江別川左岸に共同物揚場(使用者総代人大河原文蔵外1名)が設けられたのは、明治28(1895)年9月のことでした。
これは、石狩川、江別川、その他支流を含めた沿岸各村より産出の農産物や木材などの多くが舟運を利用し、江別に集まってきました。それら物資の荷揚げ場として施設されたものです。
その後、明治37年に至り、江別外二村戸長は、貨物揚場二カ所、木材揚場三カ所を含む共同物揚場(8,100坪)の使用願を道庁に提出しました。
これが、38年6月に許可されましたが、場所は江別川が石狩川に注ぎ込む右岸一帯、いわゆる三角地の堤防用地であったのです。
村では、護岸工事や取り付け道路の造成を行い、これを運送業者などに貸付しました。
例えば、明治40年3月には、上田栄太郎が、同4月には木谷為吉が、それぞれ木材揚場新設の使用願いを出しています。いずれも、使用に際しての遵守事項として、次の5項目を挙げました。
1.河岸は充分注意致し、崩壊等の処有候節は、私費を以て十分護岸手当致事
1.建設揚場は、本年より二カ年間専用致度事
1.建設揚場は、二カ年後に貴村へ寄付御引渡可致事
1.建設揚場を他人に於いて使用の場合は、下施設費消却に充てるため木材100石に付金30銭以内を申し受ける事
1.陸場木材は、御命令に随ひ順次輸送致事
その後、45年4月村会では、石狩川、江別川堤防敷地約2万坪を共同物揚場として使用出願することが可決されました。
いかにこの時期、江別村政の商業振興策におき、共同物揚場の必要性、重要性が高かったかが分かります。
村がこれほど共同物揚場に力を入れたのは、商業発展を左右する、極めて重要な点であったからです。
同時に、これら施設を木工場や運送業者などに貸与することにより、村の貴重な財源(使用料収入)となったからに他ありませんでした。
註 :江別市総務部「新江別市史」209-210頁.
写真:活気溢れる雑穀商の軒先き風景
同上書写真4-7を複写し、江別創造舎ブログおよび江別創造舎facebookに掲載いたしております。
このたび、秘書検定対策講座のご案内をいたします!
北翔大学地域連携センター実力講座
秘書検定対策講座<2級・3級>が今年も開講いたします!
適切なビジネスマナーを心得ておくことは、グローバル社会では必要なスキルです。
また、エクセル等を活用して適切な書類を作成するためには、
どのような場合にどのうようなグラフ作成をするか、
どのような時に、どのような社外文書各種、社内文書各種作成するか、
基礎的な知識習得は社会人として必須能力です。
本講座は、秘書検定2級・3級用内容でご指導しますが、
学習法は、1級受験にも対応する指導法で教示します。
過去にも本講座受講の方が秘書検定1級まで順次合格され、現在誰もがご存知の企業秘書として活躍されています。
近年、秘書検定取得を要件とする機会も多くなっていますね。
ぜひ!チャレンジください❗️
なお、受講されるには事前申し込みが必要です。
秘書検定対策講座<2級・3級>の日程は、下記のとおりです。
1.期 間 2019年5月9日(木)〜6月13日(木)の期間内毎週木曜日
全6回開講
5/9・5/16・5/23・5/30/・6/6・6/13の6回
18:00ー20:00の2時間
2.場 所 北翔大学629教室(予定)
3.費 用 ¥8,400ー
*教材・模擬試験・参考資料込み
4.講 師 田口 智子<北翔大学短期大学部教授・1級取得>
5.申込み期限 2019年4月26日(金)
教材準備のため期限厳守で願います。
6.申し込み先 北翔大学地域連携センター
011ー387−3939
*受講申し込みは、直接地域連携センターにて手続きを行ってください。
写真:北翔大学正門
このたび、北海道150年事業公式ガイドブック発行中のご案内いたします!
北海道では、北海道命名150年事業として「パートナー」事業や「北海道みらい事業」を推進されてきました。
現在北海道150年事業公式ガイドブックが
北海道命名150年公式ホームページにて掲載されています。
期間限定での公開とのことです。
江別創造舎が取り組んで参りました「江別の文化・歴史を語る!つなぐ!語り部の記録2018」も掲載していただいております。
その他、北翔大学地域連携センター「人が集えば文殊の知恵袋講座」8月・9月も掲載されていました。
嬉しいですね
8月度人が集えば文殊の知恵袋講座
8月度人が集えば文殊の知恵袋講座「江別カルタで辿る江別物語2018」
11月度「江別の文化・歴史を語る!つなぐ!語り部の記録2018 」
ガイドブックには、数多くの活動を改めて確認させていただきました。
魅力溢れる企画ばかりで、江別創造舎としても連携して活動させていただければと思う企画も多くございました。
皆様と共有できた北海道150年事業に感謝すると共に、
これからも継続的に推進できるよう真摯に取り組んで参る所存です
写真:北海道150年事業公式ガイドブック3表紙
江別駅周辺を中心とした江別市街地は、木材などの集散地として知られていました。
内陸の開拓の進捗や日清戦争、日露戦争と共に、江別港(船着場、現三条一丁目千歳川左岸)周辺は、軍に納入する燕麦などを出荷する人馬で活況を呈していました。
特に、倉庫付近は、夜明けと共に喧噪の日々が続きました。
そのため、市街地の料理屋や一杯屋の賑わいもひと通りではありませんでした。
江別駅から貨車積みで札幌方面へ送られた農産物、木材などこれらの産物を荷積みした馬車、馬橇が川沿いの一丁目通り(通称・会社通)に蝟集し、順次停車場通へと列をなしていく光景が眼前にありました。
また、農産物もさることながら、枕木を含めた木材の貨物台数が圧倒的でした。
「石狩川江別川当別川等ヲ 雑穀其他貨物ノ漕送ニ便ス又上流地方ヨリ角材枕木等ヲ漕送シ来リテ当地ニ陸揚ケシ 更ニ之ヲ各地ニ搬出ス 其額実ニ莫大ナリ 要スルニ江別太ハ水陸交通ノ要衝ヲ占ムル点ニ於テハ 石狩大原野中第一ニ位スルヲ以テ之ニ対スル経営施設ノ宜シキヲ得ハ 将来益々発達センコト疑ナカルヘシ」(『北海道殖民状況報文』)。
当時の江別港は、街の生命線といっても過言ではありませんでした。
もっとも、村内農家は、舟運などに頼っていませんでした。
各自が、直接馬車、馬橇で一丁目通に持ち込んでいたのです。
ちなみに、明治32年12月現在の調査によれば、江別、対雁(ついしかり)、篠津の3村合わせて一頭立荷馬車の数は、146台、荷馬橇230台でした。
これらの大半は、自家の農産物などを出荷する農家の運搬の用を成していました。
註 :江別市総務部「新江別市史」208-209頁.
写真:国内3番目開通江別駅界隈
同上書184頁掲載写真4-1を複写・掲載いたしております。
明治15(1882)年の幌内鉄道江別駅の開業は、駅に近接の江別川川畔から内陸(月形・雨龍方面)、あるいは石狩方面への石狩川舟運の隆盛を促しました。
それは、主に内陸沿岸から雑穀や木材を水路で集め、札幌・小樽方面へ陸路(鉄路)で送り出すものでした。
また同時に、北海道内陸部の土地見分、あるいは内陸へ分け入る移民たちの足溜り場ともなっていました。
例えば、明治19年7月25日、北越殖民社の大河原文蔵らは野幌原始林を踏査のため、「原野歩行スベカラザルト聞キ、幸ヒ漁翁扁船ヲ行カントスルニ会フ。乃チ之ヲ傭テ斗萬別(とまんべつ)ニ遡ル」(『草叢日記』)と江別川々畔より原始林を目指しました。つまり、当時は陸行より水行の方が容易だったのです。
また、同年8月20日の三島億二郎日記には、午後2時にバラトを蒸気船で出向したと記されています。
「此日好晴、天青ク、気清シ、舟中爽快ヲ賞フ、洋人煙草果物ヲ分ツ(中略)「ツイシカリ」辺リヨリ流勢急ナリ、江別ニ至リ着シハ日没後ナリ、乃知己ノ店ニ投ス、洋客二人モ同店ニ宿ス」(『第二回北遊記』)云々と、江別の位置的な条件が旅館や料理、飲食店などの業を起こし、市街地の発展を勢いづかせたことが分かります。
上記によると、既に三島は、江別市街に知り合いの旅館をもっていたようです。
舟中同行の二人の洋人も同じ旅館に泊まっています。
そして、三島は、その夜土田政次郎の招待を受け大橋一蔵と共に出かけ、そこで民俗舞踊などを見て夜10時に帰宿しています。
ここに、仄見えてくるのは、既に江別市街は、人びととの出会いの場であり、交流の場であり、ここから内陸部へと旅立つ足溜りの場でもあったのです。
註:江別市総務部「新江別市史」207-208頁.
写真:史跡石狩川汽船(千歳川堤防脇)
明治末期の製造業の状況を、江別村から札幌支庁への報告(45年3月)に見ると、富士製紙(株)あ煉瓦工場のほか、下記の業種を含め28が操業中です。
木材製造 1 / 建具製造 2 / 馬具製造 1 / 穀物掲精 2 /
提灯製造 1 / 鰤力加工製造 1 / 畳 製造 3 / 靴 製造 2 /
金物製造 3 / 粉 製造 1 / 石蝋製造 1 / 柾 製造 3
その大半は、室内工業であり、夫婦と子供、あるいは住み込み徒弟(無給)によるものです。
それら家内工業群の中における数少ない本格的工場の従業員労働条件です。
今日とは異なり、いずれも早朝6時から夕方6時までの12時間労働で、一日の半分は工場に縛り付けられました。
退社後の残余の時間は、睡眠と食事の時間を除くといかほどもありませんでした。
男女の賃金格差は、歴然としています。
これは、肉体労働(力仕事)が主であったからでしょうか。
また、これを43年・札幌区労働賃金(日給・並)である木挽職75銭、煉瓦製造職80銭、人夫70銭に比べると、若干低目(調査時点のズレを勘案)と言えます。
それにしても、男工の1日賃金80銭から55銭といのは、札幌ー手宮間の汽車賃が35銭(大正2年)、日本酒中等酒1升73銭(大正2年)の時代、決して恵まれた条件とはいえません。
明治32年6月、北炭の野幌煉瓦工場で経営側の一方的な賃金引き下げに端を発した同盟寵業がおきました。職工600人中、67人が職場を放棄、賃金の復旧を求め駅前に集結しました。
不穏な成り行きに警察と地域の重立が仲介に立ち、経営側の久保組・久保兵太郎(栄太郎の息・のち札幌商業会議所会頭)は2分の1復旧の意向を伝えました。
その後事態がどのように展開し、終息したかは不明だが、これが江別における最初の労働争議と思われます。
この、いわゆる久保組の大正2年(1913年)の職工は、135人(男90、女45)で、日給は男工65銭、女工30銭でした。
支払方法は、「月末製品ノ高ヲ計算シ 毎月5日職工頭ニ現金払トス」(大正3年「産業調査」)です。
直接本人払いでなく、作業部門の組頭に支払う方法など、やはりそこに低賃金以外にも面白からざる事情が伏在し、それが爆発したとしても不思議ではありません。
工場法(大正5年)が施行されても、また、同法が改正(同15年)されても、労働者の就労条件は雇用者の胸ひとつの時代でした。
註 :江別市総務部「新江別市史」206-207頁.
写真:王子特殊紙株式会社工場パルプ倉庫を石狩川沿いから撮影
パルプ倉庫は、野幌煉瓦を使用した現存する建物として最古の建物です。
明治30(1897)年代以降の煉瓦以外の主な製造業はどうあったのでしょう。
明治30年代以降の煉瓦以外の製造業は、指折り数える程度でしたが存在していました。
明治35岩田醸造所、39年三井木工所、41年富士製紙株式会社江別工場、同年平石灰工場、43年田村精米工場、44年宮尾水車精米工場などが挙げられます。
岩田醸造所は、現在工場を千歳市に移した岩田醸造株式会社です。
同社は、名品「紅一点(味噌)」で全国的に名が知られています。
その草創について、岩田敬子が祖母のこぎくとの話として、次のように伝えています。
「醸造といっても造るたびに質の違う手前味噌の製品では売り物にはならぬ。始めは、煮た大豆をふとんにくるんだり、炉端の傍に置いたりして造ることから何度も失敗して、素人では限界があると、越後から呼んだ杜氏からみっちり技術の基礎を仕込まれて」(『岩田こぎく覚書』)、ようやく商品として世に出せるものになりました。
つまり、食文化を代表する味噌も越後からの伝統的技術(文化)の移入なしには成り立たないのです。まさに、黎明の時だったのです。
註:江別市総務部「新江別市史」204-205頁.
写真:岩田煉瓦工場(大正5年開業)
同上書掲載写真4-5(205頁)を複写し、江別創造舎ブログおよびfacebookに掲載いたしております。
岩田外喜男、友男、政五郎の岩田兄弟による多角経営の一つに岩田煉瓦工場、岩田醸造所があります(同上書205頁参照)。
野幌に煉瓦工場が進出したのは、明治31(1892)年の北海道炭鉱鉄道株式会社が野幌煉瓦工場を開設、業務を久保兵太郎に委託したことを嚆矢としています。
以降大正14(1925)年まで久保組が請負い操業を続けました。
従業員は、大正元年で事務員5名、工員135名でした。操業期間は、雪解けの陽炎たつ5月から雨が霙混じりとなる10月下旬までの季節操業でした。
工場の位置は、線路を破産で駅舎の反対側に位置しました。ちょうど、西北に拓けた屯田兵村に対峙し、野幌植民社の入り口に立っていました。
明治34(1895)年に発行された「殖民広報」によると、
明治31(1892)年4月、野幌煉瓦工場は、久保兵太郎の創立にして、其地卵白色の強靭な粘土層厚く、其分布広くして最も煉瓦の製造に適すといふ。明治33(1894)年製造する処煉瓦60万本此価6,600円とす、其販路は、師団用を主として札幌、小樽等へも輸出せりと云ふ。
炭鉱鉄道会社野幌煉瓦工場、明治31(1892)年5月の創立にして、職工男85人、女23人、日雇夫112人、女30人を使役す。同33年(1894)年製造する処の煉瓦実に633万6,420本の多きに達し、悉く之を同社に於いて使用せり。
舘脇煉瓦工場、江別村野幌にあり、明治32(1893)年中舘脇某(米蔵)の創立にして、同33(1894)年煉瓦40万本、土管5千本、屋根瓦7万枚を製造す、価格合計1万1千円、其販路前に同じ。
と記されています。
次いで、同32(1893)年には浜端宗三郎の経営する陶器製造所なども設立されて、明治34(1895)年には煉瓦陶器の窯業工場だけでも5工場を数えました。その原料である土質を当時の農商務省工業試験所は鑑定していましたが、まさに本市のもつ地帯的な特殊工業の発達といえます。
当時は、登り釜の時代であり、燃料には薪を使用していました。片登り、両登り窯から立ち上る黒煙が、野幌のシンボルでした。
註 :江別市総務部「新江別市史」203-204頁参照
江別市総務部「新江別市史」311-314頁参照
写真:「野幌煉瓦工場のぼり窯」
同上書173頁掲載写真3-18「明治30年代北炭と館脇の2代煉瓦工場進出」複写・掲載致しております。
このたび、江別創造舎!メンバー募集のご案内をいたします
江別創造舎は、
2007年1月、地域文化振興活動を目的に発足した任意団体です。
私たちと共に活動していただける方!メンバー募集中です❗️
江別創造舎は、これまで地域文化振興活動を主体として、
「個が生き、個が活かされる地域(まち)づくり」、
「地域(まち)が活き、地域(まち)が生かされる人づくり」、
を目指して、江別創造舎は、活動を推進しております。
具体的には、
① 江別の文化・歴史を題材とした江別カルタの制作、
江別カルタを活用した江別市生涯学習協議会および江別市社会福祉協議会等、
児童会や蒼樹大学等で毎年活用していただいております。
② 市民講座としては、
「市民・若者が主役!講師講座開講!」
「江別カルタで辿る江別物語」<2013/2014/2015の3年間継続事業>
「江別の文化・歴史を語る!つなぐ!語り部の記録」
<2016/2017/2018の3年間継続事業>
③ 出前講座としては、
江別カルタ句題材に関する講話
江別カルタ大会 等
④ 江別カルタ貸し出し
江別カルタ大会用江別カルタを無料貸し出しいたしております。
自治会・児童会・福祉関連等団体様に定期的にご活用いただいております。
⑤ その他
今後皆さまと共に新たな発展的展開をしていきたいと思います❤️
次なる発展を求めて、メンバーを募集いたします💖
どなたでも!
ご連絡お待ちいたしております
江別創造舎発足12年、
今後、新たな活動展開へと発展させていくことも期待されます!
ぜひ!皆様のご支援をお願いしたいと考えています。
ただいま!
江別創造舎は、共に活動していただけるメンバー募集中!です!
江別創造舎へのお問い合わせは、下記へご連絡ください❗️
江別創造舎事務局<北翔大学田口研究室>
E-mail taguchi@hokusho-u.ac.jp
@マーク全角を半角にしてください。
写真:江別カルタ<江別創造舎制作>
このたび、2019年度<令和元年度>前学期人が集えば文殊の知恵袋講座のご案内をいたします!
道民カレッジ・江別市民カレッジ連携講座
北翔大学地域連携センター教養講座
「人が集えば文殊の知恵袋講座」は、
2008年(平成20年)5月から連続講座として開講!本年11年目を迎えます
2019年度充実講座でお届けします!
7月には、
北海道百年記念塔設計者!
井口健氏をお招きします
本年度も魅力たっぷり講座!
ぜひ!ご期待ください
なお、本講座はすべて事前申し込みが必要です。
2019年度(令和元年度後)前学期人が集えば文殊の知恵袋講座の日程は、下記のとおりです。
1.前学期プログラム
企画・運営 田口 智子
<北翔大学短期大学部教授>
6月度プログラム 「初夏の野幌森林公園を歩こう!」
日 程 : 令和元年 6月18日(火)13:10ー14:40
集合場所 : 自然ふれあい交流館
*解散場所同様
ゲストスピーカー : 小川 由真 氏
<野幌森林公園 自然ふれあい交流館 普及啓発員>
受 講 料 : 無料
申込期限 : 令和元年 6月 7日(金)
7月度プログラム 「北海道百年記念塔のつぶやき」
日 程 : 令和元年 7月16日(火)13:10ー14:40
場 所 : 北翔大学
ゲストスピーカー : 井口 健 氏
<建築家・北海道百年記念塔設計>
受 講 料 : 無料
申込期限 : 令和元年 7月 5日(金)
8月度プログラム 「百年記念塔から晩夏の野幌森林公園を歩こう!」
日 程 : 令和元年 8月27日(火)13:10ー14:40
集合場所 : 自然ふれあい交流館
*解散場所同様
ゲストスピーカー : 小川 由真 氏
<野幌森林公園 自然ふれあい交流館 普及啓発員>
受 講 料 : 無料
申込期限 : 令和元年 8月 16日(金)
9月度プログラム 「江別カルタで辿る江別物語2019
ー開拓期と明治の河川交通〜江別の渡船場物語」
日 程 : 令和元年 9月28日(火)13:10ー14:40
場 所 : 北翔大学
ゲストスピーカー : 渡辺 良洪 氏
<樺太連盟北海道事務所北海道恵須会事務局長>
受 講 料 : 無料
申込期限 : 令和元年 9月 18日(金)
2.申込先 北翔大学地域連携センター
011ー387ー3939
011ー387ー3746
kouzacen@hokusho-u.ac.jp
申込講座名・ご氏名<ふりがな付き>・ご住所・お電話番号をご記入ください。
写真:2019年度<<令和元年度>前学期人が集えば文殊の知恵袋講座チラシ
*北翔大学地域連携センター 三浦京子氏作成
いつも素敵なチラシ製作ありがとうございます