僕の実家の家は、僕が生まれてから3回建て替えをしている。
いま父母が住んでいる家は、今から15年くらい前に立てた「お城」のような立派なお家。
どっしりとした瓦屋根、切妻造りの2階建てです。
部屋もいっぱいあって、8畳、10条間が6つもあり…
そこに、ぽつねんと、老夫婦2人住まいである。。。。。
僕が生まれた家は、家の前の畑の片隅のところ。
亡くなったじいさんばあさんが、戦争で南方から引き揚げてきて、
この地に住むのに建てた平屋建ての家でした。
今の家と比べればすごく小さくてこじんまりした家でしたが、
思い出はそっちのほうがいっぱい詰まっています。
(当然、今は跡形もありません)
炉辺というものがありました。
冬は、寒くて寒くてここの火に手をかざしました。
雪でびしょびしょになった着物をここで乾かしました。
炉の炭の匂いは今も忘れません。
米は釜で炊きます。かまどがありました。
かまどのご飯の焦げた匂いが懐かしい…。
釜の底にこびりついていた“お焦げ”は、ご飯本番前の「前菜」だったかな
そして、大好きなお風呂はいわゆる「五右衛門風呂」。
このお湯を沸かすのは、僕の当番だった。
木の建てつけの悪い雨戸を閉めるのと、これが僕の任務
とってもとっても不便でしょうがなかったけれど、今思い出すと「生きてる」っていう実感があった。
他にもいろいろ生活に根ざしたリサイクルの生活がありました。
たとえばトイレは「ぽっちゃん」便所。
これは即、畑の肥やしになりました。
近所に生ごみの収集に回り、飼っている豚のエサにしましたし、
北上川の川辺では流れ木や枯れ木を集め燃料としたり。
土手には山羊が放し飼い。
子供のころは山羊が怖くて、遠回りをして学校へ通ったっけ…
都会の生活の便利さを捨てることはなかなかできませんが、
なぜか最近こんな生活が気になって仕方がないんです。
いま父母が住んでいる家は、今から15年くらい前に立てた「お城」のような立派なお家。
どっしりとした瓦屋根、切妻造りの2階建てです。
部屋もいっぱいあって、8畳、10条間が6つもあり…
そこに、ぽつねんと、老夫婦2人住まいである。。。。。
僕が生まれた家は、家の前の畑の片隅のところ。
亡くなったじいさんばあさんが、戦争で南方から引き揚げてきて、
この地に住むのに建てた平屋建ての家でした。
今の家と比べればすごく小さくてこじんまりした家でしたが、
思い出はそっちのほうがいっぱい詰まっています。
(当然、今は跡形もありません)
炉辺というものがありました。
冬は、寒くて寒くてここの火に手をかざしました。
雪でびしょびしょになった着物をここで乾かしました。
炉の炭の匂いは今も忘れません。
米は釜で炊きます。かまどがありました。
かまどのご飯の焦げた匂いが懐かしい…。
釜の底にこびりついていた“お焦げ”は、ご飯本番前の「前菜」だったかな
そして、大好きなお風呂はいわゆる「五右衛門風呂」。
このお湯を沸かすのは、僕の当番だった。
木の建てつけの悪い雨戸を閉めるのと、これが僕の任務
とってもとっても不便でしょうがなかったけれど、今思い出すと「生きてる」っていう実感があった。
他にもいろいろ生活に根ざしたリサイクルの生活がありました。
たとえばトイレは「ぽっちゃん」便所。
これは即、畑の肥やしになりました。
近所に生ごみの収集に回り、飼っている豚のエサにしましたし、
北上川の川辺では流れ木や枯れ木を集め燃料としたり。
土手には山羊が放し飼い。
子供のころは山羊が怖くて、遠回りをして学校へ通ったっけ…
都会の生活の便利さを捨てることはなかなかできませんが、
なぜか最近こんな生活が気になって仕方がないんです。
うちの祖父母もだだっ広い家に二人で住んでいます。
わたしも一日の仕事がすべて生活に直結するような暮らしに対するあこがれはあります。
わたしの場合実際の仕事の大変さを知らないから超お気楽な考えですけどね。
ちなみにわたしは「ぽっとん」便所と言ってました。
そこで生活しているだけで“生”を感じることが出来そうです。
便利さを追求するあまり、まこの今の生活は“生”を感じることが
少なくなってきています。
今になって、エコ生活が言われていますが、昔の人は生活そのものが
エコですね。
まさに“温故知新”ですね!
自然に組み込まれて生きる。自然のサイクルの中で営む。
そういう生活形式もいいね。
昔の田舎の家は、なぜか意味なくだだっ広い。
冠婚葬祭でいつ何時、人が集まってもいいように。
それだけかつては田舎も人がいて賑わっていたんだよね。
そう。生活そのものがエコですよね。
自然に逆らわず、自然のリズムに合わせて上手に生活してました。
便利さはお金を出せば買えますが、こうした「不便さ」は、
お金では買えません。
そういえば実家にようやく水洗トイレの下水管が通ることになりました。