平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

中国のユダヤ教徒と法隆寺

2013-08-15 13:26:31 | 古代史と聖書
 ここのところ更新が滞っていますが、古代史関係でいろいろと調査中です。例の契丹を調べているうちに、どうやら膨大な仕事量になりそうなので、少しばかりビビっています。

 いわゆるトンデモ本の中に、高橋良典著『超古代 世界王朝の謎(日本文芸社)』というものがあります。日韓併合の明治43年(1910年)の五年前、日露戦争のさなかに浜名寛祐(はまなひろすけ)という軍人が、奉天のラマ教寺院が保管していた『契丹古伝』に出会い、これを翻訳することになります。

 翻訳したものが『日韓正宗溯源』として出版されたのは20年後ですが、軍部は早くからこれを政治利用することにし、大陸進出の正当性を補強する材料としたようです。満州は古来、日本の兄弟国であるとする。もちろん、この兄弟国の中に朝鮮も含まれていました。これが日韓併合の愚行につながったのかもしれません。

 さて、この『超古代 世界王朝の謎』の中で、著者がインドで梅鉢紋を見つけたと書いてあります。著者は、古代に超大国カラを想定し、このカラ圏内に古代日本や契丹や渤海なども含めています。ここから、契丹の旗印が梅紋という説が出てきたのかもしれません。しかし、このトンデモ説が全て否定されるべきではなく、平安時代に書かれた『新撰姓氏録』から、古代日本の有力者たちがインド他にルーツを持つ事を鋭く指摘しています。インドから中国、そして日本へのルートは確実にあったのです。

 ここからは本とは無関係ですが、インドから中国へ移住した民がクローズアップされます。それは、開封(かいほう=Kaifeng)のユダヤ教徒です→wiki。白系ユダヤ教のコミュニティに知られるようになったのは17世紀ですが、紀元前2世紀ころにインドから開封に移住し、その前はバビロンの虜囚後の前6世紀に、預言者エズラによってパレスティナから追放されたようです。追放理由は異民族との婚姻。

 この開封のユダヤ人を疑問視する向きもありますが、白系ユダヤとは違う幾つかの興味深い習わしがあります。一つは、白系ユダヤの母系重視ではなく父系重視の伝統で、旧約聖書時代は父系が優先されたので正しいことになります。また、ヘブライ語聖書に母音記号(ニクダー)を表記する場合、白系ユダヤが復元した母音記号とは違う表記だそうです。僕は白系ユダヤの復元ヘブライ語に疑問を持っているので、開封のユダヤ人の発音記号で聞いてみたいですね。こちらの方が日本語に近い可能性があります。

 このように、中国のユダヤ教徒は虜囚直後の習慣を保存している可能性もあり、また彼らがシナゴーグとして使う寺院にも驚くべきものが見つかります。それは法隆寺とそっくりな建物です。復元された模型かもしれませんが、規模や裳層を別にして、余りにも法隆寺の金堂と似ています。

 日本に来たイスラエル12部族は、北方経由と南方経由に分かれます。北方経由は突厥(とっけつ)などの騎馬民族として、南方経由はインドからインドシナ半島を拠点とし、やがて中国を足がかりとして日本に来ました。イスラエルの民は支配階級だったので、居留した国々で余り同化せず、機を見て日本に渡ってきたために、取り残された人たちは日本人(イスラエル)とは顔立ちが違うのです。

    エフライム工房 平御幸
コメント (2)
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