後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔243〕「戦前」の今だからこそ、北村小夜さんの新刊『画家たちの戦争責任』を丁寧に読むべきでしょう。

2019年12月26日 | 図書案内
 北村小夜さんに数年ぶりにお会いしたのは、12月6日の福田緑写真展「祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く」のギャラリートークの時でした。緑と私のトークが終わって、小夜さんがいらしていることを知り、嬉しいやら、びっくりするやらでした。94歳という年齢を伺い恐縮するばかりでした。
 小夜さんは演劇教育の大先輩で、いつだったか、関連する書籍を段ポールで送っていただいたことがありました。廃棄するのはもったいないからということでした。また、数年前に国立市であった彼女の講演会に伺ったことがありました。まとまった話を聴くのは初めてでした。このことはブログにも書いたことです。
 立ち話の最後に、出版されたばかりの御著書をいただきました。それが『画家たちの戦争責任』でした。「太平洋戦争連合軍反抗作戦図」と一緒にお手紙が入っていました。


 大げさに云えば公立の美術館が戦争画を隠し続けること
は誰の戦争責任も問わないこの国の姿です。
 長年 ぶつぶつと「いつでもだれでも見ることができる状
態にしてちやんと論議をしようではないか」と言い続けてきた
ことが本になりました。
 私が軍国少女に到り藤田の戦争画に心酔するに至る過程
にかなりの頁を費やしています。遅すぎた感もありますが今
の課題でもあります。
 ご一読の上御講評いただければ幸甚です。

     二〇一九年九月 北村小夜


 まずはどのような本なのか、アマゾンの紹介文を借りたいと思います。
 

●北村小夜『画家たちの戦争責任-藤田嗣治の「アッツ島玉砕」をとおして考える』梨の木舎、2019年(アマゾンより)
 あの時、心も身体も国に取り込まれた。今そんな時代になっていないか。戦争画のプロパガンダを、著者自身の体験から検証する。

 加藤周一は、この絵に「戦意昂揚の気配さえもない」という。だがあのとき、人びとはこの絵の前で、仇討ちを誓い、戦場に赴いた。「撃ちてし止まん」が巷に満ちた。ヘイトスピーチが溢れ、表現の不自由展が中断される今はどうか

「1925年、治安維持法公布の年に生まれ、旗(日の丸)と歌(君が代)に唆されて軍国少女に育った。…音楽・絵画など芸術性の高いものほど戦争推進のプロパガンダとして大きな役割を果たし、私たちを唆かした。…プロパガンダに取り込まれた恨みを晴らすとともに、戦争推進の役割を果たした私の責任も明らかにすることである。」(「まえがき」)



 藤田の戦争画についてはかつてNHKが特集で取り上げたことがあります。興味ある方はこのブログにそのことを書きましたので探してみてください。私自身も竹橋の東京国立近代美術館で初めて「アッツ島玉砕」を見たとき、これは単なる戦意高揚のための戦争画ではないと思ったものも事実です。他の藤田の戦争画とは一線を画すものと思ったものでした。ところが、小夜さんの『画家たちの戦争責任』は私が知らなかった新しい視点を与えてくれました。当時の軍国少女の小夜さんがこの絵をどう見たかということです。

「断末魔の叫び声が聞こえるような画面が、見る人の敵愾心を唆す。その場にいる人は皆、『仇を討たなければ…』と感じたに違いなと思った。」70頁
 関連して次のようにも書かれています。
「『海ゆかば』はあたかも鎮魂歌のように思われている向きもあるが、本来は勇壮な出撃譜である。」68頁
 
  藤田が「戦争画制作の要点」(巻末資料として掲載されています)を書いていることを初めて知りました。
「我々はこの大戦争を記録がとして後世に残すべき使命と、国民総蹶起の戦争完遂の士気昂揚に、粉骨砕身の努力を以て御奉仕しなければならぬ。」126頁
「…現下の皇軍が窮地に陥ったり或いは悪戦苦闘の状況をも絵画に写して、猶皇軍の神々しき姿を描き現さねばならぬ。」128頁

 日本だけではなく世界中に焦臭さが充満する現在、あらためて芸術の果たす役割について考えてみる必要がありそうです。

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