ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

童話

2008-09-20 22:13:02 | 
ある童話のラストシーンです。
たまにはこんな童話でこころ温まるのも悪くはない。
母ちゃん、 … か。


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ある窓の下を通りかかると、人間の声がしていました。何というやさしい、何という美しい、何と言うおっとりした声なんでしょう。



「ねむれ ねむれ
母の胸に、
ねむれ ねむれ
母の手に――」



 子狐はその唄声は、きっと人間のお母さんの声にちがいないと思いました。だって、子狐が眠る時にも、やっぱり母さん狐は、あんなやさしい声でゆすぶってくれるからです。
 するとこんどは、子供の声がしました。



「母ちゃん、こんな寒い夜は、森の子狐は寒い寒いって啼いてるでしょ うね」


 すると母さんの声が、


「森の子狐もお母さん狐のお唄をきいて、洞穴の中で眠ろうとしているでしょ
うね。さあ坊やも早くねんねしなさい。森の子狐と坊やとどっちが早くねん
ねするか、きっと坊やの方が早くねんねしますよ」



 それをきくと子狐は急にお母さんが恋しくなって、お母さん狐の待っている方へ跳んで行きました。
 お母さん狐は、心配しながら、坊やの狐の帰って来るのを、今か今かとふるえながら待っていましたので、坊やが来ると、暖い胸に抱きしめて泣きたいほどよろこびました。
 二匹の狐は森の方へ帰って行きました。月が出たので、狐の毛なみが銀色に光り、その足あとには、コバルトの影がたまりました。



「母ちゃん、人間ってちっとも恐かないや」
「どうして?」
「坊、間違えてほんとうのお手々出しちゃったの。でも帽子屋さん、掴まえや
しなかったもの。ちゃんとこんないい暖い手袋くれたもの」



と言って手袋のはまった両手をパンパンやって見せました。お母さん狐は、
「まあ!」とあきれましたが、「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら」とつぶやきました。



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素敵な朝なのに、影を落とす疑い…

2008-09-20 10:34:18 | 
こんなすがすがしい朝に。



自分を大切にしない人は、人も大切にできない。

自分を愛せない人は、人を愛することはできない。


自分に夢がない人は、ともに誰かと夢を見ることはできない。

自分に笑顔がなければ、心から一緒に笑うことはできない。




すべて問題の根源は「自分」だということを僕は、理解している。
「自分」をしっかりと確立しなければならない。
いつまでも未熟な自分であっては、永久に「幸せ」は、やってこない。

「幸せ」を、本当に僕は望んでいるのだろうか。
そんな疑いさえ持ってはならない。
世間一般の「幸せ」を、僕は望んでいるはずだ。


美味しいものを食べる、快適で素敵な住居、温かいお風呂、愛する妻がいて、
家族がいる。毎晩のように抱きあって眠りにつき、朝は心地よい日差しで目がさめる。
仕事のデスクに向かい、いろいろ思索にふける。
旅行もいっぱいするさ。日本の各地をくまなく。四国の四万十川に行きたい。
四国をお遍路さん姿で回りたい。
南仏プロバンスだってきっと行く。画家たちがみた景色をこの目で見よう。
そして最後は静かに「Goodby」しよう。眠るように静かに…



そうすれば僕は、「幸せだったなあ…」と安心して土に帰れるかな。
たぶんそれでいいんだろうな。


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