[ほぼほぼ] 最近こんな言葉が使われ始めた。
9月27日の読売新聞の「編集手帳」を読むと、
前略・・・
文化庁の「国語に関する世論調査」によれば、「ほぼほぼ」という
「ほぼ」の協調形が若者を中心に多用されているという。
断言を避けたいときに使うらしい。
職場にもすっかり進出しているようで、
「今日の仕事はほぼほぼ終わりました」
などの用例があるとか。
ちなみに知り合いの若い人にほぼはもう使わないのかと聞いてみた。
「ほぼほぼ使わないっすッ」
辞書を調べるとほぼには「略」と同時に「粗」という漢字が
あることも知った。
ものをはっきりと言わないことが多すぎて、コミュニケーションが
「粗々」にならないように。
と締め括られていた。
* * *
仕事が「ほぼ終わりました」と報告を受けた場合は
だいたい終わったのだなと思えるが、
「ほぼほぼ終わりました」となると
「いったいどこまで終わったんだ?!」
と問いただしたくなる。
例え同じ程度に終わっていたにせよ
信頼度において、大違いの印象なのである。
ほぼ なら分かるがほぼほぼ とは
いったいどこまで曖昧にしたら気が済むのか?
曖昧過ぎて気持ちが悪い。
この言葉が、ただの流行語で「今だけの」言葉であるよう
後々まで残らないよう、強く願うばかりである。
9月27日の読売新聞の「編集手帳」を読むと、
前略・・・
文化庁の「国語に関する世論調査」によれば、「ほぼほぼ」という
「ほぼ」の協調形が若者を中心に多用されているという。
断言を避けたいときに使うらしい。
職場にもすっかり進出しているようで、
「今日の仕事はほぼほぼ終わりました」
などの用例があるとか。
ちなみに知り合いの若い人にほぼはもう使わないのかと聞いてみた。
「ほぼほぼ使わないっすッ」
辞書を調べるとほぼには「略」と同時に「粗」という漢字が
あることも知った。
ものをはっきりと言わないことが多すぎて、コミュニケーションが
「粗々」にならないように。
と締め括られていた。
* * *
仕事が「ほぼ終わりました」と報告を受けた場合は
だいたい終わったのだなと思えるが、
「ほぼほぼ終わりました」となると
「いったいどこまで終わったんだ?!」
と問いただしたくなる。
例え同じ程度に終わっていたにせよ
信頼度において、大違いの印象なのである。
ほぼ なら分かるがほぼほぼ とは
いったいどこまで曖昧にしたら気が済むのか?
曖昧過ぎて気持ちが悪い。
この言葉が、ただの流行語で「今だけの」言葉であるよう
後々まで残らないよう、強く願うばかりである。