徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

最後の夢(第五十七話 お休み…。)

2005-12-22 23:58:57 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 病室の窓を開けて澱んだ空気を入れ替える…そんな単純な動作でさえ今の鈴には要注意。
胎児は小さいながら何とか育ってはいるらしいものの、依然、いつ堕りてしまうか分からない状態で油断できず安静と点滴の毎日を過ごしていた。
 
 「御腹大きくなったね。 お相撲さんみたいだ…。 」

 雅人が感心したように言った。
鈴のあのフラットな御腹がこんなに変化するとは驚きだった。

 「おへそが飛び出そうです…。 
でも…笙子さんの御腹に比べたら何だか小さくて…本当に赤ちゃんが育っているのか不安になります…。 」

鈴は心配そうな溜息をついた。

 「比べる相手が悪いんじゃない? 
笙子さん自身がわりと大柄だし、あの人よく食べるからねぇ。 」

クスクスッと鈴が笑った。

 「食欲は負けてないんじゃないですか…雅人さん? 」

 そう言われて雅人は頭を掻いた。
雅人の母せつに似た穏やかな笑顔が雅人に温かいものを感じさせた。
 何ヶ月もベッドに縛り付けられたような状態が続くのに鈴は愚痴も言わず、包み込むような眼差しで雅人を見る。
 御腹にいるのは雅人の子なのに、明らかに鈴は雅人を恋人とは認識しておらず、弟か年下の友達程度に考えているようだ。
喜んでいいのか悲しんでいいのか…雅人は複雑な心境だった。
  


 修がこれまでにない発作を起こしたことは、雅人の怒りのメールで笙子の許にも知らされており、笙子も少しは反省しているのか今夜はまったく頼子のよの字も話題に上らなかった。

 「修…晩御飯は…? なんか作ってあげようか? 」

 風呂から上がってきてキッチンで水を飲んでいる修に向かって、居間のテーブルで仕事をしながら笙子が訊いた。

 「まだだけど…この辺のパンかじっとくからいいよ。 」

修はパン籠に積まれたパンの山から美味しそうな焦げ目のついたパンを選んだ。

 「オムレツでも作ってあげるわ。 」

よっこらしょっと笙子は重そうに立ち上がってキッチンへやって来た。

 「いいって…笙子。 仕事済ませな…。 」
 
修はそう言いながらコーヒーを淹れ始めた。

 だけど…パンだけじゃ栄養がとれないから…などと笙子が言っていると、史朗が頭を掻きながらキッチンへやって来た。

 「あ…お帰りなさい…修さん。 」

 史朗は修が帰宅した音に気が付いていなかったらしい。
修の手にあるパンを目聡く見つけると顔を顰めた。

 「もう…またそんなもので夕飯を済ませるつもりなんですか? 」

 そうなのよ…私がオムレツ作ってあげるって言ってるのに…と笙子が憤慨したように史朗に言った。
食事にうるさいふたりに叱られて修はたじたじになった。

 「笙子さんは仕事を続けてください…僕が何かこさえますよ。
修さん…何がいいですか? 」

悪いわね…お任せするわ…と言うと笙子は居間へ戻って行った。

 「何って言われても…ね。 あ…うどんが美味いとか言ってたな…雅人が…。
史朗…それでいいよ…。 」

 そんなものでいいんですかぁ…?
修が引きつった笑みを浮かべながら頷くと史朗は手早く調理を始めた。
まるで魔法使いだな…料理の苦手な修は史朗の慣れた包丁捌きに見とれていた。

雅人の話とはちょっと違う具でいっぱいの健康うどんを目の前に修は畏まった。

 「有難う…史朗。 あとはちゃんと片付けとくから…。 」

 見張られていると何だか食べにくい。修は史朗に仕事に戻るよう促した。
史朗が部屋に戻ってしまうと修はやっと落ちついて食事にありついた。

  
 
 「修…あのね…。 」

 ベッドの上の史朗が用意してくれた特大のクッションにもたれかかりながら、笙子が改まったように修に話しかけた。

 「史朗ちゃんなんだけど…この頃眠れないらしいのよ。 
多分…財閥の企画との打ち合わせでいろいろ新しい仕事が入るでしょう。
仕事自体は難なくこなしているんだけど…きっとすごく緊張してるのね。
いつも寝不足みたいなの。 」

 笙子は意味有り気な顔で修を見た。
修は溜息をつきながら苦笑した。
 僕の発作はきみにとっちゃ在り来りの出来事なんだろうな…。
修は心の中でそう呟いた。

 史朗の部屋は史朗がひとりで使うには広すぎるほどのスペースがあり、史朗が思いついた時にすぐ舞の所作を確認できるよう様々な工夫がされていた。
史朗たちの知らないところで修が事細かに指示を出し、史朗や笙子にとって最適な居住環境になるように手配した結果だった。

 過酷な修練には耐えてきたとはいえ笙子は根がお嬢さまだからそんな修の心遣いには気付いてもいない。
 けれど史朗の方はこの住いに馴染むに従って随所に見受けられる思い遣りを心から有り難く感じていた。

 ベッドには入ったものの全く寝付かれず、何度も寝返りをうったあげく、頭まで布団を被ってみたが息苦しいだけで、万策尽きた史朗はなす術なく暗い天井をぼんやり見つめていた。
 こういう時はアルコールに頼るかな…と起き上がった途端、部屋の扉が急に開いて修が現れた。
 
 「どうしたんです? 何かあったんですか? 」

 笙子に追い出された…と溜息混じりに修はベッドへ潜り込んできた。
まさか…史朗は信じられないという顔で修を見た。

 「冗談だよ…。 史朗…眠れないんだって? 」

修は声を上げて笑いながら訊いた。

 「えっ? ええ…まあ…時々ですけど…。 」

今もそうです…とは言えずに曖昧な答え方をした。

 修自身の部屋がないわけじゃないが、修はこの別宅へ帰って来る時にはほとんど笙子の寝室で過ごしていた。
 本家の洋館とは違って史朗の部屋を訪うこともあまりなく、修はできるだけ笙子との時間を大切にしているようだった。
 
 「笙子さん…ほっといていいんですか? 」

 修が部屋へ来たのは笙子の差し金だと分かってはいたが、史朗は敢えて知らぬ振りをした。

 「おまえのこと心配してた…。僕の務めを果たしなさいということらしい…。」

 修は隠しもせず笙子が差し向けたことを話した。
史朗は赤面した。修には見えなかったけれど…。

 「…笙子さんのいるところでは…嫌です…。 」

 修の目の前で平気で史朗を求める笙子の無神経さに史朗はいつも閉口していた。
そのことだって十分修の心を痛めつけているに違いないのに…。
そんな笙子の思うなりになって笙子の目の前で修を求めたりなんかできるか…。

 「分かってる…。 僕はおまえを眠らせに来ただけ…。 」

 そう言って修は添い寝をする母親のように史朗の背中をゆっくり叩き出した。
また…そうやって子ども扱いするんだから…と思いながらも何だか遠い昔に戻ったようで思いの他心地よかった。

 「失敗したっていいぞ…史朗…。 前にも言ったろ…。
僕に迷惑をかけないように…なんて小さいこと考えるな。
おまえの思うとおりにやってみろよ…。 」

史朗は修の顔を見上げた。暗がりの中でも微笑んでいるのが分かった。

 「…修さんの立場が…。 」

蚊の鳴くような声で史朗は言った。

 「馬鹿だなぁ…そんなこと心配するな…。 」

 修の手が史朗の髪を撫でた。
少し前まではそれをやられると無性に腹が立ったが、最近は両親のことを思い出すようになった。 
 
 「存分に暴れたらいいさ…。 」 

 修はまたトントンと史朗の背中を叩き始めた。
修の体温と鼓動…背中を叩く手の刻む優しいリズム…知らず知らずのうちに史朗はうつらうつらし始めた。

 「お休み…史朗…。」

 温かな腕の中で史朗は夢を見ていた。
遠い過去の記憶…父と母との何気ない日常…何気ない会話。
取り立ててどうということのないそれらひとつひとつが持っている本当の価値…。
史朗は久々にゆったりとした気分で失われた過去の世界に遊んだ。



 城崎から緊急の連絡が入ったのはその週末の夜半過ぎのことだった。
久遠の代わりに店を回っている佳恵と待ち合わせをして食事に出かけた頼子が佳恵とともに突然消えてしまったという。
 
 いつものように舞の稽古がひけたあと、車で待ち合わせの場所まで行った頼子はそこの駐車場に車を止めたまま行方不明になってしまった。

 朝…あまりいい気のしなかった城崎が外出を避けるように言ったが、頼子も佳恵もなかなか予約の取れない有名な店を予約していたようでまったく意に介さなかったらしい。
 その気持ちも分からないではないのだが、城崎としては娘たちの軽はずみな行動を腹立たしく思った。

 行方不明者捜しは瀾の最も得意とする分野である。
城崎は息子の力を借りるべく紫峰家に連絡を入れたのだった。

 瀾はすぐにふたりが知り合いの男に連れて行かれたことに気付いた。
その特徴から男は多分圭介だろうと久遠が判断した。

 やはり頼子と佳恵が狙われた。
修が城崎に注意を促していたにも関わらず、それを防ぐことができなかった。
ふたりを人質にしようとしている…そう考えられた。

 少しずつ間をおきながら翔矢は確実に一歩一歩久遠との距離を縮めてくる。
久遠にとって苦しい戦いが始まろうとしていた…。





次回へ



























































 

















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