寺だ。観光気分では行けないが是非立ち寄りたい。

もう一つ塔頭寺を見てから東福寺に行く。


番外 年を重ねると「気にいらない事」が多い ⑥

2019-02-27 09:05:45 | 日記

おかしくないか?昨日から北朝鮮の、金書記長が何か英雄扱いを受けている。彼は、国際社会に背いて核開発を行い、叔父や兄や多くの側近を殺害している!あまつさえ父の時代かも知れないが日本人を多く拉致している。数々の悪逆無道の人物なのだ。何故あのように大国アメリカの大統領と対等に会談出きるのか。ただただ核を持っているだけの事なのだ。ましてや韓国の大統領まで気を使っている。拉致被害者の御家族の感情を思うとき、違和感と憤りと理不尽さを禁じ得ない。ここ数日の報道を冷静に見る事が出来るだろうか。

韓国も気になる。日本の国力が低下するに従いいちゃもんをつけている。漢江(ハンガン)の奇跡は日本の経済援助のお陰だ。そこからバブルまでは日本を目標にしていて、事は荒立てなかった。ところが、失われた20年、日本の国力が低下するとたちまち足元を見て来る。反日教育は今に始まったものではないが、本音ではなかなか勝てない兄貴のようなものだった日本が、喧嘩を売っても買ってこない弱腰が見えて来ると、増長してきたのだ。つけあがり過ぎた韓国は、今や舐めているとしか言いようがない。最近の諸事件言うまでもなく日本に非はない。日本に反省点があるとするなら、世界から尊敬される毅然とした対応だ。日本に固有の高い精神性と交渉力だ。武力を行使しないと決めたのなら、交渉は放棄せず強く対抗してもらいたい。


556 アチャコの京都日誌 新シリーズ京都100寺巡礼 ⑫ 雲龍院

2019-02-27 08:56:09 | 日記

12番 雲龍院

 Unryuin Kyoto15n4592.jpg12 

東山区泉涌寺山内町36

正式名称  別格本山 那智山雲龍院

宗派  古義真言宗

本尊  薬師如来

開基  後光厳天皇

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泉涌寺の山門を左に見て、さらに東方奥に進むと雲龍院がある。筆者は知人を京都案内する時には、必ずメニューに入れるお気に入りの寺院だ。

雲龍院は、室町時代の北朝初代の後光厳天皇が開基であり南北朝統一時の後小松天皇まで北朝5代の天皇所縁の寺だ。楽しみは、庭と写経だ。まず手入れの行き届いた庭園を眺めながら一服のお茶を頂く。悟りの窓として有名な真ん丸の窓を通して、四季の変化を楽しむ。そして客間の一室に、「色紙の窓」と言うのがこちらの最大の見どころだ。指定された座布団に座ると障子に四つの小さなのぞき窓、左から椿、燈籠、楓、松とそれぞれ違った景色が色紙のように楽しめる、季節によって主役が変わるのもうれしい。

また、本堂である「龍華殿」(重要文化財指)の中で行える写経は是非おすすめだ。まず、「丁字」と言う木の実を乾燥させた特別なものを口に含み口内を清める。次に手に塗香をすり込み身を清める、その高貴な香りに気分も一気に引き締まる。最後に酒水(特別に祈祷された清水)を頭にかけてもらって心を清める。そこで初めて机に向かう。うっすら下書きのある半紙に朱の墨で丁寧に般若心経を書いていく。自分一人だけの龍華殿内は、完全な静寂である。仏と対峙しているとややもすれば恐怖感すら感じる。一心に書いていると時間の経過も忘れ、完成した写経は仏前に納めて帰る。ひと時、室町時代にタイムスリップしたような高揚感を味会う。重要文化財と言う国宝に準じる建物を一瞬でも独占できるのはここだけではないか。

なお、寺宝には、土佐光信作の後円融天皇御真影、大石内蔵助の書いた「龍淵」の墨蹟など重要なものが多い。また北朝の後光厳天皇、後円融天皇、後小松天皇、称光天皇に加え、後水尾天皇以降多くの天皇の御尊碑が安置されるなど皇室との関係は格別である。

最後は、もう一度庭園を眺め、しばらく感慨にふけって帰ることにする。床の間に掛け軸子子子子子子子子子子子子」御存じのこの言葉遊びは、「ねこのここねこ、ししのここじし(の子子猫、獅子の子子獅子)」と読む。

次も、泉涌寺塔頭寺へ


555 アチャコの京都日誌 新シリーズ京都100寺巡礼 ⑪ 今熊野観音寺

2019-02-26 08:30:24 | 日記

11番 今熊野観音寺

 

京都府京都市東山区泉涌寺山内町32

別称  新那智山 観音寺

宗派  真言宗泉涌寺派

本尊  十一面観音(秘仏)

開基  空海

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法住寺のあとは、蓮華王院はもちろん、北隣の血天井の養源院にも立ち寄りたい。その後⑪東大路通に戻るとさらに南下し泉涌寺を目指す。徒歩15分から20分くらいだ。第一山門を入れば緩やかなカーブを歩きながら今熊野観音寺を訪ねる。

開基は空海だが、嵯峨天皇の時代に藤原緒継によって伽藍が整備され「法輪寺」として完成した。本尊は、空海が熊野権現から賜った一寸八分の十一面観音像を胎内仏(仏像の胎内に仏像を納める)とした空海自ら刻した一尺八寸の十一面観音像(秘仏)だ。白河上皇の時代になりこの辺りを紀伊国熊野に対して今熊野と言われ修験の地として栄え「東山観音寺」と呼ばれるようになる。さらに曾孫の後白河上皇になり新那智山の山号を授けて「今熊野観音寺」とした。同時に新熊野神社も造営された。いずれも(イマクマノ)と読むが、寺は今熊野、神社は新熊野である。後白河はこちらの観音様に頭痛を治してもらった。

境内は自由参詣で入り口階段下には、子護大師像と呼ばれる巨大な空海像が迎えてくれる。石段を上がるとすぐに空海が自ら錫杖で掘り当てた「五智の井戸」がある。日本全国には空海が掘ったと伝わる井戸はいくつあるのだろうか。また頭痛封じに加え同じ頭の病気であるボケにも効果があると言う観音様も迎えてくれる。

また、こちらのもう一つの特徴は四国88か所巡りを一日で巡ることが出来る「お砂踏み法要」だ。大講堂の中に四国88か所のお寺から砂を集め、一か所ずつお砂踏みをしながら願いを込めて回るのだ。毎年921日~3日間の今熊野観音寺恒例の重要行事である。

普段は静かな境内で、つい数年前朱色鮮やかに塗りなおした多宝塔である「医聖堂」など丁寧に巡ればたっぷり小一時間かかる古刹である。

この後は、さらに泉涌寺塔頭をいくつか巡る。


554 アチャコの京都日誌 新シリーズ京都100寺巡礼 ⑩ 法住寺

2019-02-25 08:58:15 | 日記

10番 法住寺

 

東山区三十三間堂廻り町655

別称  後白河上皇法住寺殿 

創設  藤原為光 

宗派  天台宗

本尊  不動明王(身代わり不動)

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西福寺からすぐ南の六波羅蜜寺を訪ねて、東大路を南に向けて歩く。智積院や妙法院を左に見ながら七条通まで20分~30分かけて行くと京都国立博物館や三十三間堂が右手に見えて来る。平清盛が後白河上皇の為に1000体の千手観音像を寄進したのが蓮華王院(三十三間堂)だ。片頭痛持ちであった後白河の影響で周辺に頭痛封じの寺院が多い。追々紹介する。

さて、その昔源頼朝挙兵の後、木曽で源義仲が京を襲う。平家を追い出す大殊勲を挙げるがその後の後白河上皇からの論功第一は、頼朝であった。ブチ切れた木曽義仲は、ここ院御所を包囲した。ここで歴史の中心地に出て来るのが、法住寺である。創建は平安中期の藤原為光であるが、平安末期、この平家合戦の時に注目される。

往時の寺域に比べれば見る影もないが、本堂は自由に参詣できる。正面の本尊は不動明王像。義仲に襲われ火中から後白河が逃げる為に、身代わりになった事から「身代わり不動」と呼ばれる。その大祭は11月15日護摩供養と共に盛大に行われる。狭い境内に派手に護摩を焚く光景は必見だ。また、ぜんざいの接待などあるので筆者は毎年尋ねる。なお、その身代わり不動をカレンダーに直筆にて住職が書いたものが販売される。これも毎年楽しみだ。

「法住寺カレンダ...」の画像検索結果

因みに、忠臣蔵の大石内蔵助との所縁深く12月14日には「義士大祭」も行われる。

寺域東側の後白河天皇陵は宮内庁管轄となっている。必ず合わせて訪ねておきたい。