江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

北海道自動車縦貫道路ー江別東インターチェンジ

2009年09月15日 | 歴史・文化
 開拓以来の江別太にとって、地形的に大きな変化を与えたのは、治水事業に伴う夕張川切換線の掘さくと、築堤構築による耕地の縮小、函館本線切換えなどでした。

 その他に大きな変化を与えたのは、昭和54年から施行された北海道自動車縦貫道路(バイパス)の貫通でした。江別太を貫通するこの道路工事中、江別川架橋工事中、その橋脚となる部分から発掘された約1700年前の生活遺構は、江別太遺跡と呼ばれ、貴重な埋蔵文化財が発見されました。

 このバイパスは、単に通過するだけであれば、通過鉄道あるいは掘さく新水路と何ら変わりはありません。しかし、江別太の立地条件、すなわち石狩新港あるいは苫小牧を結ぶ路線の交点として、将来札幌都市圏や南空知(みなみそらち)への経済的影響を主張したインターチェンジ設置こそ大きな課題でした。

 当初、江別市内には元野幌地点にインターチェンジ計画があり、加えて同一市管内への設置はかなり至難といわれていました。しかし、市及び市議会と共に、地元もとしてはインターチェンジ設置期成会(会長田井孝男)を作り、積極的な設置陳情の甲斐あって、江別西インターチェンジに対する、東インターチェンジが昭和58年10月に設けられました。

 この結果、将来バイパスの横軸に対して,関連連絡線の縦軸は必至のものと期待されました。このことによって、さらに人口2~3万をようする独立住区への進展も考えられました。
 快適な緑の営農地帯と、住区を一体化し、周辺に水郷を巡らした江別太を目指すとすれば、この東インターチェンジの有効活用こそ、今後の命題となることは論を持たないところでした。

註:江別太開基百年記念事業協賛会「江別太郷土史」175-177頁.
写真:東江別インターチェンジ
 同上書、176頁掲載写真を、撮影掲載いたしております。
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