アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

815 あちゃこの京都日誌  艶笑(つやわらい)

2021-03-24 09:32:01 | 日記

第4回 艶笑

よべこき―奥会津艶笑譚』|感想・レビュー - 読書メーター各地方にも艶笑譚は多い。

エロいことに関わる笑い。艶笑話は、落語などでエロごとに関わる落とし噺である。現代では、上演に耐えられないきわどい話が多い。関西では、露乃五郎(故人)が好んで演じていたが、公序良俗に触る話がほとんどで今日ならば男女差別やジェンダーフリーなど多くの問題を含む。筆者はむしろ大ぴらに話し合える艶笑話と言うものは先進的で開放的で素晴らしいと考える。

露の 五郎兵衛(二代目) | 上方落語家名鑑

艶笑と言うものは、解釈が幅広いので、誰にも日常的に発生しうる。ここにいる熟年の奥さん、旦那とは数年以上床を共にしていない。お互い一人で寝るのが当たり前のこととなっている。性欲はまだあるが、我慢できない程でもない。旦那は、エロ雑誌など枕元に隠しているので、自ら処理?しているか、たまには風俗にでも行って発散しているのだろう。自分は時々、好きな男性俳優の事を想像して股間に指を入れてモゾモゾする程度だ。今日もそんな瞑想を楽しんでいる真っ最中、旦那が珍しく布団に闖入して来た。

孤閨」(こけい)の意味

寝たふりをして、旦那を受け入れることにした。なぜか意地を張って喜んで応じるのも恥ずかしい気分でもあった。目をつぶり事に及ぶ旦那を無視したが、空想の中ではすでに受け入れる準備が出来ていた為、不覚にもすぐにチョット軽い快感がおそった。

情事」(じょうじ)の意味

寝ている振りを続けたが、夫に背中を向けたまま思わず笑みがこぼれた。これが艶笑だ。


814 あちゃこの京都日誌  高笑い

2021-03-24 09:32:01 | 日記

第3回 高笑い

豊臣秀吉のイラスト素材 - PIXTA

ここは京の南、木幡伏見城。淀(大阪)方面にも奈良方面にも、そして東海道を通じて東国からの攻めにも睨みを聞かせる要地である。しかし、今の秀吉には攻められる危険はほぼない。すでに天下を手中にしたと言っても過言ではない。

反抗するのは、薩摩の島津氏と小田原の北条氏くらいである。育ての親である織田信長の勢力範囲を大幅に拡大したのだ。思えば、桶狭間の急襲に徒で参加したのは23歳の時だった。今は50歳。まだまだ元気だ。悩みは世継ぎのいないことである。性欲は衰えを知らない。自らの天下を横取りしそうな家康は、悔しくも子作りでは完敗だ。彼は、とにかく妊娠しそうな女を選ぶ。後家でも年増でも骨盤の張った乳の大きな女を選ぶ。貴賤は問わない。しかし、秀吉は違う。出身が下賤の出なので、高貴な血を望む。むしろ高級な女性にしか欲情しない。土のまみれた百姓の自分に喜んで抱かれる貴種にこそ征服欲が満たされる。しかし子は出来ない。毎晩列をなすように女を侍らす。一晩に複数の女を抱くこともある。

豊臣秀吉の子供は何人?】家運を決めた淀君の子供とその謎 | 歴人マガジン

それでも最近はなぜか満たされない。それは茶々(淀君)が、自分を受け付けない事だ。彼女こそが、武家社会の最高の貴種なのだ。信長の妹、戦国最高の美女お市の方を母に持ち、父は戦国大名の雄、浅井長政である。そのお市の方に憧れ、身を焦がした秀吉は、茶々が成長とともに母にうり二つの美女に成長したのを見ると我慢が出来ないのだ。悩ましく身もだえし、しばしば言い寄ったが、うんと言わない。無理やり押し倒しても良いのだが、彼女にだけはそうは出来ない。お市の方と信長の面影が浮かぶのだ。

何とか、自分のものにしたい。

しかし、遂に突然向こうから承諾の意思を伝えて来た。我が天下を茶々も認めざるを得なくなったのだ。早々に、伏見に呼び寄せた。秀吉51歳、淀君20歳。彼女は自分の世継ぎを生む気がする。大丈夫だ。

すでに南蛮渡来の媚薬を茶々には仕込み、自らは朝鮮から最高級の人参を取り寄せ煎じて飲んだ。今は、自分のそれは準備完了である。渡り廊下を忍んで行く間、数々の戦場の苦労が思い出され思わず笑みがこぼれた。加えて自分の幸運を思うと、徐々に笑みから腹を抱えて笑えて来た。そしてついには城中に響き渡るような大声で大笑いした。止まらない。自分をさえぎるものは何もない。金も地位も人も女も・・・・・。まさに高笑いである。


813 あちゃこの京都日誌  泣き笑い から  笑い泣き へ

2021-03-19 09:17:23 | 日記

現在の朝ドラ「おちょやん」は、朝ドラ史上最高の作品だと思う。親子の切ない人情を中心に、大阪の道頓堀での新喜劇の歴史がうかがえる。曾我廼家兄弟劇や先代渋谷天外の松竹家庭劇など、史実に基づき脚色を入れた名作である。浪花千恵子が実家庭では大変な苦労をし日本の母の称号を得る過程をうまく表現している。

富田林市出身、昭和の名女優 浪花千栄子さん - 富田林市公式ウェブサイト

筆者の若い時、正しい大阪弁をしゃべる最後の役者と呼ばれたのが、浪花千恵子だった。今回の役者たちの大阪弁は、ネイティブの域だ。筆者の大阪弁は河内弁だが、それもほぼ正しく伝えている。トータス松本とほしやんの二人が傑出して良い。特に、おちょやんの父親の照男役のトータスが素晴らしい。

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「泣き笑い」

そこで、劇中、余命を悟った照男がおちょやんの夫、天海天海(あまみてんかい)に写真を撮ってもらう。数々の悪行を重ね、娘に迷惑をかけ続け、天海にも憎まれて来た照男は、複雑な表情のままカメラの前に座る。そこで、天海が人生で一番の笑顔を、と求める。

おちょ簿 2020年12月25日(金)|1974|note

これで史実との関係が分かる。ほしゃんと板尾との対立は、五郎・十郎の事だ。

筆者の父もそうだったが、昔は教育が十分でない為、破天荒な人間は多くいた。稼いではすぐ飲んで借金を作る。博打で取り返そうとしてやくざに追いかけられる。どうしようもない堕落人生の父親でも、子供への愛情は本能として持っていて、子の悪行には怒り、成績が良ければ近所に自慢する。

ドラマ「おちょやん」の出演者・ゲスト一覧 | ザテレビジョン(0000969903)

そんな父親が、子の成長を見届けられず憎まれたまま死んで行く。そこで写真を撮る時に笑えない。むしろ自分の人生の悔いが募り涙が出る。遂には、声を出して号泣する。そんな時、人生一番の笑顔を要求された。照男(トータス松本)は、目から涙を流したまま大笑いをするのである。

泣き笑いである。我が人生は如何にアホだったのか。その写真が、葬式で掲げられた。見たおちょやんの仲間たちが、ええ笑顔やないかと大笑いしている。しかし、みんな笑っているが、目から涙。「笑い泣き」である。大阪道頓堀には、どんな悪人でも心からは憎まない人情があった。

おちょやん】のモデル曾我廼家十吾とは?『ほっしゃん』こと星田英利 ...

真ん中、浪花千恵子の左が、ほしゃん演じる曾我廼家十吾である。左奥に若き日の藤山寛美が見える。

今こそ松竹新喜劇が目指した「泣き笑い人生」を見直したい。いじめ・自殺・格差・ハラスメントなど、情の無い話が多い昨今。泣いても笑っても人生は、オモロイものだ。


812 あちゃこの京都日誌  無言祭り

2021-03-17 07:59:02 | 日記

今年も葵祭が中止となった。祭り本来の「祈り」は、行われるのだろうが、巡行は見送るという事だ。感染対策に不安があるらしい。仕方あるまい。しかし、このままだとワクチンの接種にもよるが、3大祭りの祇園祭り、秋の時代祭りも危うい。もとより、各寺院のお祭り・行事の延期・中止が今も相次いでいる。

□『祇園祭』無言参り - 京都の歳時記

そこで提案。「無言参り」

祇園祭の最中、寺町四条の御旅所に祇園の芸舞妓たちがお参りに来る。置屋を出て、お参りし願い事をし帰るまで、一切無言で通す。これを無言参りと言う。神に祈願する際に、お百度とか、茶断ちなど一定の負荷をかけるお参りのスタイルがある。無言参りもその一つだ。当たり前に遊び気分で祈願しているのではなく、本気度を示す為だと小生は解釈している。

十三参りの時に、法輪寺から渡月橋を渡り終えるまでに、振り向くと授かった知恵が逃げると言うのは、子供への躾だと思う。

新型コロナウイルス感染症予防の徹底について|尼崎市公式ホームページ

さて、感染対策上、一切しゃべらないのは有効な手段だ。しかも神様にも真面目さが伝わり願い事を聞いてもらいやすい。京の祭りには、家から見物し帰りつくまで一切無言で過ごす。この新しいスタイルを提案する。何か格好いいではないか。大勢の見物客が全く声を発することなく静かに行列を見送る。こんな厳かで厳粛なお祭りはどうだ。

葵祭・行列の構成 | 京都じっくり観光

「無言祭り」!どなたか声を上げて欲しい。


811 あちゃこの京都日誌    ① 含み笑い

2021-03-10 08:08:42 | 日記

新シリーズ(に、なるかどうか。)笑いについての考察

第1回 含み笑い

お含みおきください"の意味/例文。目上への使い方|ビジネス敬語 ...

「含み」は、含み資産、含み損、そして含み笑いなどと使用頻度は高い。含蓄や含意などと熟語も多い。含み資産や含み損は経済ではよく使う表現で、時価会計が進んで今はあまり使わないが、バブル当時は帳簿上の価格に対して、時価が相当値上がりしていて表面化しない資産が株の買い材料になったりした。いかがわしさが漂うが、本来表面には表れないが、なんとなくほのめかす場合に使う。奥ゆかしい表現方法だ。

含み笑いマン (@fukumiwaraiman) | Twitter

それと「笑い」が、合体するとややこしい話になる。

大企業の重要会議。経営トップが部下の不始末に大怒りしている。役員一同下を向いたまま、トップの叱責は続く。滔々と怒りをぶつけた後、「どうなっているんや。」と言った直後「知らんけど。」と、言った。某役員は、思い出した。昨夜の宴会で、大阪のおばちゃんの話になった。必ず「知らんけど」と言う。「あそこの旦那さん、浮気してるらしいよ。知らんの奥さんだけや。知らんけど。」と、なる。その話題で取引先と大いに盛り上がった。

大阪のおばちゃんの「…知らんけど」 | ありちゃんのブログ『敦子の部屋』

そのことを思い出したその役員は、一瞬ためらった。神妙にすべきか、笑うか。笑かせるつもりなら笑わないとダメだ。しかし、かなり怒っているようにも見える。恐々、顔を上げた。っと、トップと視線が合った。思わず、笑ったような笑わなかったような、正に「含み笑い」となった。腹の中では笑っていた。しかし顔は真顔のつもりだった。「しまった。」トップの表情が明らかに変わった。

含み笑いをする場合ではなかったことは明らかだ。すぐに視線を外し、覚悟を定めた。役員の更迭はおろか、進退伺いの提出まで考えた。家にはまだ、学費のかかる先妻の娘が3人もいる。現在の妻には双子の乳飲み子までいる。家族の笑顔が走馬灯のように巡った。

「お前だけや、分かってくれたのは。」社長は、大笑いしている。一生このトップについて行こうと決心した。彼の含み笑いが、苦笑いに変わった。