アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

65 アチャコの京都日誌

2017-05-30 09:37:33 | 日記

65 アキレス腱つながった 

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左足のアキレス腱を切った。従って、あらゆる場面で左足に不測の事態が起きないように気を付けている。どこかから物が落ちて来ないか、寝ていたら誰かに踏まれないか、(配偶者しかあり得ないが、信用していない)十分に気を付けている。それでも、以前にご紹介したように、なんと、右足だが蜂に刺されたのである。詳細は以前書いたが、なんと洗濯したズボンの中に潜んでいたのだ。私は配偶者による「生物兵器」だと断定している。

いずれにしても気を付けている。それなのに新たなトラブルに襲われた。動けるようになったので回転寿司屋に行った。人気店で待合エリアで相当待たされた。背もたれの無い簡易椅子が二列並んでいる後方の椅子に座ってた。前に子供連れの若い夫婦。2歳くらいの女の子がいた。気を付けていたのだ。左右に。私の前を通過する不注意な人たちに踏まれないように気を付けていたのだ。しかし突然、左足に強い衝撃。「痛い。」誰も通過していないのに。足元を見ると、前の女の子があおむけに落ちていた。しかも見事に私の負傷している左足にだ。女の子にとっては、その足を枕にして安全に着地している。しかし私は犠牲者になっている。

私は、精いっぱいの見栄を張って「大丈夫ですか?」という夫婦に対して、

「ううん?私の方?それより女の子は大丈夫?」(涙笑)

翌日、くるぶしまでがっちり保護できる新しい靴を買いに行った。念には念を入れる

 

御金神社に行って来た。何度も行った。

 

本当に存在する京都の神社だ。最近やっと話題になって来た。

以前京都観光セミナーを開催していた時には、最後の鉄板のネタだった。金融機関のお客様なので「必ずお金持ちになりますよ。」「相場に勝てますよ。」とか言うと爆笑が取れた。

 御池通堀川のすぐ東北にある。ちょうど二条城のすぐ東にある。小さいので見逃してしまうが、正面鳥居が派手なので注意すればすぐ分かる。祭神は「金山彦神」イザナミの命の直系の子で鉱山の神様だ。早々にお賽銭をはずんで、手を合わせる。ありがたいお札とお守りを購入する。狭い境内に銀杏の木が何本かあり、神社の人に聞けば、秋に落葉した黄金色の銀杏の葉を財布に入れればお金持ちになるという。だったら先に言ってくれ、お守りとお札買う前に。

 なかなか商売上手な神社だ。やっぱり神頼みだけでは金持ちにはなれないのだ。

 


64  アチャコちゃんの京都日誌  再びの京都 仁和寺

2017-05-28 08:29:52 | 日記

64 アキレス腱つながったけど、すぐには歩けない。

 

外科の先生からほぼ完全に繋がっていることを宣言された。

「結局手術しなくて良かったですね。回復は順調です。」どんどん歩いて筋力の回復に努めるように勧められた。ふくらはぎの筋肉も、

「やせ衰えていたので、頑張ってください。」??「先生!やせは良いけど、衰えては余計ちゃう?」

「けど、やせ衰えてましたよ。」「やせ衰えるって、老いさらばえる。に似てません?なんか言いすぎじゃないですか。」

「老いさらばえるとは、言ってませんよ。」「似たような表現です。」

医者なら、言い方には気を付けてもらいたいが、私の神経過敏かも。

食う。食い散らかす。禿げる。禿げ散らかす。逃げる。逃げまくる。やる。やりまくる。

例「あのお父さんは、気の毒に禿げてる。」「あのお父さんは、気の毒に禿げ散らかしている。」

 「あそこの爺さん、老いたなあ。」「あそこの爺さん、老いさらばえたなあ。」

皆さん、言い方には気を付けましょう!

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仁和寺に行った。何度も行った。

 

京都の北部、嵯峨野から衣笠辺りは,平安時代には時の権力者の別荘が多くあって、天皇が離宮として営んだ後に、寺になって行くことも多い。清凉寺や天龍寺・大覚寺などがそうだ。ここ仁和寺の地域も多くの王侯貴族が別荘を営んだ。その地に、59代宇多天皇が、父の光孝天皇の意志を継いで、西方浄土の希求思想に因んで寺院を建立した。寺の名前に年号を付けるのは、延暦寺以来で特別な事なのである。後に足利尊氏が、天龍寺を建立するとき、年号から因んで、暦応寺を希望したが比叡山延暦寺の反対にあって断念したほどだ。従って仁和寺は「御室御所」と尊称された。さらに、この辺りを御室と呼ぶようにもなった。

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世界遺産であるここ仁和寺は、国宝など寺宝が多く見どころも多い。嵐山鉄道の駅からは、まず重文の「仁王門」から入る。圧倒されるほどの存在がある。知恩院・南禅寺とで、京都の三大山門と言われる。それぞれ写真などで御存じだと思う。広い境内で、正面の中門をくぐって奥の国宝の金堂まで一直線に並ぶ。洛中の寺と比べて敷地が広く悠々と拝観できる。金堂右には、五重塔が聳えるが、東寺の塔よりやや低いが、姿はよく似ていて存在感は十分ある。

有名な御室桜は、遅咲きで有名。また不美人のたとえにされる。はな(花・鼻)が低いのだ。「おたやんコケても鼻打たぬ。」四月の下旬に満開を迎える。

因みに、京都検定受験者には誠に難儀な国宝がここにある。空海や橘逸勢の書になる「三十帖冊子」これも国宝だが、それを納める箱も国宝。その名前「宝相華迦陵頻伽蒔絵𡑮冊子箱」という。一級ではすべて漢字で正確に答えねばならない。宝相華や迦陵頻伽の模様のある蒔絵の冊子箱か?

帰りには、飛濤亭と遼廓亭で有名な御殿の庭園を見学し抹茶でも頂いて疲れを癒してもらいたい。

また、期間限定だが、背後にある成就山では、四国88か所観音霊場巡りが行える。今熊野観音寺では、88か所のお砂踏み供養が出来るが、こちらは多少ハイキング気分で回れるらしい。(行ったことはないが。)

 


63 アチャコちゃんの京都日誌 再びの京都 頂妙寺 

2017-05-26 07:16:09 | 日記

63 アキレス腱つながったが、歩けない。

 

途中からの読者の為の続編。自宅での療養生活は過酷を極めた。不自由さに加えて配偶者との確執が表面化する。以下は、当時の書き込み!

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「足の痛みは、心の痛みに変わって来た。配偶者に伝えねばならない。頭の中で何度もシュミレーションする。『なんでアキレス腱切ったの』『その年で、テニスする馬鹿がいる』『歩けなくなっても知らんよ。』『家に帰っても面倒目れないからそのまま入院していて。』こんなやり取りが想定された。意を決して、TELすると、案の定、第一声『ええつ!3月期末の忙しい時に、帰って来られても迷惑なので入院しておいてください。』確かに、企業人なら期末の忙しさは理解できる。しかしこちらは申訳がないと思いつつ、仕方なく自宅に帰ろうと思ったのだ。入院してもなんの治療もすでになく、保存療法(アキレス腱は手術して繋げる方法もあるが、最近はそのまま固定して自然に繋がるのを待つ方法が主流らしい。)従って、自宅安静しか方法はないのだ。遂に吾輩も切れた。『もういい!お前には頼まない。馬鹿野郎!』啖呵を切ってしまった。難民となった瞬間だった。

アキレス腱だけではなく、夫婦の関係も断絶したのだ。足が痛い。心が痛い。鎮痛剤3倍飲んだけど効かなかった。」

 

頂妙寺に行って来た。元気に動きまわってた数年前だ。

 

その昔、室町時代中頃には洛中には日蓮宗が隆盛を極めていた。「皆法華」と言われた時代だ。主要なお寺が21あり、「洛中法華21箇本山」が日蓮宗の繁栄を支えた。しかし、一度全部焼き払われた。

天文法華の乱。法華宗の側から言えば、天文の法難。日蓮衆も門徒(浄土真宗)も庶民に人気を得た為に時の権力者や仏教界の権威である比叡山からは、迫害を受ける。しかも昔は、お寺というものが決して平和的な存在でなく、武装集団だったのだ。この法難の結果、洛中の法華寺院はすべて焼かれた。そして、洛中から法華衆は追放された。その後、15寺が復活していてその一つが、ここ頂妙寺だ。

 

南から一直線に、山門・仁王門・大本堂と並ぶ。観光バスが何台も停まる大きな駐車場が北方にあるので、団体さんは本堂の裏から入るが、ここは是非、正面仁王門からお参りしたい。町名にある「仁王門通り」は、これに由来する。広い大本堂の中の「日蓮聖人像」を宗派を超えて拝むと民間宗教の苦難の歴史を感じる。特別公開の有名な俵屋宗達の「牛図」二幅の内一幅を見た。(もう一幅は来週)たらし込みという技法で牛の筋肉の躍動感を表わしている。我々がよくやる単なる「にじみ」だが、宗達がやると芸術になる。

境内の多くのお堂を丁寧にめぐって帰路についた。


62 アチャコちゃんの京都日誌

2017-05-23 07:01:07 | 日記

62   アキレス腱つながったが、すぐに歩けない。

 

リハビリの毎日だ。前日と比べれば前進していると思うが、歩き方はぎこちない。この土日は一歳半の孫が来ていて散歩について行くのが励みにもなりちょうど良い。段差を上がる脚力は現在は孫に劣る。従って、目標は「孫」である。

 

等持院に行った。何度か訪れた。最近の話だ。

 

京都では歴史上の人物のゆかりの名所を訪ねるのも楽しい。秀吉の醍醐寺や豊国神社。小野小町の随心院や退耕庵。菅原道真ゆかりの各天神さん。

その中で、足利尊氏は人気が低い。義満の金閣寺や義政の銀閣寺は誰でも知っているが、よほどのマニアでないと等持院は訪れない。(しかし知る人ぞ知る名園だ)明治維新後、歴史検証の中で南北朝時代の南朝側が正当な系統とされ、南朝側の楠正成や新田義貞などが英雄視される一方、尊氏は逆賊扱いを受けて来た。NHK大河ドラマでも真田広之という当代の人気者が演じても評価は、高まらなかった。

平家物語の源平合戦の様に単純ではない太平記は、あまり純粋な善人の登場が少ない。後醍醐天皇も扱いは難しい。中でも尊氏の評価は厳しい。「優柔不断」「裏切者」「冷酷者」「戦争が下手」など、実質弟の直義が仕切っていたが、その直義と決定的に対決するものの、頼朝が義経を成敗するような絶大な力もなかった。

 

等持院はその足利家の菩提寺だ。京都北部の衣笠にある。以前は広大な敷地を誇っていたのだろうが、資金的な問題もあって、大部分を立命館大学に譲っている。借地なのかどうか?境内に住宅地となっている個所もあり訪ねるとややがっかりする。最大のがっかりは、庭園の景観の向こうに立命館の校舎が見える事だ。校舎建設時、学校側にも配慮をして欲しかった。(そこで受験した事がある。しかも落とされた)

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それでも、心字池と芙蓉池を中心にした回遊式庭園は、初夏の半夏生など見どころの多い名園だ。清蓮亭と名付けられた茶室は、義政好みで秀逸だ。そして、霊光殿内には、歴代足利将軍の実物大の木造がまつられている。ほとんどの将軍は、実権がなく一般人には有名でもない。苦難の足利政権時代を象徴して将軍たちの表情が趣深い。少年のまま就任し若くして死した将軍は、幼い表情に哀れすら感じる。

国宝も重要文化財もあまりないお寺だが、方丈廊下から庭を眺めながらお薄をいっぷく頂いていると、さしたる才能を持たない男が、源氏の名門に生まれたばかりに足利得宗家として征夷大将軍に祭り上げられた人物の苦労を思う。諸説あるが、秀吉や家康のように狙って天下を取ったのではなかったのだ。

帰路、境内墓地に大きな人物像が立っている。振り返りよく見ると、マキノ省三像。ここは活動写真の初期の時代の撮影場所だったのだ。日本映画の父。マキノ省三の墓がある。


61 アチャコちゃんの京都日誌 

2017-05-22 08:32:17 | 日記

61 アキレス腱つながったが、すぐに歩けない。

 

途中からの読者(?いるのか)の為に、ブログの経緯を書く。

 

3月の寒い日、会社を休んで、お遊びのテニスで、アキレス腱を断絶した。

会社は、すでに定年を向かえ老後の過ごし方を模索する日々の中、突然の不幸に襲われた。自分には不幸だが、すでに仕事においては究極の窓際族の私は、残念ながら、でもありがたいことに責任のある仕事は来ない。

その様な状況の中で、アキレス腱を断絶した。

そしてあらゆる日常生活からも断絶した。まず、単身赴任の私は、東京で一人生活がまず困難となる。年休もたっぷり残っているので長期休暇を決断する。

救急病院で、ギブスで固定された後、医者は、「バイバイ」と言わんばかりに冷たく退院(わずか30分ほどの滞在だ)した私は、自動販売機で購入した松葉杖と二人連れで、仕方なく会社にタクシーで向かった。同僚は実態を見て大笑い。みんないい奴だ。

問題は、社長だ。目いっぱい重要な仕事を担っているように見せかけていた私が、あっさり休むと言えば怒るだろう。他の社員への配慮もあるだろうし、松葉杖でも来い。と、言うかも知れない。

恐る恐る社長に報告、実態を見せて「すみませんこのような状態なので、長期休暇ください。」

「馬鹿野郎!!」案の定、会社中の社員が驚くような恫喝が来た。そりゃそうだ。定年直前の社員が、直前にけがをして休む。出て来たらすぐ定年!「馬鹿野郎!!」

そして、そばに来て、耳元にこうささやいた。「遊び相手がいなくなるじゃないか!」

俺は、釣りバカ日誌の浜ちゃんか?

こうして闘病生活が始まった。

暇を持て余しブログを始める。京都の紹介を中心に、闘病ねた、配偶者との断絶ねた、サラリーマン爆笑ねたの4本シリーズのブログだ。こうご期待!!