ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

棟方志功という生き方

2008-09-27 21:19:12 | 
棟方志功の「板画」(彼は版画のことをこう呼びました)に傾けた情熱は並々ならぬものがあります。


誰でも彼の作品を、いつかどこかで、見覚えがあるはずです。
太くて荒々しいが、すごく優しく温かい線で仕上げられた作品の数々。


いつも圧倒される彼の製作現場の写真。




視力が極端に劣っているとはいえ、かじりつくようにして板を彫る彼の姿は鬼気迫るものがあります。
ここまでして仕事に没入できるものかと、驚かされます。


魂を込めた板画は、どの作品も僕らをほっとさせてくれる。
慈悲というか、救いさえ与えてくれているような感じがします。




彼は若い頃に出会ったゴッホに憧れて画家、版画家を目指したといわれます。
確かにゴッホの影響を受けたような作品も多いのですが、僕はシャガールに感じたのと同じものを彼の作品に感じます。
懐かしさというか郷愁というか、そのような感慨を同じように感じます。





「不生」 うまれず、と読むのでしょうか。
棟方志功による書です。

まだまだ生まれていない。芸術家としての自分、そして自分の作品の数々。
生まれず、として自分を牽制しているのでしょう。
いつまでも謙虚だった志功。

いかにも東北人、青森の出身者らしく思えます。


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母性に

2008-09-27 12:11:01 | 
ずっと姉貴がほしいと思っていた。
僕は、長男で、家族の期待を一身に担ってきた。
爺さん、婆さんの期待。
逃げ場がなかった。
兄貴ではなく、姉貴がいれば、何でも話せただろう。

父は出稼ぎでほぼ家では見ない。母は朝から晩まで働きづめで、会話もなく。
祖父母には子供がおらず、父は養子だった。
10人ほどいた爺さんの兄弟の一番下の弟が、父だったという事実を、
ごく最近知った。
祖父と父はぎくしゃくした関係で、面と向かって話をしている場面を、
僕は子供のころから見たことがなく、漠然とした不安を感じ続けていた。

当然にも、婆さんと母とも嫁姑の関係で、仲がいいはずもない。
そんな中で、僕は、完璧に爺さん子、婆さん子として育てられた。
家族といったら、爺さんと婆さん、それに妹と弟という5人しか考えられなかった。
父と母は、蚊帳の外。そんな不条理の中で僕は育ってきた。


祖父母は僕を過剰なまでに可愛がり、同時に重い期待をかける。
窮屈でしょうがなかった。
僕を生んだ母の愛を知るようになったのも随分と後のこと。
爺さん、婆さんがなくなって以降のこと。
大人になって、初めて、父や母の苦労を知ることになった。
けれどその頃は、そんな「家」から脱出する願望しかなかった。


長男であることを恨んだ。できれば何でも話せる姉貴が欲しかった。
姉のような存在に、甘えたかった。姉というより母性にすがりたかったのかも知れない。
「母」がいても、その頃の僕にとって、「母」は存在しなかったためだろうか。


そう、僕は、「母」を求め続けてきた。母性への憧れが僕を突き動かしてきた。
姉貴がほしい。その気持ちとて、母性への憧憬の裏返しにすぎない。


優しくしてくれる女性なら誰でもよかった。
母の胸元に飛び込むように、僕は女に溺れた。
だらしなく、乳飲み子のように、身も心もさらけ出し、ひたすら溺れる。
それで満足だった。甘美と退廃に己を置くことに救いを感じだ。


けれど、そんな倒錯した憧憬やデカタンスは何物をも生み出すことはなかった。
「野良犬」はいずれ次の住処を探しに旅に出る。
風来坊を繰り返すことにも、ほとほと疲れ切った。


今ある自分という存在。今更ながら、人間というものが分からない。
分からなくてもいいものなのだろうか。


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