アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

920   新シリーズ 令和に巡る京の神社  番外  未踏の寺院 阿弥陀寺

2022-05-31 08:02:37 | 日記

番外 古地谷阿弥陀寺

三門

所在地    京都府京都市左京区大原古知平町83

山号       光明山

宗派       浄土宗

本尊       阿弥陀如来

創建年    慶長14年(1609年)

開基       弾誓

別称       古知谷阿弥陀寺

文化財    木造阿弥陀如来坐像(重要文化財)

 

京都の名のある寺院はほぼ訪ねた。行かない寺行けない寺は、辺境にあり厳しい登山道の先にある場合、地図でも場所が確認できず行けていない場合、拝観日が限定されていてその日に行けていない場合など理由はいくつかある。しかし、明確な理由もなく行かないお寺もいくつかある。実は、人に言えない理由なのだが「怖い」という寺がある。今回、天気が良いので行って見た。天気が良ければ訪れる人が多く「怖さ」が紛れると思って意を決して行くことにした。

参道

古知谷阿弥陀寺は京都北部大原の里のさらに北端にある。平安の昔、弾誓(たんぞう)上人が生きながら成仏したミイラのあるお寺である。修行の果てに木の実だけを食し体を樹脂化させ腐敗を防ぐ。その為、このような修行をした僧を特に木食上人と言われる。最後は石棺の中に身を置き鐘を打ち、念仏を唱えながら即身仏を目指す。音も声も聞こえなくなったら石棺の空気口を閉ざす。その石棺が阿弥陀寺の奥の石窟にある。従って、一人で行けるものではない。普通のお寺の本堂に一人いても霊気を感じやすい筆者ならなおさらだ。

市内から車で30分。すぐに駐車場が見えてきたが、横着してそのままさらに奥へ。

「禁薫辛酒肉」(精のつく食べ物や酒・肉は禁じる。)の石碑を見て、車を止める。さてここからは覚悟を決めて石段を登って行く。

参籠する施設

見上げると風雪に劣化した建物が見えて来た。受付で拝観料を払い境内へ進む。一人の妙齢の女性が庭の花々にレンズを向けている。目的の石棺を見る前に気を和ませたい筆者は、華やかなミニスカートの女性に怪しまれるのを覚悟で、「なんという花?」と言うと、「絶滅危惧種の珍しい花です。」と明るく答えてくれた。残念ながら名前は失念したが、色々お聞きするとこのあたりの珍しい草花を写真に撮ってインスタにアップすることを趣味にしているのだそうだ。何気ない草花でも実は極めて珍しい種類の場合が多いと教わった。さて、石棺。すぐ右奥手に入口が見える。その女性は、聞くとそこには興味はなく、霊感が強いためそのようなスポットには近寄らないとの事。筆者のような単なる「怖がり」ではないようだ。石棺は入口すぐ奥に見える。段々と目が暗闇に慣れてくると弾誓上人の石棺は洞窟の中央に安置され周囲を巡るようになっている。正面入り口前の経台にて深く頭を垂れて合掌した。無論石棺に近づく気は起きなかった。なお、即身仏は明治初期に現在の石棺に安置されたと聞くが、その当時の状態、現在の状態は何も伝えらていない。石棺の周辺では湿気を感じる事から成仏当時のお姿が保たれているとは考えずらい。

奥に石棺

本堂は、洞窟のすぐ右手。本尊は阿弥陀如来像、そして横の弾誓上人像、上人が自らの遺髪を植え込んだものも本尊として安置されている。しばし本堂高縁から庭園を眺める。山肌に接するように建てられた建造物なので、崖造り(清水の舞台と同様)や切り込んだ崖に建てられた奥行きの無いものなど工夫されている。壁や柱などの塗は山奥なので風雪によって剥げ落ちむしろ歴史を感じる。

絶滅危惧

なお、先ほどの女性から「300メーターほど奥にはもう一人のお上人の即身仏が安置されたお堂がありますよ。」と、誘われた。女性と二人ずれはありがたいが、「怖い」ので早々に逃げて帰った。

庭園


919   新シリーズ 令和に巡る京の神社  番外  未踏の寺院 志明院

2022-05-30 13:57:08 | 日記

番外 志明院

所在地    京都市北区雲ケ畑出谷町261

山号       岩屋山

院号       志明院

宗派       真言宗系単立

本尊       不動明王

創建年    白雉元年(650年)

開基       役行者

正式名    岩屋山金光峯寺志明院

未踏の寺院を訪ねるのは、独特の感情がわく。市内にある重要寺院はほぼすべて訪問して来た。郊外にある余り大きくなく知名度も低い寺院を探しながら行くのは格別の興奮を覚える。例えば、左京区北の果ての峰定寺(ぶじょうじ)や、京都府南部の金胎寺などは修行の場であり、余人の訪問を拒んできた。大原の北端にある阿弥陀寺(古知谷)は弾誓上人の入滅の地であった。(ミイラとなった上人を安置している。)

さて、こちら志明院も修行の岩場である。北区も奥に広い区域である。雲ケ畑の地名の通り雲上にある集落の趣きである。そこは鴨川の源流を訪ねる事になる。上賀茂神社を越えて西賀茂を横目に奥へ奥へ車を進めると、往来困難な狭い山道に差し掛かる。市内からたっぷり30分以上過ぎたころ倒木が左右に転がっている寺の駐車場に着く。ここ岩屋山志明院という古刹は、役の行者が草創した。以下、志明院略記から書くと、平安初期弘法大師空海が淳和天皇の命により再興する。本尊の不動明王像は空海の直作で、また、一番奥に位置する根本中院の本尊も不動明王でこちらは宇多天皇の勅願で菅原道真が、一刀三礼にて彫ったもので完全秘仏である。時代は過ぎて、後奈良天皇(戦国時代)の時天下静謐の願いのもと、天皇の祈願により開扉された。

このように皇室の崇敬が篤いのは、鴨川の源流にあたることから「水神」を祀り「御用水」を奉ったことに由ると伝えられる。従って、境内の自然保護の考え方が重視され静謐無垢を求められる。区域内の撮影も厳に禁じらている。

楼門の金剛力士像は運慶・湛慶の作。扁額の「岩屋山」は小野道風の筆による。本堂は白木造りなのか塗は完全に剥げ落ちむしろ歴史・時代を感じる。お前立の不動明王像を静かに拝む。左手奥の「飛竜の滝」(音羽の滝のように滔々と1筋流れ落ちる。)を見上げて、さらに奥の「護摩の岩屋」へ登る。ここは鳴神上人が護摩行の為にこもった場所だ。何か神秘的な霊力を感じた。上から下を見ると滝も行場だと分かる。一旦下に降りて別のルートで根本中院を目指す。崩れそうな岩場に歩みを進めるのでとてもに疲れる。10分歩いて息が上がり見上げると懸崖造りの中院が見えて来た。清水寺の舞台と同じ「懸崖造り」だが、意外なことに鉄骨造りだった。それでも誠に不安定な感じがし慎重に階段を登り息も絶え絶えで祠の正面に行く。眼病にも効果があるという由緒深い不動明王を心を込めて手を合わす。同行した友人は思わず三拍したがここは神社ではない。舞台の上から見下ろすと各岩場からにじみ出る湧水は滔々と絶える事がなく。将来の鴨川の大河を想像させる。

ここまでで約30分。写真撮影が出来ないので想像して頂くしかないが、油断すると転落しそうな岩場を巡る。好天の土曜日にお伺いしたが周囲に人はいないので、二人以上で行くことを推奨する。一人で転落事故や遭難したら困るからである。

無事駐車場にたどり着くと、膝が笑っていた。