江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

明治末の工業(職工労働条件)1

2019年04月10日 | 歴史・文化

 明治30(1897)年代以降の煉瓦以外の主な製造業はどうあったのでしょう。
 明治30年代以降の煉瓦以外の製造業は、指折り数える程度でしたが存在していました。
明治35岩田醸造所、39年三井木工所、41年富士製紙株式会社江別工場、同年平石灰工場、43年田村精米工場、44年宮尾水車精米工場などが挙げられます。

 岩田醸造所は、現在工場を千歳市に移した岩田醸造株式会社です。
同社は、名品「紅一点(味噌)」で全国的に名が知られています。
 その草創について、岩田敬子が祖母のこぎくとの話として、次のように伝えています。
「醸造といっても造るたびに質の違う手前味噌の製品では売り物にはならぬ。始めは、煮た大豆をふとんにくるんだり、炉端の傍に置いたりして造ることから何度も失敗して、素人では限界があると、越後から呼んだ杜氏からみっちり技術の基礎を仕込まれて」(『岩田こぎく覚書』)、ようやく商品として世に出せるものになりました。
つまり、食文化を代表する味噌も越後からの伝統的技術(文化)の移入なしには成り立たないのです。まさに、黎明の時だったのです。



註:江別市総務部「新江別市史」204-205頁.
写真:岩田煉瓦工場(大正5年開業)
 同上書掲載写真4-5(205頁)を複写し、江別創造舎ブログおよびfacebookに掲載いたしております。
 岩田外喜男、友男、政五郎の岩田兄弟による多角経営の一つに岩田煉瓦工場、岩田醸造所があります(同上書205頁参照)。

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