札幌急行鉄道調査促進委員会は、32年年明け早々から関係市町村を巡り、構想の説明と協力要請を行いました。
感触は悪くありませんでした。
肝心の地元・江別の古田島市長は、江別地内の鉄道敷設の寄付を約束せんばかりの歓迎ぶりでした。
そうした折の6月、五島慶太が来道しました。
彼の40年ぶりの来道の目的は、無論ただ一つ、東急の北海道進出の布石を打つためでした。
数日後、北海道の多数の経済人を前に五島は一席ぶつけました。
開口一番、『北海道を訪れてまず第一に感じたことは、あまり進歩していないことである。』
お世辞の何もあったものではありませんでした。
後はの江別市長松川清なら、ここでムッとくるとところですが、時の社会党出身知事田中敏文はどう感じたでしょうか。
ついで、五島の口から、「江別〜札幌間の新鉄道敷設が飛び出しました。
実は、来道当日、大久保から札幌急行鉄道の構想を聞かされ、いたく気に入り、東急として現地調査をすることを約していたのでした。
五島が動けば全てが動く。
にわかに事態は躍動しました。
註 :江別市総務部「えべつ昭和史」843頁.
写真:古田島董平氏(初代江別市長)
同上書151頁掲載写真を複写し、江別創造舎ブログおよび江別創造舎facbookに掲載いたしております。