ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

母性に

2008-09-27 12:11:01 | 
ずっと姉貴がほしいと思っていた。
僕は、長男で、家族の期待を一身に担ってきた。
爺さん、婆さんの期待。
逃げ場がなかった。
兄貴ではなく、姉貴がいれば、何でも話せただろう。

父は出稼ぎでほぼ家では見ない。母は朝から晩まで働きづめで、会話もなく。
祖父母には子供がおらず、父は養子だった。
10人ほどいた爺さんの兄弟の一番下の弟が、父だったという事実を、
ごく最近知った。
祖父と父はぎくしゃくした関係で、面と向かって話をしている場面を、
僕は子供のころから見たことがなく、漠然とした不安を感じ続けていた。

当然にも、婆さんと母とも嫁姑の関係で、仲がいいはずもない。
そんな中で、僕は、完璧に爺さん子、婆さん子として育てられた。
家族といったら、爺さんと婆さん、それに妹と弟という5人しか考えられなかった。
父と母は、蚊帳の外。そんな不条理の中で僕は育ってきた。


祖父母は僕を過剰なまでに可愛がり、同時に重い期待をかける。
窮屈でしょうがなかった。
僕を生んだ母の愛を知るようになったのも随分と後のこと。
爺さん、婆さんがなくなって以降のこと。
大人になって、初めて、父や母の苦労を知ることになった。
けれどその頃は、そんな「家」から脱出する願望しかなかった。


長男であることを恨んだ。できれば何でも話せる姉貴が欲しかった。
姉のような存在に、甘えたかった。姉というより母性にすがりたかったのかも知れない。
「母」がいても、その頃の僕にとって、「母」は存在しなかったためだろうか。


そう、僕は、「母」を求め続けてきた。母性への憧れが僕を突き動かしてきた。
姉貴がほしい。その気持ちとて、母性への憧憬の裏返しにすぎない。


優しくしてくれる女性なら誰でもよかった。
母の胸元に飛び込むように、僕は女に溺れた。
だらしなく、乳飲み子のように、身も心もさらけ出し、ひたすら溺れる。
それで満足だった。甘美と退廃に己を置くことに救いを感じだ。


けれど、そんな倒錯した憧憬やデカタンスは何物をも生み出すことはなかった。
「野良犬」はいずれ次の住処を探しに旅に出る。
風来坊を繰り返すことにも、ほとほと疲れ切った。


今ある自分という存在。今更ながら、人間というものが分からない。
分からなくてもいいものなのだろうか。


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
誰もみんな、同じ。 (mio)
2008-09-27 12:47:06
こんにちは。

読み終えて、胸が痛くなりました。
女性は自然に母性本能が働いて
男性を甘えさせてあげたいって思う。

でも、女性も甘えられる場所を探していて
それがパートナーであったり、時には友達
自分の親だったりもします。

あなただけが特別なわけではなく
みんな誰しも、母性に焦がれるものです。

また、誰でもよかったのは違うと思います。
何かを感じなければ、溺れる感情は
生まれないはずです。
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こんばんは^^ (yuuka)
2008-09-27 17:54:02
わからなくていいんです^^
それが人間なんです(*´∇`*)

私は兄がほしかったな~
返信する
Unknown (dragon21)
2008-09-27 21:30:49
>>mioさん

母性に対するあこがれはずっとありました。
それを女性に見るしかない。
当たり前ですよね。

確かに、誰でもよかったというのは語弊がありました。
誰でもよかったわけではないはずです。



>>yuukaさん

女性は、逆に兄貴が欲しいんですよね。
よく聞きます。

とすると、やはりみな自分にないものを人に求めるのでしょうか…

分からなくていいんですね。
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