アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

607 アチャコの京都日誌  平成最後の書き込み「本を出します。」

2019-04-29 09:11:48 | 日記

いよいよ平成の最後の日を迎える。

NHK中心に天皇とその時代を特集している。しかし、象徴天皇制を取っている日本の「国体」、その歴史を国民はどれほど知っているか?筆者はその危機感から、本にして上梓することにした。

「令和元年に読む、平安の天皇たち」平安遷都から明治前夜まで  を、出す。

思想的な意味と学術的価値はないが、それぞれの天皇とその時代を知ることで、日本の国が如何に独特の歴史を重ね高い精神性を保持して来たかが分かる。血統を繋げる事は並大抵ではない。何より「やる気?」が重要だった。その事を世に伝えたい。

また、31年間の平成を振り返る「特集」が氾濫している。筆者は、平成の変化を冷めた目で見ている。ITの進歩が如何に発達しても人間は結局、食って、寝て、恋をして、SEXして子を作る。その基本行動には変化はなかった。その以前の昭和はその事(生命活動)にリスクがあり、生と死が隣り合わせの時代であった。戦後のベビーブームのように生命維持本能のもとに全員が「肉食系」である必然性があった。バブル以降経済的な繁栄のピークを越えてあらゆるものが下降線をたどる。令和は、遂に生命活動をIT技術に委ねる事になるだろう。人工臓器を使用する事で死ぬことも出来なくなりその代わり子を作る必要性はなくなる。恋愛やSEXという面倒臭い行為は絶滅するだろう。快楽はロボット相手に何時でもリスクなく得る事になるのだ。自殺以外に死ぬ方法がなくなるので殺人は同意あれば推奨される事になるだろう。何千年、何万年築いて来た生身の人間の営みは、平成で終了している。遺伝子操作やゲノム解析技術などで越えてはならない一線を越えてしまった。その証拠に、LTGPの議論や夫婦別姓問題など、男と女で家族を作る当たり前の道徳観を否定しつつあるのが現状だ。男と男、女と女の結婚が許されるならば、人間とロボットとの養子縁組などが禁止されようはずがない。知らない間に本能的な感情が法律で制限されているのだ。男同士がキスしているのを見るのは嫌だとか、性的転換手術を自分の子どもにはさせたくないと言う感情は極く自然だったが今や大きな声では言えない。これが令和では一層進む。古典的な保守勢力が最後の抵抗を試みるが、惨敗するに違いない。結局選挙や国民投票しても巨大メガデータを支配する「資本」が勝つのだ。以上が、妄想だが否定できますか??

 


605・606 アチャコの京都日誌 新シリーズ京都100寺巡礼  59 番 妙蓮寺 60番 本隆寺

2019-04-27 15:02:58 | 日記

第59番 妙蓮寺

京都市上京区寺之内通大宮東入る妙蓮寺前町875

宗派 法華宗

山号 卯木山

開基 柳屋仲興

本尊 十界曼荼羅

洛中法華21ケ寺

妙蓮寺の説明

第60番 本隆寺

京都市上京区智恵光院五辻上ル紋屋町330

宗派 法華宗

山号 慧光山

開基 日真

本尊 三宝尊

洛中法華21ケ寺

本隆寺 本堂.JPG

合併号

上京の西陣地区の法華宗寺院を二つ同時に紹介する。その前にちょっと脱線する。筆者の証券マンのデビューはこの辺りで飛び込みでスタートしている。飛び込みとはよく言った言葉で、まさに水中に死ぬ気で飛び込むような決心がいる。知らない家にアポントもなしに訪問するのだ。西陣地区は今でも織機の動く音が界隈に聞こえる地域だ。ガチャガチャと大きな音のする織屋さんの家では、チャイムを鳴らしても聞こえず一日中大声で「ごめん下さい。」と100件以上訪ね歩く。1000件に3軒ほどの確率で話を聞いてもらえる程度だ。当然、やる気は2日も持たない。一日サボって映画館に行った事もある。そして気候の良い日は、大寺院の境内や縁側で寝そべっていた。この辺りの寺院の本堂は出入り自由で、日当たりのいい高縁を昼寝の場所としていた。何宗かもどんな歴史を持った寺院かも知らず、今思えば罰当たりな事だった。

妙蓮寺は寺の内通りの堀川を西に入るとすぐに大きな山門が見える。「卯木山」と山号が書いてある。開基でその後も資金援助をして来た柳屋の屋号の「柳」を二文字に分解して「卯木山」とした。珍しい山号だ。同じ西陣地区でも西へ10分ほどの智恵光院通りに面して本隆寺がある。こちらの多くの建物は、江戸後半期の西陣焼きという大火事や天明の大火でも類焼を免れたので「焼けずの寺(不焼寺)」という。また境内には「千代野井戸」という名水がある。いずれも法華宗寺院の典型的な変遷を経て今日、この地域にあり、筆者の休憩場所になったのだ。因みにいずれの寺院も宗教法人として注文をもらう運用顧客に出来なかった事が悔やまれる。


604 アチャコの京都日誌 新シリーズ京都100寺巡礼  58 番 宝鏡寺

2019-04-26 09:06:44 | 日記

 

58番 宝鏡寺

 

京都市上京区寺之内通堀川東入百々町547

宗派 臨済宗

開基 華林宮惠厳

本尊 聖観音像

別称 人形寺 百々御所

 

「百々御所(どどのごしょ)」宝鏡寺という。小川通りには昔、実際小川という川が流れていてこの辺りには、「百々橋」という石橋が架かっていた。その百々橋は応仁の乱の時に戦場となった事が、近くの碑に書かれてある。百々って何?当時の武将の名前に百々氏という名が見つけられるが、百々の意味は分からない。そこに皇室所縁の「小川御所」と言うのがあった。現在の宝鏡寺辺りなので、「百々御所」と通称されるようになった。格式の高い尼門跡寺院を特に何々御所と尊称する。

御寺御所  大聖寺

竹 御所  曇華院

薄雲御所  慈受院

千代野御所 宝慈院

蔵人御所  本光院

常盤御所  光照院

入江御所  三時知恩寺

などが有名だ。いずれも規模は小さいが由緒深い寺院である。いずれ詳しく書く。

宝鏡寺は、その由緒正しさよりは「人形の寺」として有名だ。春と秋の季節の良い時には、特別拝観で多くの御所人形始め歴史的な人形たちを見せてくれる。後水尾上皇の多くの皇女のおひとりが入寺して以来の貴重なお宝だそうだ。後水尾は多くのお子さんを産ませた事で、結果的に京都市内の門跡寺院に貴重な皇室文化財を残してくれた。

狭い建物の中をひしめくように人形たちが保管されている。武者小路実篤の歌碑のある庭と共に見学できる。

その歌碑には、「人形よ 誰が作りしか 誰に愛されしか 

知らねども 愛された事実こそ 汝が成仏の誠なれ」


603 アチャコの京都日誌 新シリーズ京都100寺巡礼  57番 妙顕寺

2019-04-25 09:03:50 | 日記

57番 妙顕寺

 

京都市上京区寺ノ内通新町西入妙顕寺前町514

宗派  日蓮宗

開基  日像 後醍醐天皇

山号  具足山

本尊  三宝尊

Myoken-ji Temple140516NI5.JPG

法華宗苦難の歴史

妙覚寺から一筋南へ寺の内通りに戻るとすぐにたどり着く。山門は妙覚寺と同じような門だが境内はさらに広い。法華宗の寺院は何故こうも広いのか。日蓮直系の弟子日像の創建で、後醍醐天皇から寺領を賜った。「四海唱導妙顕寺」とよばれ、法華宗の根本寺院となった。

所在地は、大宮通上長者~綾小路大宮~四条櫛笥~若狭小浜~堀川御池~二条西洞院~泉州堺~二条西洞院~現在地と、法華宗の苦難の歴史に重なる。訪ねた時は、拝観していなかったので広大な敷地をぶらぶらして帰ったが、拝観時には本堂奥の、尾形光琳の「曲水の庭」や孟宗竹の「坪庭」が見学できる。寺の内通りに戻り堀川角の宝鏡寺に向かう。