平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

毒を飲むという事

2008-10-07 21:25:56 | Weblog
 弟子を含め、メールであれこれと質問されるのですが、いちいち答えていたのでは時間が無くなるし、他の読者に普遍的な事はコメントで公開質問をお願いします。という事で、今回は質問に対する答えを散りばめました。しかし、「他の読者に普遍的な事はコメントで公開質問」というような事くらい、古代史を読めば暗喩的に書いてあるので理解できそうですが…。いかに真剣に読んでいないか丸わかりです。

 アダムとイブが食べた木の実は、一般にリンゴとされていますが、僕は梅の実が正解だと思っています。その理由は、梅を分解すると毎(なかれ=勿)の木となるからで、要するに「食べる事なかれ」を表しているのです。「なかれ」とは、亡くなるからやめておけという事です。

 梅の学名は、「Prunus Mume Sieb(プルヌス・ムメ・シーボルト)」で、メーソンの派遣員だったと思われるシーボルトの名前から分かる通り、シーボルトが収集・研究した日本の梅から採られています。問題はムメという呼び方ですが、これは、食べると「命が無くなる」という意味の「無命」を語源と考えれば理解できます。聖書学的に正しい名前なのです。

 ところで、アダムとイブの物語は、イエスの磔刑(たっけい)に関わる幾つかの雛形を構成しています。例えば、木に絡まる蛇は十字架上のイエスを表しています。聖書学的に蛇は、絶対神のイエスとサタンの両方を表すのです。また、この蛇がイブを騙(だま)したので、ここでは蛇はサタンとなるのです。さて、蛇が食べるように唆(そそのか)した木の実には毒があり、これにより人間は死ぬ運命となりました。このとき、最初に食べたのは女のイブで、アダムは自分だけが死なない体でも仕方がないので、死ぬと分かっていて食べました。アダムは女の罪をあがなったのです。ここに、イエスが十字架上で毒を飲んだ「犠牲」の雛形があるのです。

 十字架上のイエスは死が近いと知り、海綿に浸した酢(す)い葡萄酒を口に含みました(『ヨハネによる福音書』19章-29)。バーバラ・スィーリングの『イエスのミステリー』によると、この酢い葡萄酒には蛇の毒が入っていたとされているのです。要するに、アダムが口にした蛇の毒と同じなのです。

 イエスが口にした酢い葡萄酒の奥義ですが、これは(特に女性の)罪を購うという意味なのです。また、ブドウは南ユダのたとえですから、イエスを売ったユダヤ人の罪を購う事にもつながります。なお、ユダヤ人がイエスを異邦人に渡したので、真のイスラエルである日本に、異邦人を通してキリストの教えが入る事になったのです。本来は異邦人には閉ざされていた教えが、ユダヤ人のこの軽率な行動により異邦人のものとなったのです。しかし、この簡単な奥義を理解できない研究家が多すぎですね。

 さて、梅と言えば、弟子が作って送ってきた梅ジュースです。これは弟子のブログにも書いていますが、とても美味しいものです。しかし、梅の毒が充分に分解されておらず、少し多めに飲むと肝機能障害などでお腹を壊します。できの悪い風邪薬で苦しむような感じです。このようにまだ熟成の進んでいない梅ジュースですが、弟子には内緒で半分も飲みました。その理由は、十字架上のイエスをならったからです。

 梅ジュースと前後して、僕を叩くバッシングが酷くなりました。浅田真央のワールド優勝に命をすり減らした僕を、ユダヤ人のようなファンが十字架に掛けたのです。この状態で、毒があると分かっている梅ジュースを飲まないのは、イエスの飲んだ酢い葡萄酒を否定する事になるのです。こうして、僕は図書館にも行けないほど体力が落ちてしまったのです。

 弟子は何も知らないで酢い葡萄酒を用意したのであり、相変わらず不信仰でドタバタしています。そろそろ奥義というか、全ては神が定めているという覚悟が必要なのですが、人間の思いが強すぎて神の思案が理解できていません。人間の事を考えているうちは、神の考えている事は理解できないのです。

 ということで、浅田真央ファンが、狭いサークルでの救世主を十字架に付けたので、異邦人の国アメリカに彼女の救世主は渡ってしまったのです。浅田真央が神に救けられたと本当に思うのなら、神に捧げる十分の一を考えた事でしょう。しかし、彼女はロッテと契約して裏切り、せっかくの祝福を逃してしまいました。逃した祝福は、長洲未来や安藤美姫の頭上に止まるのでしょうか?これからの浅田真央に必要なのは、神との間を仲裁する仲裁者です。しばらくは、この世の王であるサタン(電通・創価学会など)の動きに要警戒です。

 このように、本当の救世主が再臨する時まで、世界のあちこちで、極々限られたサークルでの救世主が出現するのですが、それは僕のように無力で威厳のない、しかしサタンに絶対に服従しないので叩かれる者なのです。くれぐれも、力とお金を支配する偽救世主にはご注意下さい。

     エフライム工房 平御幸
コメント (4)
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