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江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

江別カルタ句㉗ 「お」の句

2018年01月03日 | 江別カルタ詠み句と取り札

 このたび、江別カルタ㉖ 「お」の句をご紹介いたします!

 おかだ邸
 レトロな姿
 木の造り

 
 岡田伊太郎<明治10(1877)年〜昭和36(1961)年>は、福井県生まれの実業家・政治家でした。
 13歳の時、従兄の初代福山甚三郎を頼って渡道しました。
福山醸造に勤めた後、村会議員や道会議員を経て、大正8(1919)年、衆議院議員に初当選、通算5期を務めました。

 江別に電気を引くことが発端で電気事業に興味をもち、北海道電力の前身、函館水電の取締役、北電顧問などを歴任しました。

 (以下略)

 *以上、江別カルタ解説書「お」の句引用


ぜひ、江別文化・歴史を題材とした江別カルタでお楽しみください


*江別カルタメール問合せ先:江別創造舎事務所<北翔大学田口研究室>
              E-mail taguchi@hokusho-u.ac.jp




註 :江別カルタ<江別創造舎制作>「お」の句解説書引用
*江別カルタ解説書は、佐々木孝一氏<元江別市情報図書館館長>に執筆していただいています。
写真:江別カルタ「お」の句詠み札と取り札
*江別カルタの外箱と解説書には、江別産小麦ハルユタカ加工原料紙を使用しています。
*江別カルタ第2販販売中です。

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江別カルタ句㉖ 「の」の句

2017年12月28日 | 江別カルタ詠み句と取り札

 このたび、江別カルタ㉖ 「の」の句をご紹介いたします!

 のぼり窯
 明治に産声
 野幌レンガ

 
 煉瓦工場が野幌に進出したのは、明治31年(1898年)3月、北海道炭礦鉄道株式会社が工場を開設し、業務を久保栄太郎に委託したことに始ります。
以降、大正14年(1925年)まで久保組が請け負い操業を続けました。

 当時の製法は、のぼり窯によるもので、燃料は薪、山の形に土盛りした片側に12〜13程度の窯を築造し、下部より焼き上げて片側ずつ交替で使用しました。

 野幌は、高台全部が豊富な原料地であったことから発展し、工場も大正年間には近代物なホフマン窯が導入されました。

 (以下略)

 *以上、江別カルタ解説書「の」の句引用


ぜひ、江別文化・歴史を題材とした江別カルタでお楽しみください


*江別カルタメール問合せ先:江別創造舎事務所<北翔大学田口研究室>
              E-mail taguchi@hokusho-u.ac.jp




註 :江別カルタ<江別創造舎制作>「の」の句解説書引用
*江別カルタ解説書は、佐々木孝一氏<元江別市情報図書館館長>に執筆していただいています。
写真:江別カルタ「の」の句詠み札と取り札
*江別カルタの外箱と解説書には、江別産小麦ハルユタカ加工原料紙を使用しています。
*江別カルタ第2販販売中です。

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江別カルタ句㉕ 「ゐ」の句

2017年12月10日 | 江別カルタ詠み句と取り札

 このたび、江別カルタ㉕ 「ゐ」の句をご紹介いたします!

 今はなし
 村の渡しの
 船頭さん

 
  江別で最初渡船は、
 明治4(1872)年の豊平川渡船(旧豊平川河口、現新石狩大橋西袂)です。
 その後、
 対雁(ついしかり)〜篠津間の石狩川渡船(大正9年、石狩大橋架橋)、江別市街〜大川通間の江別川渡船(重兵衛渡し)など時代の推移と共に渡しの数を増していきました。

(一部省略)

 江別市街で木賃宿を営んでいた武田重兵衛が請け負っていたことから、重兵衛渡しという名がつけられました。車馬用大船と人員用舟を備え船頭も数人いたといいます。

 (一部省略)

 *以上、江別カルタ解説書「ゐ」の句引用


ぜひ、江別文化・歴史を題材とした江別カルタでお楽しみください


*江別カルタメール問合せ先:江別創造舎事務所<北翔大学田口研究室>
              E-mail taguchi@hokusho-u.ac.jp




註 :江別カルタ<江別創造舎制作>「ゐ」の句解説書引用
*江別カルタ解説書は、佐々木孝一氏<元江別市情報図書館館長>に執筆していただいています。
写真:江別カルタ「ゐ」の句詠み札と取り札
*江別カルタの外箱と解説書には、江別産小麦ハルユタカ加工原料紙を使用しています。
*江別カルタ第2販販売中です。

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江別カルタ句㉔ 「う」の句

2017年10月10日 | 江別カルタ詠み句と取り札

 このたび、江別カルタ㉔ 「う」の句をご紹介いたします!

 浦篠津
 故郷偲び
 名づけたり

 
 浦篠津は、石狩川沿岸の22線から30線まで、9号線より北側の地名です。
新潟県三島郡来迎寺村字浦村からの移住開懇者が多かったことから、
浦篠津という名で呼ばれました。

 明治30年頃、泥炭地、水害常襲地であるにも関わらず入植者が相次ぎました。
大正に入って、排水・客土の土地改良により稲作もできるようになりました。

 昭和10(1935)年の字名改正により、
 下当別太、上当別太と共に、氏神様に八幡様を祀っていることから、
 八幡と命名されました。
 *以上、江別カルタ解説書「う」の句引用


ぜひ、江別文化・歴史を題材とした江別カルタでお楽しみください


*江別カルタメール問合せ先:江別創造舎事務所<北翔大学田口研究室>
              E-mail taguchi@hokusho-u.ac.jp




註 :江別カルタ<江別創造舎制作>「う」の句解説書引用
*江別カルタ解説書は、佐々木孝一氏<元江別市情報図書館館長>に執筆していただいています。
写真:江別カルタ「う」の句詠み札と取り札
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江別カルタ句㉓ 「む」の句

2017年08月20日 | 江別カルタ詠み句と取り札

 このたび、江別カルタ㉓ 「む」の句をご紹介いたします!

  昔から
  江別の自慢
  ヤツメ

 
  江別の漁業は、石狩川の鮭漁を中心でした。
 しかし、大正以降の石狩川沿岸地区の開発や河川改修工事の影響などにより漸次減少傾向を辿り、主産物はヤツメウナギへと移行しました。

 ヤツメウナギは、ウナギという名がついていますが、分類上は、円口類で、ウナギの仲間ではありません。昭和初期の専業漁業者は12戸前後です。
石狩川内水面漁業で漁獲量は豊凶を繰り返しながら、現在に続いています。

 戦後、江別漁業協同組合が札幌市篠路から岩見沢市北村砂浜に到る約13kmに漁業権を設定していましす。
 秋と春に産卵のため遡上するヤツメを、カヤで編んだ半紡鐘形の漁具「どう」を使って獲っています。
 *以上、江別カルタ解説書より一部引用


 ぜひ、江別文化・歴史を題材とした江別カルタでお楽しみください


*江別カルタメール問合せ先:江別創造舎事務所<北翔大学田口研究室>
              E-mail taguchi@hokusho-u.ac.jp





註 :江別カルタ<江別創造舎制作>「む」の句解説書引用
   *江別カルタ解説書は、佐々木孝一氏<元江別市情報図書館館長>に執筆していただいています。
写真:江別カルタ「む」の句詠み札と取り札
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江別カルタ句㉒ 「ら」の句

2017年08月02日 | 江別カルタ詠み句と取り札

 このたび、江別カルタ㉒ 「ら」の句をご紹介いたします!

  欄干に
  今も伝える
  軌道橋

 
 昭和21年(1927年)8月、江当軌道が営業開始しました。
 江当軌道は、当別市街を起点とし、
 江別町字篠津の石狩大橋のたもとを終点とする延長約11kmのミニ鉄道です。

 動力は、主に蒸気機関車で貨車と客車を牽引しました。

 昭和9年(1934年)11月、
 札沼線の札幌〜当別間が開通したことから、終業を迎えました。

 今日、市内にこの軌道の名残りを留めるのは、
 美原30線の篠津川に架かる「軌道橋」の名のみです。

 *以上、江別カルタ解説書より引用


 ぜひ、江別文化・歴史を題材とした江別カルタでお楽しみください


*江別カルタメール問合せ先:江別創造舎事務所<北翔大学田口研究室>
              E-mail taguchi@hokusho-u.ac.jp





註 :江別カルタ<江別創造舎制作>「ら」の句解説書引用
   *江別カルタ解説書は、佐々木孝一氏<元江別市情報図書館館長>に執筆していただいています。
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江別カルタ㉑ 「な」の句

2017年06月30日 | 江別カルタ詠み句と取り札

 このたび、江別カルタ㉑ 「な」の句をご紹介いたします!

  ナナカマド
  赤い実のなる
  江別の木

 
 江別市民憲章推進協議会は、市民憲章(昭和44年1月制定)の精神に基づき、昭和46年(1971年)11月3日、しの木「ナナカマド」と市の花「菊」の発表会を行いました。

 江別市の木と花の決定にあたっては、
 「市民に親しまれる」
 「風雪に耐える」
 「簡単に手に入る」
 「馴染み深い」
 「街路樹や庭木に適する」
 このような選考基準が定められています。


 ぜひ、江別文化・歴史を題材とした江別カルタでお楽しみください


*江別カルタメール問合せ先:江別創造舎事務所<北翔大学田口研究室>
              E-mail taguchi@hokusho-u.ac.jp





註 :江別カルタ<江別創造舎制作>「な」の句解説書引用
   *江別カルタ解説書は、佐々木孝一氏<元江別市情報図書館館長>に執筆していただいています。
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江別カルタ⑳ 「ね」の句

2017年04月23日 | 江別カルタ詠み句と取り札

 このたび、江別カルタ⑳ 「ね」の句をご紹介いたします!

  願いこめ
  静かに佇む
  鎮火の碑

 
 江別大火は、昭和28年(1953年)5月23日、午後10時30分頃、三条三丁目付近から出火し、火は、折からの風速20メートルの風に煽られて瞬く間に広がりました。

 危険防止のため、電線が切られ、漆黒の闇と化した現場を業火が荒れ狂いました。
寝込みを襲われた人々は、右往左往の大混乱になりました。

 火は、1分間に約1.7棟に及ぶ速度で、三条三丁目から北北東方面へ拡大しました。
千歳川によって、ようやく食い止められました。

 鎮火は、2時間後の24日午前零時30分でした。

 罹災278世帯、1,305人、1万6千坪を焼失し、約4億円の損害を出しました。
消化活動中、支援の当別町消防本部長・麻生寅三が殉職するという痛ましい犠牲を出しました。

 火元付近は、その後火除け地を兼ねた小公園になり、惨事の記憶を伝えるために鎮火の碑が建てられました。


*江別カルタメール問合せ先:江別創造舎事務所<北翔大学田口研究室>
              E-mail taguchi@hokusho-u.ac.jp




註 :江別カルタ<江別創造舎制作>「ね」の句解説書引用
写真:江別カルタ「ね」の句詠み札と取り札
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江別カルタ⑲ 「つ」の句!

2017年04月08日 | 江別カルタ詠み句と取り札

 このたび、江別カルタ⑲ 「つ」の句をご紹介いたします!

  伝えたい
  郷土芸能
  神楽舞

 
 郷土芸能野幌太々神楽は、明治31(1898)年8月15日創始しました。
新潟県三条市八幡神社神楽の流れを引いています。

 郷土芸能野幌太々神楽は、現在の東西野幌地区に入植した北越殖民社の旧六番組の人びとを中心として奉納されています。

 明治27(1894)年、新潟県南蒲原郡より移住した五十嵐金作が、移住後間もなく菊田章三郎の依頼で近隣の六番組の者に手ほどきしたのが濫觴です。
その後、神面、装束、楽器等の調達に殖民社も援助し、舞として伝承されることとなりました。

 江別市教育委員会から昭和48年3月31日、無形文化財第1号の指定を受けました。



*江別カルタメール問合せ先:江別創造舎事務所<北翔大学田口研究室>
              E-mail taguchi@hokusho-u.ac.jp



註 :江別カルタ<江別創造舎制作>「つ」の句解説書より引用
   *引用文献 「野幌部落史」関矢マリ子著
写真:江別カルタ「つ」の句読み札と取り札


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江別カルタ⑱ 「そ」の句!

2017年03月11日 | 江別カルタ詠み句と取り札

 このたび、江別カルタ⑱ 「そ」の句をご紹介いたします!

  倉庫群
  物資集荷の
  雑穀街

 明治30年代から大正年代にかけて、江別は、雑穀や木材の集散地として繁栄しました。
会社通りには、雑穀商をはじめ、旅館、飲食店、雑貨店、馬具店などが軒を連ね、船着場に近い江別川(現千歳川)左岸に倉庫群が建並んでいました。

 旧大久保倉庫、筒井一号倉庫、旧岡田倉庫など1丁目通沿いに今でもその姿を残しています。

 旧大久保、筒井は煉瓦造りですが、旧岡田倉庫は札幌軟石による造りであり、現在アートスペース「外輪船」として、文化イベントに使用されています。

*江別カルタメール問合せ先:江別創造舎事務所<北翔大学田口研究室>
              E-mail taguchi@hokusho-u.ac.jp




註 :江別カルタ<江別創造舎制作>「そ」の句解説書引用
写真:江別カルタ「そ」の句詠み札と取り札

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